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正念場ってどこ?

ここぞという大事な場面の時を正念場と言います。
「正念」とはお釈迦様が悟った八つの正しい道の一つで、「正しい気づきとその気づきを忘れないように行動する」という意味です。

岡山にある曹源寺に、こんなエピソードがあります。

或る日、風呂に入っている儀山和尚が弟子の宜牧に「風呂の湯が熱いので、水を持ってきてくれ」と頼みました。そこで宜牧はそこにあった手桶を持っていこうとしましたが、手桶のなかに水が少し入っていたので、その水を捨てて水を汲みに行こうとしました。

その時、儀山和尚は宜牧を一喝しました。
「馬鹿者、少しの水でも草木にあげれば、捨てた水も草木も両方活きるではないか。そんなこともわからんようでは、どんなに修行をしても無駄じゃ」
この時、宜牧は捨てるものでも他に活かすことができることに、はじめて気がつきました。この一件以降、宜牧は一層修行に専念しました。

そんな小僧の宜牧は、後に滴水と号し、京都五山第一位の天龍寺管長となられました。滴水とはこの小僧の時に学んだあのお風呂場での出来事に由来していることは言うまでもありません。

この話は、ちょっとした「気づき」がその後の人生を大きく変えた一例です。なぜ、ここぞという大事な場面が正念場と言われるのか、それは仏教の教えである正念、つまり正しい「気づき」と行動することが人生転換の瞬間だからなのですね。

仏教では、悟りたい、救われたい、楽になりたいと思っている自分自身に「気がつく瞬間」こそが悟りそのものである(発心即菩提)と言われます。これもまさに正念のことです。

自分の周りを見渡してみると、案外、身の回りに新たな「気づき」があるかもしれませんね。


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