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二宮 忠八:飛行機発明の先駆者

4月29日は、「昭和の日」です。
実はもう一つ別の記念日があります。それは「飛行機の日」です。

世界で初めて飛行機を作って飛ばした人物といえば、誰でもライト兄弟を思い浮かべるでしょう。
しかしライト兄弟が飛行機をはじめて飛ばした日は1903年2月17日で、4月29日ではありません。

では何故4月29日が「飛行機の日」なのでしょうか。

1891年4月29日は、二宮忠八(1866-1936、愛媛県八幡浜市出身)が、はじめてプロペラ飛行実験を成功させた日です。

二宮

有人飛行ではありませんでしたが、科学的な航空原理に基づいた世界初の動力による飛行実験の成功でした。

忠八は徴兵先の香川県仲多度郡で、飛んでいるカラスを見て風を羽で受け止める空気抵抗を利用した飛行原理を確信しました。そして、烏(カラス)型模型飛行器を作成、飛行実験に成功しました。

二宮忠八 飛行機 イラスト

惜しくも有人飛行機の成功はライト兄弟に先を越されてしまいましたが、二宮忠八はライト兄弟の成功の14年も前に飛行原理を考えていました。

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当時の日本にはまだ動力や電機などが一般的に十分に普及していたとは言い難く、そうした時代背景のなかでのハンディーを考慮すれば、二宮忠八は飛行機の真の発明者であり、世界に誇れる日本人と言ってもよいでしょう。

忠八が考案した飛行機の原理は、ゴムチューブを巻いた模型飛行機ではありましたが、忠八は時間も資金も限られているなかで、自分ができる範囲内でしっかりとアウトプットを出しました。ロケットだって最初は23センチの火薬式ペンシルロケットだったことを考えると、忠八の模型飛行機の実験成功は、小さな一歩が後に大成功をもたらす良い例です。

何でも考えたことは実際にアウトプットにして世に出すことが重要です。アイディアがどんなに良くても、自分が考えることは必ず他人も考えています。アイディアだけでは何の価値はありません。

忠八は模型飛行機から有人飛行機に発展させようと軍に打診しましたが、日清戦争のため費用捻出が難しく、また当時は飛行機よりも造船に力を入れてた時代でもあり、なかなか飛行機の開発は先に進みませんでした。

それでも、烏(カラス)型模型飛行器の飛行実験に成功した二年後には、有人飛行を前提に「玉虫型飛行器」を作成し、着実に飛行機の開発を前進させました。

二宮2号

二宮は70歳で亡くなる前、一度だけ飛行機に乗ることができました。飛行機に乗った時の気持ちは実験を繰り返して空を飛ぶときに夢見たイメージと同じだったそうです。

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費用もなく、思うように飛行機開発が進まなくても、忠八を駆り立てたのは「飛行機を作りたい」「空を飛びたい」という強い信念です。

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自分が好きなことをやっていれば、どんなに困難に直面してもそれは苦にはなりません。むしろ高いハードルを一つ一つ乗り越えることは、やりがいにもつながります。私たちも忠八に学ぶことがありそうですね

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