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自己紹介|はじめてのnote

この度  "禅と仏教をわかりやすく"  を考える場として、noteを立ち上げることにしました。

はじめまして、杉本虚道(すぎもときどう)と申します。臨済宗の僧侶です。ご挨拶の代わりにnoteを立ち上げようと思った経緯や、noteでどんなことをしていきたいのかについて書き記しておこうと思います。

みなさんは、仏教にご関心がありますか? 最近、お寺に行かれたことがありますか?

私は、令和五年の夏に、それまで20年近く住職を勤めてまいりました京都にある小さな禅寺の住職を辞し、その職を弟子に託し、家族とともにフランスに移り住み、第二の僧侶人生を歩んでおります。住職を辞してから、最もしたかったことは仏教の勉強です。

中でも  "縁起"  についての思索です。

その理由を一言で言えば、おもしろいからです。

みなさんも  "縁起"  という言葉を口にしたことがあると思います。実はこの  "縁起"  という言葉ですが、その日常的用法は全く根本的に誤解されて用いられているのです。

私が縁起に魅了され、その思索に入ったのは、ある書籍との出合いをきっかけに平成三十年の秋頃からはじめました。その思索を続けていく内に、禅宗の僧侶でありながら、禅や宗派に対する疑念がわいてきました。そして私は一端、禅から距離をおき、初期仏教や大乗仏教、老荘思想や西洋近代哲学、そして量子力学を参照にしならがら、縁起の思索を続けてまいりました。そしてその思索に立って、あらためて般若心経など経典や禅語などを読みあらためてきました。

そして数年以上にわたり、疑念をいだき続けてきた禅へのわだかまりが溶け、ここにあらためて禅を素直に受け止めることができるに至りました。

そして、これまでの思索、これからも続く思索を  "縁起の研究"  と題して、仏教にご関心のある方に、お伝えできないものかと思うに至ったのです。ここに至って信頼厚い知人の和尚様に相談したところ、noteを勧めていただき、この度アカウントを開設することにしました。

この場でお話ししていくことは、これから徐々にお伝えしていきたいと思いますが、まずは私の立場をお伝えしておきます。それは僧侶であることですす。どこまでも僧侶であることです。

私は大学の教授でも、仏教学者でも、哲学者でもありません。一介の隠居の僧侶です。その隠居の僧侶の立場で、成るがままに観る思索が、この  "縁起の研究"  です。

ただ、私としては誠心誠意、仏祖祖師方への尊崇の念とともに試みたものであって、決して軽薄な思いで執筆するものでないことをお誓いいたします。ぜひ多くの方に最後までお読みいただき、仏教の理解と、仏道の実践の手助けに寄与することになれば幸いです。

そして一人でも多くの方が、仏教へ関心を持たれ、和尚さんと話しに、お寺に行こうと思っていただければ、望外の喜びです。

              令和六年十二月吉日 普門軒十四世虚道 九拝 

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