思弁逃避行 02.ものたりないものもの

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【02.ものたりないものもの】

 馬刺しが好きだ。なぜか。うまいからだ。それなので馬刺しを食べるわけだ。

 それにしてもなんなのだろうか。馬刺しを食べるたびに思うのだが、なぜ馬刺しは「もうちょっとだけ食べたいな…」と思わせる量でしか出してくれないのだろうか。「もっとたくさん食べたい!」ではない。あくまで「もうちょっとだけ」なのだ。値段のせいだろうという正論を挟んでくる輩もいるだろうが、そういう話ではない。もしそうならもう少し値段が高くてもいいから、その「もうちょっとだけ」分を増やして欲しいくらいだ。

 例えば、他の贅沢なものを考えてみるとどうだ。

 寿司。

 おなかいっぱい食べられる。寿司も質の話をすればピンからキリまであるが、それでも寿司を食べるという行為に関しては、比較的手軽に満足できるはずだ。なんなら皆が満腹にやられ、手をつけられず表面がみるみると乾いてゆく寿司を私は数多く見てきた。他にも何かあるだろうか。

 焼肉。

 それはもうおなかいっぱい食べられる。むしろ腹に余裕をのこした状態で焼肉屋から家路に着いたことはないと言っても過言ではない。調子に乗って網に乗せすぎて、みるみるとただの炭と化していく肉を私は数多く見てきた。

 要は少し値の張る贅沢なものだから、というような単純な話ではないのだ。馬刺しを満足できるほど提供してくれるシステムが現在おおよそ組み上がっていないのだ。

 では逆に馬刺しと似て非なる位置にあるものは一体なんなのか。これに至ってはすでに答えが出ている。

 ファミチキ。

 あれは馬刺し同様に「もう一個くらい食べたいな…」とは思わせてくるものの、実際にもう一個食べるような、そんなはしたない真似は誰もしない。つまり、馬刺しが「もうちょっとだけ欲しい不足感を催す食べ物」だとすれば、ファミチキはそれに対抗する「もうちょっと欲しいが満足感を催す食べ物」なのである。

 何の話だ。

 つまり、なんだ、あの絶妙な量も含めて馬刺しなのだ。なんならあの絶妙な量をもってこそ馬刺しを馬刺したらしめるのだ。なので私はそれを含めて馬刺しを愛すしかないのである。

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