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【第6回】『ピース』ヴァンフォーレ甲府観戦記~J2リーグ第4・5節 vs山形・いわき~

投稿を少しご無沙汰していました。久しぶりの投稿ということで、山形戦といわき戦をまとめてという形になりますが、ご了承ください。
今までの投稿とはかなり毛色が違いますが、ある意味で本当の観戦記とはこういうものなのかな、という思いもあり、筆をとることにしました。2024年3月24日(日)8:30、甲府発名古屋行きのバスの車内から、ヴァンフォーレ甲府観戦記の第6回を始めます。

僕のヴァンフォーレ観戦

小瀬スポーツ公園陸上競技場に初めて観戦に訪れたのは、恐らく自分がまだ赤ん坊の頃。自分の家族と親戚みんなで仕切りの無いベンチに座り、子どもたちは出店の食べ物に夢中で、僕は誰かの腕の中で眠っていたと思います。甲府は万年J2で、でも少しずつ良くなっていくのかな、というところから、自分もそれと共に成長し、甲府が悲願のJ1参入をした2006年あたりから、自分も一サポーターとして試合を見始めました。

それからエース・バレーの移籍やJ2降格を経て、気づけば甲府の試合をまともに見る家族は父と祖母と僕だけになっていました。そして見る人間が少なくなった分、その3人はとても熱心に観戦していて、たまに全然試合に興味の無い母にも会場への送迎をしてもらったりしながら、ヴァンフォーレの歴史を見つめてきました。

フェアプレー宣言に参加したり、サポーター感謝デーの抽選で一番上の賞が当たったり、そんな印象的な思い出もあれば、塩試合に口を噤んだ帰り道、練習を見に行ったあと父と食べたすき家のカレーみたいなささやかな思い出もあり、自分の成長期はなんだかんだでヴァンフォーレ甲府と共にありました。2017年の降格を祖母と共にDAZNで見届け、初めてスポーツ観戦で涙を流すほどの悔しさを味わい、2022年の天皇杯優勝を一人日産の地で見届け、初めてスポーツ観戦で涙を流すほどの喜びを知りました。普段動かない家族のグループLINEで父と喜びを分かち合ったり、特に追ってはいない母や姉にささやかながら祝福を受けたり、やはりヴァンフォーレ甲府は自分の人生のとても大切なピースで、家族と自分をつなぐ一つの存在でした。

歳をとるということ

去る2023年11月27日、下っ端社員の僕は会社の忘年会のため会場確保に奔走していました。部長にダメ出しも協力もいただきながら、慣れない幹事の仕事を残業しながらこなそうと必死でした。
定時を少し過ぎた頃、普段動かない家族のグループLINEに父から「今夜時間はあるか」とのメッセージがあり、個人LINEには祖母の体調が思わしくない旨が送られていました。

大急ぎで帰宅し20:30前にようやく家族でグループ通話が開始され、祖母はステージ4の肺がんにおかされていること、そのがんは脳にも転移していること、祖母は頑なに延命治療を拒んでいること、いつ何が起きてもおかしくないことが、実の長男である父の口から伝えられました。あまり実感がわかず、とりあえず両親を労った気がします。

それから、緩和ケアを中心とした、祖母の「看病」が始まりました。普段地元に居ない僕と兄に代わり、両親と姉が献身的に祖母の残り僅かな余生を支えました。寂しくないように、苦しくないように、ただ穏やかに、幸せに天寿を全うできるように、その覚悟を固めるように3人は祖母に寄り添いました。

年末には自宅療養が許可され、僕や兄も含め家族みんなで年を越すことができました。少ししか居られなかったけれど、祖母も楽しみにしていた紅白歌合戦を一緒に見ることができました。仕事でまた戻らなければなりませんでしたが、最後まで祖母の元気そうな姿を実家で見ることができました。

2月には祖母が89歳の誕生日を迎えました。緩和ケアの施設で職員の方にも囲まれながら、大好きなピザや海鮮丼を美味しそうに食べる祖母の姿を、リモートながら見守りました。翌週には兄も共に帰省し、家族みんなで施設の周りを散歩して、綺麗に咲いていた梅の花をバックに写真を撮りました。そして、はっきりと祖母の口から「苦しい」「お願いだから早く逝きたい」「楽になりたい」「もう思い残すことは何も無い」という言葉を耳にしました。何も言えませんでした。試合の時、小瀬の出店に買いに行くのに、いつも決まってお小遣いをくれた祖母のふくよかな体が、とてもとても小さく見えました。

第4節・山形戦

その日、僕は大学の部活の後輩の卒業ライブを見届けに行っていた関係で、試合は次の日に見逃し配信を見ようと思っていました。後輩たちと夜中まで飲んで、大学生気分で目を覚ました日曜の朝、父からLINEが入っていました。「脈が怪しく、今日の昼までしかもたないかもしれない」というのが、主治医の見解であるとのことでした。

