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魔法の木

男は、「仙水という魔法の水を飲むと仙人になれて空を飛べる」という噂を聞きつけて、旅に出ました。
ある旅先で、何でも知っている老人を探し当てました。
「仙水を知っていますか。仙水が飲める場所を教えてください」
「ほう、仙水か…それを飲むとどうなるのじゃ」
「飲むと仙人になって空を飛ぶことができるそうです」

老人はとても感心した様子でその男に尋ねました。
「空を飛びたいのであればうちに来るか。うちには魔法の水はないが、仙木という魔法の木があって、その木の上から身を投げれば、仙人になれる。ただ空を飛ぶためには、うちで五年間は最低修行せねばならんが、それでもよいか。お前さんがその気なら、わしが師匠になってやろう」

「ほんとですか。どこにあるかわからない魔法の水を何年間も探し続けるよりも、あなたのもとで修行したほうがよほどよい。仙人になれるなら喜んで修行します」

しかし、この老人は嘘をついていました。この話は、この旅人を五年間ただ働きさせようとたくらんだ、全くのでたらめだったのです。
「よいか、仙人になるためには、わしに文句を言ってはならん。五年間続けることができたら、仙人になる方法を教えよう」

旅人はどんなことでも五年間耐え続けようと決心しました。その日から、旅人は仙人になるために必死になって、土を耕し、木を伐り、大きな石を運び、とにかく一生懸命に働きました。

毎日の食事が少量でも、休みがなくても、怠けたり文句を言ったりすることもなく、すべては仙人になるためであると信じて、ひたすら努力しました。

五年目を迎える頃には、厳しい労働によって旅人はすっかり痩せ細ってしまいました。そして、とうとう旅人が待ちに待った仙人になる日がやってきました。老人は旅人に言いました。
「今日までよく頑張った。では、仙木の場所を教えよう」

旅人は、魔法の木がそもそも存在しないことも知らずに、期待に胸を膨らませて、この日のために用意したまっさらな白い着物、袴、足袋に身をつつみ、老人の後について山の奥へ入っていきました。

老人と旅人は、大きな岩の上に生えてある木のところまでやってきました。「これが仙木じゃ。これから仙人なる方法を教えよう。まずこの木のてっぺんまで登っていきなさい。そしてわしが“飛べ”と言ったら、両手を広げて空に向かって身を投げよ。怖がって躊躇してはだめだ。そのために修行したのだ。この五年間を決して無駄にするではないぞ。覚悟が大事じゃ。お前さんが怖さを克服して空に向かって思いっきり身を投げれば、お前さんは仙人となって、この広大な空を思いのまま自由に飛べるようになる。わかったな」

旅人は真剣な表情で老人の一語一句に何度も頷き、覚悟を決めました。そんな純粋な旅人の心とは裏腹に、老人の心は荒んでいました。
「この高い木から落ちれば、死ぬに決まっておる。死ねば、ただ働きさせたこともなかったことになるし、わしは得をする」

老人がそんな悪知恵をはたらかせている頃、旅人は木を登り始めました。
「この辺でいいですか」
「もっと高く登れ。もっと高く」
「もういいですか」
「だめじゃ、もっと高く」

旅人が木のてっぺんまで登ったところで、老人は叫びました。
「今じゃ、飛べ!」

旅人は両手を大きく広げて、空中に身を投げました。
しかしどうしたことでしょう。真っ逆さまに落ちて死ぬはずの旅人は、まるで翼を大きく広げた鳥のように、風にのって白い着物をたなびかせながら、空中を浮遊しているではありませんか。

その信じられない光景を見た老人は、言葉を失ってしまいました。旅人は山の向こうまで飛んでいき、やがて姿も見えなくなってしまいました。

ずる賢い老人は反省するどころか、こう考えました。
「この木は、ほんとうに魔法の木だったのか。だからあの旅人は空を飛ぶことができたのだ。だったらわしも仙人になれるぞ」

老人は家族を連れて自分たちもその木から飛び降りて、仙人になることにしました。老人が息子夫婦に言いました。
「よし、まずはわしが先に木に登って飛び降りるから、よく見とくのじゃ」
そう言って老人はいそいそと木を登り始めました。

「もうその辺でいいんじゃないですか」
息子が心配して声をかけました。欲深い老人は、高ければ高いほど仙人になれると信じ込んでいます。

「まだじゃ、まだじゃ。もっと高くに登らなければ」
老人は、木のてっぺんまで辿り着くと、両手を広げて大きく深呼吸をして覚悟を決めました。

「ようし、飛ぶぞ。息子よ。合図をかけてくれ」
「両手を大きく広げて。いいですか、いきますよ。今だ、飛んで!」
老人は、息子の号令とともに思いっきり枝を足で蹴って、空中に向かって身を投げ出しました。

「えっ…」

その瞬間、老人は空中を浮遊することなく、まっさかさまに谷底に向かって落ちって行ってしまいました。

それからすぐに大きな音が山中に響き渡りました。その後、山は何もなかったように静寂さを取り戻しました。


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