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コピーバンドの美学について考えた

ある芝居を観た帰り、不意に思い立ってザ・バッドボーイズの『MEET THE BAD BOYS』を愛車のカーステレオからBluetooth経由で爆音リスニングした。

ザ・バッドボーイズは、のちにオフコースに加入する清水仁が【ポール・マッカートニー役】で在籍した〈ビートルズのコピーバンド〉である。

え?コピー?カバーじゃないの?

違うのである。ジャケットをご覧頂きたい。

ザ・バッドボーイズ『MEET THE BAD BOYS』

ビートルズのセカンドアルバム『With The Beatles』の有名なジャケットデザインそのまま。内容も演奏はおろか日本編集盤ファーストアルバム『ビートルズ!』と曲順まで同じ、それどころかレコード会社まで同じ東芝EMIという念の入れようのコピー度なのである。

with the beatles
日本国内編集盤『ビートルズ!』

いや、もちろん、使用楽器が微妙に違ったり、歌い方のニュアンスや、ブルースハープをクロスキーで吹いているところをストレートキーで吹いていたり…と、細かい事を言えばキリがないが、「どこまでもビートルズ愛が強くて、コピーせずにはいられなかった」という若者たちの情熱はビンビンに伝わってくる。

で、それは「オリジナルであるビートルズが同じように大好きで、その大好きというコンテクストを共有出来る」という意味において、微笑ましくも好意を持って聴ける作品なのだ。

ダニー・ボイルの映画『Yesterday』やかわぐちかいじの漫画『僕はビートルズ』のようにビートルズに関する if を扱った作品では、「ビートルズを知らない世界」あるいは「ビートルズより前にビートルズの曲を発表してしまう」というビートルズを共通のコンテクストとして持つがゆえに、そのコンテクストを持たない世界へのファンタジーが描かれる。

映画『Yesterday』 漫画『僕はビートルズ』

いずれにしても、【ビートルズ】は巨大な共通理解だ。世界言語と言ってしまってもいい。だから解散して50年以上経った今でも世界中に数多のコピーバンドが存在し、その世界言語を世界中の人が〈自ら演奏したり〉〈誰かの演奏を聴いたり〉して楽しんでいる。そして、それはビートルズのオリジナルを知らない人にとっては【オリジナルへの入口】にもなるという機能を果たしている。

似たような機能は「この間カラオケであいつが歌っていた曲」にも存在する。知らない曲をカラオケで聴いて、いい曲だと思ってオリジナルを聴いてファンになる・購入する。というのは、現代の音楽産業を支える消費構造のひとつだ。

ま、些か乱暴に言い換えてみれば、コピーバンドとカラオケは構造としては同じ。丁寧に言えば、機能を共有する部分があると言えそうだ。

さて、では演劇ではどうか?

ビートルズは複製・放送・再販されることで多くの人に共有された。その背景にはテクノロジーの進化とマーケットの拡大があるわけだが、それに比べて演劇はアナログでアナクロだ。その機能の一部は映画などの映像表現で代替されてきたが、20世紀後半以降カンターとして「生の舞台ならでは」という表現への危機意識から「場の共有体験」に重きが置かれるようになり、小劇場演劇・ポストドラマ演劇などの勃興をもたらした。そうした意欲的で新しい表現が始まるのだが、皮肉にも「その場にいる」ことが重視されることで、それに伴ってポピュラリティはむしろ失われる傾向にもなった。

それでも、演劇に興味を向ける人たちにとって、例えば70年代以降の小劇場演劇というフィールドならば、唐十郎だとか、寺山修司だとか、佐藤信だとか、つかこうへいだとか、串田和美、野田秀樹、宮沢章夫、鴻上尚史、柄本明、平田オリザ、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、岡田利規、前田司郎、多田淳之介、岩井秀人なんて名前は共通言語なんだろうけど、それらを知らない人たちからしたら翻訳不可能性の高い言語でもあったりするのだ。

当然フォロワーや「コピー」が出現する。
劇作家が演出も兼ねる日本独特の傾向も影響し、「このように演出され上演されることを前提とした」劇作品が出現することになる。野田秀樹はその代表だ。言葉が最初から動きと連動して記載されており、【動き】【演出】をイメージしないまま戯曲だけを読んでも理解が難しいのが特徴だ。それだけ硬質な構造を持った作品だとも言える。

宮沢章夫や岩松了、平田オリザらはその強さに抗い「静かな演劇」を生み出すことになり、さらに岡田利規は言葉と動きを切り離す試みで成功するのだが、それはまた別の話。

ま、とにかく複製技術による再現性に頼れずポピュラリティは無いが硬質な構造を持つ演劇作品であればある限りコピー度を高めたい欲求は強くなるのは自然だ。

ビートルズはコピーバンドも再生産され続けているが、一方で換骨奪胎/脱構築再構築に成功した見事なカバーもコピー以上に数多い。

かく言う私もアーシーでヘヴィなブルースナンバーだった Come Together をレゲエアレンジで、Coca-cala he sayをPepsi cola he sayに、muddy water を bob marley に…など歌い換えて【カバー】したことがある。

19世紀以後、アートは市場で交換の対象にされたことにより、再現性に加えてオリジナリティを競うことになった。しかしオリジナリティを獲得するのは簡単な事ではない。

ビートルズの成功は第二次世界大戦が終わり、テクノロジーとマーケットと冷戦を背景とした文化帝国主義的傾向とシンクロしたことは間違いない。ハリウッド映画やバークリーメソッドによる音楽理論はそれを説明する言葉を獲得することによって支配的な文化となった。

などなどつらつら考えていたら大先輩の演出家・映像作家・現代美術家・エッセイストからビートルズの名曲をモチーフにした戯曲の演出のオファーが舞い込んだ。時間にして20分程度の時間での出来事。世界は言葉で出来ていて、言葉で説明出来ないことを説明しようと試みることで世界は広がっていく。そんな事に、また気付かされた。A Day In The Life

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