その日も後輩たちのライブはあったのですが、参加はとりやめ、急遽在宅勤務と帰省の準備をすることになりました。休日の中多大なご迷惑を承知で上司の協力を仰ぎ、荷造りをして3時名古屋発甲府行きのバスに飛び乗りました。準備のBGMにしていた山形vs甲府の一戦は、ウタカの一撃で勝利していました。ジマの完璧なアシストが凄く嬉しかったけれど、ロクにインタビューも見ることができませんでした。今思えば凄く大切な試合を大切な人たちでよく勝ったなと思います。フットボールの喜びをじっくり噛み締められる日常は、とても幸せなことだと理解しました。

最後の空間

生きている間にはもう会えないことを覚悟していましたが、日曜の夜に病室に着くと、比較的落ち着いた呼吸で眠っていました。声をかけても、肩を叩いても目を開けることはありませんでしたが、握った手は握り返すし、家族と会話をしていると少し表情に動きが見えました。強くて明るい祖母の姿は、まだそこにありました。

月曜もあまり様子に変わりは無く、家族で交代で寄り添いながら、19日(火)を迎えました。前日に有給を消化していたため、この日は在宅勤務で全日作業をさせてもらいました。午後は、祖母の病室で作業をしました。傍らには父がいて、うたた寝したり、趣味の話をしたりしていました。祖母が元気なら、この3人で明日のいわき戦だって見に行けたのに、と祖母が元気じゃないから自分が今祖母の近くにいる現実を無視して、無責任なことを思っていました。

18時を過ぎ、仕事を片付けていた母も病室に到着しました。昼に病室に到着した時90を超えていた祖母のパルスオキシメーターの数値は、夕方には75まで落ち込み、脈拍は140~160の間を推移し、39度を超える発熱をしていました。吸引が意味をなさないほど溜まりに溜まった痰が祖母の呼吸を難しくしていましたが、信じ難いほどの生命力で祖母は闘っていました。本人が終わりを望み、家族がそれを受け入れたこの数ヶ月の闘いの最後の最後に、祖母は魂を燃やしていました。

父が病室に残り、母と自分は帰って、家で待つ家族と食事・休養を取ることにしました。連日予断を許さない状況の中で、家族も確実に疲弊していました。一日仕事をしていた母に続き自分も病室を出ようとしたのですが、どうしても、と踵を返し、祖母の傍らに腰を下ろして、「またね」と声を掛けました。疲れのあろう母も引き返し、二三言声を掛けていたと思います。

施設の駐車場を出て5分程度が経った頃、父から祖母の「息が止まりそう」との連絡を受け、再び急いで病室に向かいました。施設に入ると、夜勤の職員さんは受付にいませんでした。病室の引き戸を開けると、壁際に立っていた職員さんは母と自分を病室奥に促し、父はベッド横の椅子を立ちました。母が祖母の亡骸を労り、声を掛けている間、僕はさめざめと泣くことしかできませんでした。最後に祖母とヴァンフォーレの試合を見たのはいつだったろうか、正直今となってはわかりません。

第5節・いわき戦

祖母を連れ帰り、祭壇がこしらえられた翌日、父は弔問客の対応と葬儀の準備に奔走し、僕は兄弟と暢気に過ごしていました。そんな中いわき戦がキックオフし、後半ゲームが中断したところで祖母の湯灌が始まりました。丁寧に身が清められていく様を姉と見守りました。遺族がご遺体を拭いてあげるタイミングがあったのですが、姉にお願いして、それも見守っていました。湯灌と死化粧が終わりリビングに戻ると、外で吹き荒れていた暴風は幾分か止んでいました。

ゲームの内容・結果は満足のいくものでは無いですが、まだ何も遅くないし、これから始められることがたくさんあります。僕はサポーターとして、まだ歌い見守ることしかできませんが、祖母の分まで、という思いでこれから応援することはできそうです。始めましょう。僕らはチームで、ヴァンフォーレ甲府ファミリーです。

21.22日(木・金)に通夜・告別式が行われました。告別式の夜は家族で祖母の好物だったピザを食べました。祖母の遺影を持ってきて、少しだけU23日本代表の試合も一緒に見ました。20日(水・祝)には暴風が吹き荒れ、23日(土)には名残りの雪が降ったので、穏やかな日柄の2日間に祖母を見送ることができて本当に良かったと思います。いつでも明るかった、実に祖母らしい旅立ちでした。

それぞれの旅

2024年3月24日(日)11:00、バスはまだ着きませんが、14:00からはJ2リーグ第6節・長崎戦。出発前、父から「おばあちゃんと一緒に見るぞ」と約束をされたので、早いところこの観戦記を書き上げて試合に備えなくてはなりません。

人間生きていれば、無様なところを見せて惨めさに押し潰されそうになる時もあるし、しょうもないことに可笑しさや苛立ちを感じる時もあって、それでも最後に笑えれば、と信じています。旅は続きます。旅が続いている限り、それは場所や時間を超えて、きっと何かを繋ぎます。分かち合える幸せを胸に、改めて長いシーズンを楽しみましょう。

ありがとうございました。
どうか安らかに。

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