Day.5 こどもも色々あるよね
【昔はどんな子どもだったか】
とても小さい頃のことは覚えていないけれど、写真で振り返る限り、机の上でフルーチェでシャンプーをしていた。
幼稚園は自分のロッカーだけに荷物が収まらなかったのか隣のロッカーも勝手に自分のものにしてジャイアン状態になり、やさしい先生にやさしく注意されていた。
小学校低学年では新しいともだちに出会い、学校が終わったらひたすら虫を捕まえていた。蝉、カマキリ、トンボ、カブトムシ、クワガタ。
この友達が本当におもしろくて、矯正器具を付け始めた日には「これ入れ歯みたいに外れるんだよ」と言って一日に何回も外したり付けたりして披露してくれた。意味がわからない。
そう、まっすぐに意味がわからない人に興味をそそられ、気になってしまい、居心地が良く一緒にいたいと思ってしまうのは、この頃からずっとだ。
お互いクワガタを飼っていたので紹介し合うなどしたり、そのクワガタに名前をつけて家族ごっこをしていた。
公園や自然も、この頃からずっと好きだ。
小学校3年生で転校した。転校生というのは本当に、「動物園に新しい動物がきた」くらいの注目度で、物珍しさでめちゃくちゃ話しかけられてともだちがたくさんできた。人見知りだった私にとってぐいぐい来てもらえるのは有難かった。
3.4年生では野生遊びから少しませて、お昼休みはお絵描きをしたり恋バナにひたすら花を咲かせていた。学校が楽しくて仕方がなかった。この頃から週刊少年ジャンプを読み始めて、高校2年生くらいまでは少年漫画から少女漫画まで幅広くハマって読んでいた。
4年生が1番反抗期だったと思う。両親との喧嘩も多かったし、ちゃおで流行っていたギャル文字を真剣に練習して書いた通知表で先生に残念がられた。真面目なんだか不真面目なんだかわからない。
5年生でクラス替えをしたら圧倒的に馴染めず。馴染めないというか仲の良い人が3/30人くらい。持ち前の人見知りを存分に発揮し、クラス全員と仲が良い、というような3.4年生が嘘のように。
この頃から真面目だねと言われると共に私は真面目なんだ、と自分でレッテルをはった装いをしてしまい、もう八方塞がりに。
ただ今考えると不思議なのが、クラスではそういう装いをしていたけれど放課後の吹奏楽部ではほぼありのままでいられた。一日の中で2人の自分を使い分け、そして家では更に解放された自分になった。
中一で環境がまた変わると、一変。3.4年生状態が再来。クラスのたくさんの人と話せるようになり、家もクラスもあまり変わらない私へ。たのしくてたのしくて毎日学校が楽しかった。
中二でクラス替えをするとまた居心地が悪く、心からたのしいという時間は少なかった。そして学級委員になったが先生との相性が悪く理不尽が重なり、もう学校という小さな箱の中で生活するのが嫌でしょうがなかった。私はクラス替えに弱い体質か。
どんな子供だっただろうか。
こだわりが強くて好きなものと嫌なものがハッキリしていて、そして、環境の合う合わないが激しいこどもだったと思う。
納得できないことには同意せず、嫌なことは嫌と伝えていた。コンプレックスも多くはやくどこかに逃げ出したい、と、思っていたが今思うとこれはこれで清々しいこどもで良いじゃないかと今では思える。
勉強とクラリネット、それをストイックとも思わずに毎日こなして、毎日やっていることで自信を持っていた。何に関しても、基礎練がすきだった。いや、基礎練が好きというより、基礎を固めることでできることが増えていく手応えがすきだった。
一方で、よくない物事を何故か自分のせいだと思い込んでいたり、あまりにも沈むときがあったり、冷静になったりすることが多かった。自分だけがこんなことを思っているのではないか、どうしてそんな考え方ができるのか。本気で悩んでいた。
興味があることは体験させてくれる母だったから、やってみたいことは長くも短くも、全てやった。ピアノ、ダンス、クラリネット、英語、シンクロ、登山、、、。だから興味を口にするし、好奇心が多いこどもだったと思う。
かわいいものよりもかっこいいものにずっと惹かれていた。ラブandベリーだったら圧倒的ベリー派。
なんだか根本的にはあんまり今と変わらない気がする。だけど、自分に合う人がたくさんいる場所も存在する、ということを知ったり、こういう考え方もあるし、似た考えの人もいる、と知ったり、
知っていることや経験が増えたことでだいぶ楽になった。楽になったし、自分が自分の味方でさえあれば無敵だと思えるようになった。
こう考えると私はすこし、大人になれたのかもしれない。
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