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熊徹

※この記事は書く事が多すぎるので、公開後も空き時間を見つけ書き足して更新していきます。

はじめに

最近は遺書を書くのにハマっている。
このことを話すと、友達には共感してもらえず心配をされた。

確かにあまりいいイメージはないかもしれない。自殺するときに置いていたり、財産相続のために遺書を書かせるサスペンスがあったり、、、

しかし、人間というものはいつ死ぬかわからない。これから階段につまづくかもしれないし、通り魔に刺されるかも、もしくは明日隕石がおち、地球ごとなくなるかもしれない(その場合は遺書も意味ないか、、、笑)

いざ「死ぬ!」ってなった時からでは、思い残したこと、お世話になった人、許せない人間へ送る言葉、私という人間が何を思って生きてきたかを全ては書けない。

だから、今からでも少しずつ記しておきたいと思ったんだ。

その遺書はPDFファイルで親友に渡しており、あまりにもプライベートすぎて、いろんな情報があるので暗号を設定して、その暗号を解かないと開けないようにしてある。
「その暗号は母と私だけが知る合言葉に設定したから、私が死んだら、母に渡すように」と親友に伝えてある。

そんな遺書を書いていると自分の人生を振り返り、いろんなことを思い出してきた。

私の師匠

その中で明らかに今の私を形作った男がいたのでその男について今回は記載する。

私は高校生の頃、卓球の師匠がいた。
彼はクマみたいに大きな体格で、ぶっきらぼうな性格で、教え方もわかりづらく、勉強はできず、語彙力がなく、決してお世辞にも知的とは言える存在ではなかった。
しかし、彼は私の人生に置いて、最も尊敬するメンターである。
当時のいじめられっ子で気も体も卓球も弱い私を、
その心技体の全てをここまで強く私を育ててくれた。
彼と過ごしたあの日々が、今の私の土台を作ったのだ。

毎日ご飯を食わせてくれて、強いコーチを雇ってくれて、朝まで地下の練習場での特訓や、一緒に試合に出たり、日本で手に入れるのが難しい中国の技術書をくれたり、、、

話し方や口癖がうつるほど、高校生の頃の私の側にはいつも彼がいた。

終始、真の感情を表に出すことが少なく、私の心の奥底まで見透かしているような目をしており、それでもって、過去にどこか大きな闇を抱えているような、何を考えているのかよくわからない人だった。

「強さこそ自由」が彼の教えだ。
そしてその教えは今の私の胸の中に刻み込まれている。

細田守作品の「バケモノの子」を見て、そこに登場する「熊徹」というキャラがあまりにも彼と見た目も中身も似過ぎており、私が実名を隠している以上、彼の実名を出すわけにはいかないので、今後は熊徹と記載する。

熊徹との出会い


正直、出会った当初、どんな会話をしたかは全く覚えていない。

そのクラブチームは中学生しか入れないというルールだったが、なぜ、当時高校生の私が入れたのか、その辺の記憶が曖昧なのだ。

しかし、そのクラブチームに行く流れは覚えているからとりあえずそれを記載する。

私は中学3年生の頃、同じ学校の親友とクラブチームに通っていた。私と親友はここのクラブチームじゃ強くなれないと別のクラブチームを探していた。

ある日、そのクラブチームに新しく、全国64位の小学生が入ってきた。その子はすでに、クラブチームを2つ掛け持ちしており、3つ目の候補に体験できたという感じだ。

正直、その子は圧倒的にクラブチームの中の誰よりも上手かったから入会しないと思っていた。

しかし、その子はこのクラブチームに入ったのだ。
その子はものすごく私に懐いたのだ。彼はクラブチームにくると、私がいつ来るかを聞き、同じ日に来るようにしていた。
私も彼を弟のように可愛がっていたので、今思えば、おそらくあのクラブチームには、強くなりにではなく、私に会いにきていたのだろう。

彼とは休日も練習するようになり、いろいろな技術を教わるようになった。

帰りには駄菓子屋で美味しいラムネ買ってあげて一緒に公園で飲むのがルーティンだった。卓球をした直後なのに、またその公園のベンチを卓球台に見立ててラケットを取り出し、卓球をしていた笑

駄菓子屋のおばちゃんは私たちを兄弟と勘違いしており、それを彼は喜んでいたように見えた。だからあえて訂正しなかった。

そして、彼の家にもお邪魔するようになった。あまり彼の家庭事情は知らなかったが、彼は父親がおらず、母は毎日働きに出ており家がいつも空いているとのことだ。

一度彼のお母さんと話すことがあった。
彼のお母さんは私にすごく感謝していた。
彼が毎日楽しそうに私の話をしていること、私と会ってから笑うことが増えたこと、元気になったこと、卓球の練習に前向きに取り組むようになったこと、、、
もちろん全てが私のおかげだとは思っていないが、それが聞けて嬉しかった。

今これを書いていて、気づいたのだが、彼は変な行動が多かった。
その彼の私を困らせる言動は、「寂しさ」からきたのではないか?と思った。

 だから、私が絶対にあなたを置いて帰らないと知っているから、私の制止を無視して危ないところに走っていった。(あの時見た、クマ出没注意と書かれた汚れた看板はめっちゃ怖かった、、)心配して欲しかったから。

 だから、帰り道、わざと忘れ物をしたり、遠回りをしたり、道の途中で急にどこかに走って隠れた。もっと一緒にいたかったから。

 だから、私と試合をした時は本気を出さなかった。私に嫌われるのが怖かったから。

 だから、私の友達に会うたびに関係が悪くなるような嘘をついた。私の友達を減らすことで私といる時間を増やしたかったから。

そう考えたら全てが腑に落ちた

しばらくして私が高校一年生になり、いつも通り、二人で練習した帰り道、もっと強くなりたいと話すと、彼は「一緒に今のクラブチームを辞めて、僕が所属しているクラブチームに来ない?」と提案してきた。

どうせなら一緒に全国を目指している親友も呼びたいから、日にちを教えてくれと頼んだところ、
「何言ってるの?今から行くんだよ」と言った。

そして、彼は私のPASMOケースを奪い、私の勝手に帰りとは別の電車の改札にピッとしてこう言った。
「閉まる前に早く通って!
私は半ば強引にそのクラブチームに連れて行かれた。

その強引に連れて行かれたクラブチームを運営している代表が熊徹だったのだ。

あの時はこの人がこんなに私の人生に大きく関わることになるとは、思わなかった。


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