失敗は成功の原石だが…原石は探しにいかないと見つからない。

noteではスタートの挨拶を何にすればよいのだろうか。いきなりどうでも良いことにブチあたった。

私はこの記事を通勤電車で書いています。ですので「おはようございます」か「こんばんは」かどちらかなんです。しかし読んでいただく方の時間は人それぞれなので「おはようございます!」かも「こんにちは。」かもわからないわけなんですよね~…


おはこんばんにちは。いなです。


先日、5,6年ぶりに合う先輩方と新宿で飲む機会を頂きました。「とんちゃん」というサムギョプサルお店でした。「駅から遠っ!!」と思いましたがとても有名なお店だそうでめちゃめちゃうまかった。とんちゃんは10日くらい連続で食べても飽きない気がしました。東京の社会人はこんなおいしいお店を知っているんだなぁと変なところで感動してしまう埼玉県人です。

失敗は気付くもの

その先輩方には大学生の頃にとてもかわいがって頂きました。そんなわけで私は久々に会うのを非常に楽しみにしてました。

いざ会が始まってちょっとテンション上がった私。さけさけの液の能力『気が大きくなる』を遺憾なく発揮してベラベラとくだらない持論を展開してしまうわけです。それをうんうんと聞いてくれる先輩たち。優しすぎる( ;∀;) 体感では70%くらい私が喋ってました。4人もいたのに…。実際はそうでなかったことを祈ります。


翌日にとても後悔するわけです。みなさんも経験があるのではないでしょうか?後悔してどうしようもなかった私は謝罪の連絡をしました。

「気にしないで~」「面白かったね~」「そんなときもあるよ~」とか言ってくださるんですよ。優しすぎる( ;∀;) これで私は救わました。


何かのできごとに対して失敗であったと気付いて、行動を起こさなくては!と思うことは大切ではなかろうか。このようなお酒の席での出来事を失敗と思うかどうかは人それぞれかもしれません。ですが自分だけが失敗だと思うような小さなことでも気付いて行動を起こす。その行動が自分の何かを変えるはずです。


自ら学べるのは失敗に気付いたときだけ

タイトル以上の意味はもうないんですが。自分が成長する方法って1つしかない。

失敗して、そのことに気が付いて、どうするべきか考えて、行動を起こす。

PDCAみたいですよね。


失敗から学べることはなんとなく知っていると思うんです。「失敗は成功の元」なんてのも聞いたことがあると思います。しかし失敗を感知することについては見聞きしたことがなくないですか?

失敗って万人に共通していないし、他人から「それは失敗だよ」と教わることだけが失敗ではない。自分のセンサーで気付くしかないんです。

失敗は成功の原石だけど、その原石は自分で拾わないと成功にできない。

すごく横暴な態度の人もいればすごく紳士的で低姿勢な人もいます。紳士的な人は失敗から学んでそのような態度が成功のための行動であることにたどり着いたのだと思います。

横暴な人はその態度を失敗と思わずそうなっている可能性があります。失敗のセンサーの差なんです。


失敗ばかりしていると「自分はダメだ」と思いがちです。それはダメなことではないんです。それを失敗と気がついている点で伸びしろがあるってことです。

失敗したなと思ったら改善するために行動すればいいんです。むしろ失敗しない人(失敗に気が付いていない人)はそこがその人の完成形でそれ以上の成長は望めない。

失敗した後に考えたことが書籍になっている

私は就職してまさかの研究職となりました。研究を仕事にするつもりはなかったので卒研では深く考えずに先生からの指示をただただ全うしていました。

就職して最初の仕事は自分がこれから進める研究の勉強でした。しかも大学の時に全く分からなくて(理解する気もない)電気化学でした。最初の2年間は本当に地獄だった。


そんな時に便利ツールとして出会ったのがGoogle scholarでした。使い方は通常のGoogle検索と同じですが、検索結果が論文や特許が主になるんです。学術誌の目次開かなくっていいってめちゃめちゃ便利。

Google scholarのトップページには『巨人の肩の上に立つ』と謎の言葉が書かれています。どうやらかの有名なアイザック・ニュートンの言葉だそう。

過去の偉大な研究者たちの1つ1つの成果が積み重なって巨人となり、その上に自分は立っている。自分一人で研究成果出しているのではなく、過去の成果があったからこそ自分の研究が成り立っているということを指した言葉だそうだ。


自己啓発本などもまさにそれである。毎日のように様々な本が出版されている。それらの本を読んで学び、自分のアウトプットを出すことはまさに巨人の肩の上に立つ行為だ。

偉人たちは自分たちの成功の秘訣を余すところなく伝えてくれている。これを使わない手はない。そこに自分のオリジナルのエッセンスを加えたら間違いなく人類最高のテクニックに仕上がることだろう。

偉人たちはなぜそんなすごい知恵を生み出すことができたのか?偉人もはじめは普通の人であった。普通と違うのは自分の些細な失敗に気が付き、考えて改善することを人よりも多く繰り返したんだと私は思っている。たくさん失敗することは偉大な人になるための一歩一歩だ。


全ての人は失敗から学んで成長できる。だけど失敗に気が付くことができるかは自分次第である。常に自分の行動が正しかったのか客観的な判断をしていきたいものです。


我が家の夕食の鶏肉を国産に変更させて頂きます!よろしくお願いします!