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続・探究学習

この3年間、親として子どもたちの探究学習を見てきて、低学年の探究学習は、宿題として好きなことをまとめたり作るタイプ、提出は数ヶ月の間に好きな回数でOKという、夏休みの自由研究のミニバージョンが最適解のような気がしています。ただ、「研究」という言葉を使わない、期限をガッチリ決めすぎないこともポイントのような気がしています。その理由は、そういうタイプの子どもたちの「宿題」は個性に溢れていて、心から好きなことだったら完成度もこんなに高まるんだと感動したその中には、時間の自由度みたいなものが感じられたり、教科という枠組みも関係なく、また、取ってつけたような完成度でなく好きだから続けた結果というようなものを感じたから。ちなみに我が子の「宿題」は、まとめ方が綺麗というわけでもなく、見栄えのするようなものでもなかったのですが、本人は、「この中の「ここの部分」に感動した!」とか、「ここが美しいと思う!」とsparkleに満ち溢れていて、この年齢でその感覚に出会える機会を作ってもらえたことに、親として嬉しくなりました。

逆に、発表の方法などに関する学びの積み重ねがない日本のカリキュラムの中で低学年から発表プロジェクトのようなものをやること、また低学年が決まった課題の中のプレゼンテーションをするとなると先生の指導の差(引き出す力)に依存しすぎてしまい、こちらを今の公教育の現場に求めるのはToo Muchで、個人的にはなしにしたほうがいいと感じた部分。探究学習というカタチから入るのではなく、探究学習に何を求めているのかという要素を分解していくことが必要という印象。

日本の現状の教育の中で、低学年の段階でプレゼンを学習させたいなら、毎回国語の時間の最初に30秒〜1分間スピーチをする、授業でまとめたことを発表させる、というくらい軽い負荷の方が良さそう。ちなみに、小4以降の子ども達のプレゼンはまた別次元だったので、学年によってかなり調整が必要な印象でした。

知見を溜めて常に改良していってほしいと思いますが、切り捨てられる作業はどんどん減らし、無謀すぎる課題は一旦減らして、先生方の負担を減らすことが最優先。高い目標を掲げるのと同時に、今何ができるのかに目を向けることも必要だと感じています。


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