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「余白力」で人を巻き込む

少し前に、ある高校生がこんなことを言ってました。
「有名なまちづくりの組織をいくつか訪ねて来たけど、なんか違うんです。やってることはすごいんだけど、入りにくかったというか、、、。」
「作業に完璧を求められたり、皆すごいちゃんとしていたり、、、。」
うろ覚えですが、こんな感じの話でした。

今日の話は、最近いろんなところで言われる話だし、僕自身もよくする話なので、重複もいいところですが、それでもめちゃ大切なことなのでもう一回まとめようと思います。

コミュニティづくりにも人材教育にもチームビルディングにもつながるお話。

【「なんか関わりにくい」の「なんか」の正体】

すごいのだけど何か違う気がする。
やってることは興味があるんだけど、なんか入りにくい。

この「なんか」には、いくつかの要素があると思いますが、そのうちの一つが「隙がない」です。

ちゃんとしすぎて、関わる余白がない。(正確には「ちゃんとしようとしすぎていて」)自分の入れるような場所がない人・組織。

こうしてみると

「すごいことをやっている組織(人)」「優秀な組織」と
「関わりやすい組織」「人が集まる組織」は必ずしも一致しないことが見えて来ます。

「関わりやすさ」を求めた時に、関わる隙・余白がない組織を見ると「なんか」違う気がするんです。

逆に、関わりやすさは抜きにしてただ「何をやっているか」を見る時には、また変わってくるのかも。

【 余白 をつくる】

人も組織も、余白が実は一番大切です。
でも、絶妙な感覚でその余白を作るのって、実はすごく難しいし、最近の流行り言葉的に「自分は何もできないので、みんなに助けてもらわないと〜」って言えばいいかと言うと、そうではない。

結局、本当の余白を作るためにはありのままで生きるしかないんですよね。

うまくいくのも自分。できるのも自分。できないのも自分。
一気に「ありのままの自分」なんて絶対手に入らないから、一個ずつ「自分」を受け止めていく。いつの間にか気が楽になってる。いつの間にか、人が集まってる。
そんな感じ。

ちなみに、大学生の頃の濱野青年の一番の悩みがこのへんでした。いやー、悩んでたなー、本当。

そう考えると、今の学生は超すごいし、周りの人みんな「ありのまま」を受け止めすぎてて、最強かよって思いますね。


うまくいく時はうまくいく。いかない時は行かない。
好かれる人には好かれるし、好かれない人は仕方ない。

仏教では 諦める→明らめる(受け入れて、明らかにする)なんて言われますね。

ありのままで生きていく。
そして、好いてくれた人、集まってくれた人、助けてくれる人には丁寧に感謝する。

「人が集まる」ための本当のきっかけは、すごく単純で、とても奥深い。

コロナショックでみんな仕事とかイベントとかがなくなってるけど、こんな時こそ「お昼寝する」くらいの余裕と余白をみんなで作れるといいんだろうなー。


以下、濱野のTwitterです。

https://twitter.com/engao2525

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