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「猿とツタ橋」のおはなし

1「猿とツタ橋」

多くの猿たちを率いる勇敢なボス猿がいました。

ある日、ボス猿は仲間の猿たちを連れて、大きなリンゴの実がたくさんなっている木が生い茂っている断崖にやってきました。断崖の底には川が流れています。

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ボス猿は、仲間たちに注意を促しました。
「皆、腹が減っただろう。リンゴをたくさん食べてくれ。しかし、一つだけ守って欲しいことがある。絶対に川にリンゴを落とさないこと。もし川に実が落ちて下流で人間が見つけたら、リンゴは人間たちに全て食べられてしまう。そして、我々も迫害されるだろう」

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しかし、ある猿がリンゴを川に落としてしまいました。
村人たちは、下流でリンゴを見つけ、リンゴの木を探すことにしました。

リンゴの木をついに見つけ出した村の人々は、今まで猿たちがリンゴを食していたことを知ると、「猿たちめ、リンゴを食い荒らすとは許せん」と考えるようになりました。

村人たちは猿たちの住処を見つけ出し、一斉に矢を撃ち放つために猿たちを取り囲みました。

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異変に気付いたある猿は、ボス猿に伝えました。
「ボス、大変です。人間たちに囲まれています。皆殺しにされます」

ボス猿は自信高らかに指示し、皆を落ち着かせようとしました。
「恐れるでない。私が皆を必ず助けるから心配するな。よいか、断崖の谷間を越えれば、弓矢は届かないし、人間も追ってくることはできない」

別の猿が聞きました。
「しかし、ボス、さすがにあちら側までは飛べません」

ボス猿は、「心配するな、私がツタを持って向こうまで飛んでツタを結ぶから、みんなはそのツタを渡ってくればよい」と言って、一方のツタをこちら岸にある木に結ぶと、猛スピードで走り出し向こう岸まで一気にジャンプしました。

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しかし、ほんの少しだけツタが短かったため、あちら側の岸まで届きそうもありません。絶体絶命のボス猿は、もうそこまで見える岸をなんとか掴もうと必死に力を振り絞りました。

かかろうじてボス猿の片手が向こう岸に生えている木の枝を掴み、なんとかツタ橋をかけることができました。しかし一刻も早く全員がツタ橋を渡り終えなければ、ボス猿の手の力がもちません。

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「さあ皆、早くツタを渡って逃げるのだ」

仲間たちは、ボスが力尽きてしまわないうちに急いで渡り始めました。
猿たちがツタ橋を渡るに連れ、ボス猿の手にはどんどん負担がかかり、手から力が段々抜けていきます。

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最後の一匹の猿の番になる時にはボス猿の腕力は限界に達していました。しかし、何とか最後まで仲間を渡らせようと最後の力を振り絞って耐え抜こうとします。最後の猿が渡り終えるのを見届けると、ボス猿はついに力尽き、そのまま断崖下の谷へ落ちてしまいました。

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その一部始終を見ていた村の人々は、ボス猿の勇敢さに感動しました。
「あのボス猿は、自分の命を犠牲にして、仲間たちの命を優先して助けた。なんと素晴らしい頭(かしら)なのだ。あの猿を死なせてはならぬ。すぐに探して手当しよう」

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村人たちは、谷底で発見された傷だらけのボス猿をみつけました。ボス猿に村人は問いました。
「なぜ自分を犠牲にしてでも仲間を助けるのか」

傷ついたボス猿は、痛みを堪えながら答えました。
「私は彼らの頭(かしら)です。恐れ怯えている仲間たちを決して見捨てたりはしない。肉体的苦痛は私を痛めつけはしない。むしろ仲間たちが助かれば、私の身体的苦痛は大いなる喜びとなる。私は皆の頭(かしら)として当たり前の務めを果たしたまでだ」と言って、最後に静かに息を引き取りました。

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2 「猿とツタ橋」のおはなしから学ぶこと

このはなしは、自分のためだけでなく、他人のためにも尽力する大切さを説いたものです。禅語や仏教語で言うところの「把手共行」や「喜捨」のことです。

【把手共行】
「把手共行」とは、「手を取り合っていっしょうに行く」という意味です。
リーダーは、周りの人を一つの目標や到達地点まで導く存在です。特に弱い立場の人に寄り添い助けながら伴に歩むのは、リーダーのあるべき姿です。

「把手共行」には別の意味も込められていると考えることもできます。
それは、諦めようとしたり、投げ出そうとする弱い「もうひとりの自分」をしっかりと見つめ、弱い自分を否定するのではなく、理解を示しながらバランスよく生きていくという意味が含まれているように思います。

リーダーは強くいなければならない反面、他に頼ったり弱音を吐いたりできません。なので、「もう一人の自分」と対話しながらにしっかりと寄り添って、いばらの道を進むことが必要です。

【喜捨】
「喜捨」は「喜んで捨てる」と言う意味です。
弱い立場にある人を助けるためには、自分の立場や利益は喜んで捨てることができる人がリーダーにふさわしく、周りの人たちもそのようなリーダーについていきたいと思います。

人の為に自分が得たものや築いたものを投げ出すということは、その人と同じ目線や立場になり、弱い人の気持ちを自分のモノとするということです。そうすることで、その人と自分が一体になり、助けが偽善ではなくなります。

自分のことは二の次で、まずは純粋な気持ちで人に手を差し伸べることは、リーダーにはとても大事です。上から目線で「助けてあげてる」という気持ちがあると、それはもはや助けにはなりません。

簡単に実践できることではありませんが、「把手共行」や「喜捨」を意識して自ら実践していくことが大事です。

3 身を以て伝える大切さ

このボス猿は迷う衆生を救おうとするブッダ(悟った人)に喩えた話と考えることができます。
禅では、誰でもブッダ(悟った人)になれると説く教えです。つまり救いを他人に求めるのではなく、自分自身に求めます。

ということは、このボス猿は、あなた自身でもあるのです。自分の利益追求だけでなく、ほんの少しでもいいから他人を思いやる気持ちを持つことを実践したいと思えるエピソードですね。

他人のために何かしようと思うと、つい億劫になってしまいます。ですから、あまり難しく考えずに、すぐにできることから始めてみるといいかもしれません。

今日一日、家族、部下、上司に、笑顔を絶やさず「ありがとう」という「和顔愛語」(穏やかな笑顔と思いやる話し方で人に接すること)で過ごすことも、立派なリーダーシップの実践です。

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