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昔、言葉は思想であった 語源からみた現代(時事通信社)

「日本的な、これからの組織の姿」を洞察しようとするときに、カタカナでしか表せない言葉に出会うことが少なくない。言葉が表している範囲が違うこともその一因であり、さらには言葉が成立する背景としての世界の捉え方が違うらしい。

そんな問題意識の中で出会った一冊。プロローグに書いてあるこの文章が、端的にこの本の目指すことを書いている。

「昔は、言葉の一つひとつが、物事の感覚、思念そして関与を表すという意味での思想であった」と判明するに違いありません。言葉が混乱に見舞われれば、言葉を「広く高く正しく明るい」パースペクティブ(徹底的に見ること、つまり視界、perspective)で解釈し直し、そうすることによって言葉の意味の根源を探りつつ、そこにいかなる真善美の基準が胚胎しているかを洞察してみよう、その企てが本書です。
(プロローグ(prologue)より)

「言葉の一つひとつが思想であった」
この一言が自分の漠然とした問題意識に輪郭を与えてくれた。言葉というものを「思想」として理解したかったのだ。

この本の中では4つの分野(経済、社会、政治、文化)、108個の言葉が取り扱われる。決して、一つ一つを簡潔に定義しようとする試みではなく、語源をさかのぼりながら、その言葉のコンテキストを辿っていく。そんな書き方をされている。

例えば「世界」。

それは、ワールドが「直接の関与が可能な空間」であること、したがって世界は「俗界」のことだという点です。世俗の世界、つまり「世間」がワールドなのです。だから、世界は霊界や冥界と対比されるべき空間のことだとみなさなければなりません。(P.89)

こうやって、言葉がどのように成立してきたかを辿っていくことを108個で繰り返すことで、日本語の持っている「思想を洗練させていく構造」のようなものがぼんやりと見えてくる。

#言葉 #西洋と東洋 #思想

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