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「日本的なティール組織」を、河合隼雄を通じて考える(前編)

タイトルにつけた「日本的なティール組織」について、この半年くらいずっと考えてきました。

きっかけは、今春にギリシャで参加したNSWというイベント
そのときに、「ティールにおいて組織が目指す姿」として語ったことが、ヨーロッパからの参加者に、あまり芯を食って伝わらなかったこと。
一方で、彼/彼女らが「LeanやAgileはトヨタに学んだ」と言ってくれたように、「外」だからこそ見える日本の特徴もあるのだと感じたこと。

「"日本的"とはどういうことか?」
「そもそも"日本"にこだわる理由ってあるのか?」
グルグルとそんなことを思い巡らせている中で、大きな示唆をくれたのが河合隼雄であり、ユング心理学でした。

ちなみに、「日本」や「日本文化」という言葉も、厳密な定義は難しくなりますが、慶応の前野先生が「幸せの日本論」という著作の中で、「日本という国の文化的影響を強く受けた人」という表現をされています。

本書で書きたいことは、「日本という国の文化的影響を強く受けた人たちの平均像についての考察」に過ぎないというべきでしょう。ですから、日本国籍の人、という意味ではなく、「日本という国の文化的影響を強く受けた人」のことを(本来の定義とは違って)「日本人」と呼んでいる、くらいに柔軟にご理解いただければ助かります。(「幸せの日本論」P.10)

この表現はとてもいいなと思ったので、今回使っている「日本」という言葉もこれくらいの意味で捉えてもらえれば幸いです。

- - - 目次 - - -
(前編)
1.「ティール組織」の捉え直し
1.1 そもそも「ティール組織」って?
1.2 ユング心理学からの3つの示唆
1.3「ティール」というパラダイムの捉え直し
1.4「パラダイムの転換」と「具体的な課題解決」の距離
1.5「次の時代にあった組織」に求められることは?
(後編)
2.日本の文化にあった”ティール的”な組織とは?
2.1「日本」と「西洋」の4つの対比
2.2「文化」と「組織構造」の組み合わせ
2.3 西洋的な「次世代の組織」のプラクティス
2.4 日本的な「次世代の組織」の可能性とチャレンジ
2.5 求められる「適切な選択」
3. 最後に:次のパラダイムに向けた可能性
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1.「ティール組織」の捉え直し

1.1 そもそも「ティール組織」って?

これは既に良質な解説記事がたくさんあるので、今回は割愛。前にmediumに書いた記事に比較表をまとめたので、ご参考まで置いておきます。

1.2 ユング心理学からの3つの示唆

さて、冒頭にも触れた「日本的なティール組織とは?」という疑問を日々持っていた中で、たまたま、河合隼雄の本を取る機会がありました。
一応、心理学専攻だったので、20年ぶりくらい。
これが、とにかく面白かった。
「この先に何か見えるのでは」と直観的に思い、河合隼雄の本を大量に買い込みました。本当に、色々と面白いんですが、まずは「ユング心理学」について、今回の記事に関係するポイントを3つに絞ります。
 ①意識、個人的無意識、普遍的無意識
 ②「自我」と「自己」
 ③全体的(ホーリスティック)な考え方
(詳しく知りたい方は、出典元の書籍をぜひ読んでみて下さい)

①意識、個人的無意識、普遍的無意識

今では当たり前になっている「無意識」という言葉。ユングは、この無意識の中に「個人的無意識」「普遍的無意識」があると考えました。
この考え方は、聞いたことのある人が比較的多いのかもしれません。

普遍的無意識は、個人的に獲得されたものではなく、生来的なもので、人類一般に普遍的なものである。このような人類一般に共通のものにいたるまでに、ある家族に特徴的な家族的無意識とか、ある文化圏に共通に存在する文化的無意識などを考えることもできる。ユングはこれらを総称して、普遍的無意識と呼んでいることもある(「無意識の構造」P.33)

②「自我」と「自己」

さらにユングは、意識の中心としての「自我(Ego)」と、無意識を含めた心の中心としての「自己(self)」を区別して定義しています。

ユングはこのような事実を踏まえて、自我(ego)が意識の中心であるのに対して、自己(self)は人間の心の意識も無意識も全体を含んだものの中心である、と考えた。彼はこれを「自己は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものではなく、大きい円が小さい円を含むように、自我を包含する」と述べている。このように、自己は無意識内に存在するものだから、あくまでそれを直接に認識できないのであるが、そのはたらきを人間は意識することが出来る。(「心理療法序説」P.146)

この「自己(self)」自体は、無意識の中にあるので、私たちには直接捉えることができません。
河合隼雄は、カウンセラーとして沢山の人に接しているなかで、人の心の中に、自分の意識を超えて、ときには意識に試練を与えてまで、心を発達させようとする力があると感じました。

