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普通というプレッシャー

変わり者であってはいけない 

こうしてはダメだ 

こうでなくてはならない。 







日々そうやって自分自身のアイデンティティを否定している人は多いかと思います。 

  


    



周りの環境も要因として考えられますが、社会的、地域的、文化的な潜在意識が働いている場合もあります。 








だからこそ、常々私は他者との境界線を引く事をお勧めしています。 

元々一つであったからこそ、細分化された物質や人が戻ろうと他者に引っ張られてしまうのですが、その結果自分自身を見失い、どこかで否定を重ねていたりするものです。 







無意識のルーティンが続くと、さらにそれは加速して気がついたら強固なものへと変化し、どうしようもできなくなってしまうのです。 

私は不幸だという意識が続くと、何が起きても不幸を言い訳にする人がいますが、本人はそれすら気づいてない場合があるのです。 








話が少しズレましたが、『普通』や『あたりまえ』に関して私たちはすごく自分に対しても厳しすぎる気がします。 







私は小学生の頃から、生まれた環境も普通ではなく、人格も普通ではなかったらしいのですが、人からそう言われて、じゃあ普通とはなんだろうかとずっと考えていました。








誰が決めたのだろうか 

普通でいればどんな良いことがあるのだろうか 

それはどんな人なのだろうか 









結論としては『普通』は存在しているようで存在していない。 

あくまで、個々人の考えであり、その場の環境などによってその定義は変わります。 

すごく曖昧なんですね。普通なのに。 








そのようなことを知った私は、普通に寄る事を辞めました。 

自分が思う普通がそもそも他者から見た時にズレにズレていたので、根本的に諦めたというのもありますが… 








日常生活を送る上で、ご両親や親戚、友人、他人からもっと普通にすればいいのに 

自分は普通だろうかと見えないプレッシャーを抱えて生きている方が今はすごく多いのだろうと思います。 









あなたらしさはなんなのか。 

それはもしかしたらあなたの短所かもしれません。 










弱点は時に最強の武器になります。 

まずは今プレッシャーを感じてる人は、誰かが決めた定義から抜け出す事をおすすめします。 









一歩一歩歩んでいきましょう。 







それでは本日も良い日になりますように。 

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