ここにわざわざユングの言っている自己という概念を持ち出さなくても良いようなものですが、これによって強調したい点はわれわれが「私」という場合、私という人間は、まとまりをもった主体性を持ったものだと思っているがそれはまだ十分ではない。われわれはともすればある段階で止まろうとするところを、まだ発展させようとする主体が、心の奥深くどこかにあると考えざるを得ないということです。そこで、自我と区別してわざわざ自己という概念を作り出したのです。 (「カウンセリングの実際」P.75)

③全体的(ホーリスティック)な考え方
先ほどの「意識に試練を与えてまで自己(self)は心を発達させようとする」という話にも通じますが、そのような動的なダイナミズムによって心の全体を捉えようとすることがユングの特徴である、と河合隼雄は述べています。

タイプ論にも見られることだが、2つの対立する考え方や立場などのどちらが正しいかを断定せず、両者の補償作用によるダイナミズムに注目し、常に全体的(ホーリスティック)にものごとを見ようとするのが、ユングの考えの特徴であり、それはまた彼の人間性の在り方を反映している。ユングという人は一筋縄ではとらえられない、普通では両立し難いようなものを多く内在させて生きていた人らしい。(「ユング心理学入門」P. xi)

また、今回は詳細は触れませんが、「夢分析」などもこの延長線上にあり、眠っている最中という自我(ego)が弱まっているときに、無意識の中にあるイメージとして浮かび上がってくるものと捉えています。
(このあたりのイメージの話もものすごく示唆深いんですが、これは、またの機会に…)

1.3 「ティール」というパラダイムの捉え直し

さて、このようなユングや河合隼雄の考え方に触れている中で、「ティール」というパラダイムに対して、今までとは違った捉え方が見えてきました。
それは、ティール組織は、シンプルに言えば「自己(self)」に基づく組織、という捉え方もできるのではないか?ということ。

そんな表現・説明をされているのは見たことはないのですが、そう捉えると、書籍「ティール組織」の中にも腑に落ちる表現が色々と出てきます。

進化型(ティール)パラダイムでは、内面の正しさを求める旅を続けると、自分が何者で、人生の目的は何か、という内省に駆り立てられる。人生の究極の目的は成功したり愛されたりすることではなく、自分自身の本当の姿を表現し、本当に自分らしい自分になるまで生き、生まれながら持っている才能や使命感を尊重し、人類やこの世界の役に立つことなのだ。(「ティール組織」P.76)
非日常的な意識状態(瞑想、黙想、幻想、フロー体験、至高体験)はどのような意識段階でも得られるが、進化型(ティール)パラダイムから先では、人々は定期的にこうした状態に浸る実践を通じて、人間の経験の全領域に触れようとする。(「ティール組織」P.81)
進化型(ティール)の段階になると、全体性(ホールネス)を心の底から渇望するようになる。エゴと自分自身の深い部分を突き合わせ、心、身体、魂を統合し、内部の女性らしい部分と男性らしい部分を発掘し、他の人と充実した関係を築き、人生と自然との壊れた関係を修繕する状態を望むようになる。進化型(ティール)パラダイムへの移行は、しばしば超越的な精神領域への解放と、私たちが大きな一つの完全体の中でつながり、その一部であるという深い感覚とともに起こる。(「ティール組織」P.82)

このあたりの文章は、どれも、河合隼雄が意識と無意識を含めた「心の発達」について述べていることと、とても多くの共通点が見つかります。

さらに、この捉え方をすると、Red、Amber、Orange、Greenというステージも、「“自我”が主体の組織としての発達」と読み解き直すことができます。
これはざっくり言えば、「プロセス志向→目的志向へのシフト」と「目的の複雑性の増加」の2つの要因で捉えられます。

Redでは、個人の目的を達成するために、「力」によってプロセスを支配します。この段階はImpulsive(衝動)と特徴づけられているように、理性よりも欲求によって動いています。

Amberに進むと、プロセスが「力の支配」から「役割の徹底」にシフトし、意識(自我)による理性的な対応が求められるようになります。

これがOrangeへ変わると、「プロセス」から「共通の目的の達成」へと力点がシフトします。目的達成のためには、Amberにおける理性的な順応(conformist)だけではなく、プロセスに創意工夫を凝らす「自由」が与えらます。もしくは、創造的に「ならなければならない」とも言えるのかもしれません。

さらにGreenについては、この延長で考えると、「成果」と「関係性」という2つの共通目的を両立させようとする段階、と捉えると個人的にはスッキリします。
すなわち、OrangeからGreenへの進化は、「1つの目的の追求」から「2つの目的の追求」への進化、と捉えます。目的が1つ(=成果の達成)だけであれば、極論すれば、全ての判断は「達成に貢献するか?」を基準にしていれば間違いありません。ところが、目的が2つ(=成果の達成 + 良好な関係性)になると、その都度、2つの目的の中で最適解を模索し、創り出すことが必要になります。
この複雑性への対応がGreenへの進化の本質であって、「たまたま」2つ目が良好な関係性であった、くらいに見ると、Greenという段階がスッキリと捉えられます。

では、この延長で考えると、Tealというパラダイムはどのように捉えられるのか?
Red、Amber、Orange、Greenという進化は、
「欲求→理性」
「プロセスの遵守→プロセスの創造」
「1つの目的の達成→2つの目的の両立」
というように、「意識(自我)」の中でより複雑なことへ適応していく進化でした。
ここから先、GreenからTealへのシフトというのは、「自我(=意識の中心)」から「自己(=意識も無意識も含めた心の中心)」へと、主体が変わっていくことを意味する、と捉えられるのではないか。

ちなみに、ティール組織の特徴として、「全体性」「進化的な目的」「セルフマネジメント」の3つが挙げられています。
ここでいう「全体性」を、無意識までを含めた「心の全体」と捉え、「進化的な目的」を、自己(self)の持っている「心を発展させようとする力」と捉えると、それぞれ面白いくらいによく符合します。
(そして、「セルフマネジメント」も、文字通りに「自己(self)」によるマネジメント……というのは、さすがに良くできた駄洒落みたいですが)

1.4 「パラダイムの転換」と「具体的な課題解決」の距離

ここまで極端(?)なTealの捉え方をしてみると、もはや、ティール組織というものが「実在」するのかよく分からなくなります。
「ティールを実現している具体例は?」
「どうすればティールに変われるのか?」
といった問いを立てることにも、あまり意味を感じられません。

そして、私自身、これはこれで良いんだと思うようになりました。
「パラダイムの転換」の話と、「具体的な課題解決」の話は違う、ものすごく平たく言えば、「ティールという言葉にこだわったところで、具体的な課題解決にはつながらない」わけです。

個人的に好きな話として、天動説から地動説へのパラダイムシフトが起きたのは、新たな理論や根拠の登場、もしくは侃々諤々の議論の末に決着した、といったことではなく、“世代交代”によるのだ、という話があります(「君に友だちはいらない」より)

ティール組織という話も、これと同じような側面があります。
パラダイムが変わっていることは(おそらく)間違いないのですが、「どのように自分たちの組織を良くするか?」という目の前にある具体的な課題解決とは、論点が違います。
この2つが「明確に違う」ものであり、両者の間には「距離の開きがある」ということを前提に置く必要があります。

また、敢えて言えば、「ティール」という言葉にとらわれすぎる「弊害」もあります。これも例を挙げると、IQ(知能指数)に関する山岸俊男の話が印象的でした。

しかし、一般に知能指数とかIQとか呼ばれる一つの数字で知能を測ることが出来るという考え方は、心理学者が研究に用いる(他にもたくさんある中の一つの)道具という意味を超えて、一つの知能観を生み出しました。
その知能観というのは、人間の知能は一次元的なものであり、人々は知能の高低によって一列に順序付けることができるという考え方です。
(中略)
この考え方を、つまり頭のいい人、知能の高い人はどんな知的活動においても優れているという考え方を、心理学の専門家の間では「一般知能因子」説と呼んでいます。実は心理学の専門家の間ではこの一般知能因子説ないし一般知能説は現在では旗色が悪く、知能は単一のまとまりではなく、いくつかの質的に異なる知能に分かれているという考え方が優勢です。(「安心社会から信頼社会へ」P.144)

IQが「知能を客観的に測る」という意味で、心理学の発展に大きく寄与した一方で、人の知能が「一列に順序が付けられる」という知能観を広げることにつながりました。

「ティール」という言葉もまた、これと同じことが言えます。「進化の先の段階がある」という共通認識を広く作り出すことに貢献した一方で、「唯一絶対の正しいティール組織」や「正しい進化の方向性」がある、というような単純化を生みやすくなりました

1.5 「次の時代にあった組織」に求められることは?

では、改めて、何が必要になるのか?

私自身の実体験としても、世界中でティールという言葉がこれだけ広まったことを踏まえても、「次の時代にあった組織」の在り方が求められていることは強く感じます。
そのときに、「ティール」にとらわれすぎて、「ティールを目指す」のではなく、「次の組織には、具体的に何が求められているのか?」ということをきちんと問い直すことが必要なのだと思います。

私自身の仮説としては、それは以下の3点だと感じています。
①変化に適応するために「個」が自律的に動けること
②成果と関係性(つながり)の両方が追求されること
③現実のマーケットの中で生存できること

1つ目の「個の自律」は、機械的な組織から生命的な組織へ、という転換とも言えます。今あるテクノロジーを活かし、どうやって一人一人の自律的な対応が、全体としての変化への適応につながるのか。

2つ目の「成果と関係性(つながり)の両立」は、さきほどGreenのパラダイムで述べたことに通じます。河合隼雄はこれを「科学の知」と「神話の知」という中村雄二郎の表現を援用しています。(詳しくはまた別に書きます)

3つ目は、現実問題として、①②を実現しつつも、どうやって市場での競争環境の中で生き残り続けるのか。ここに自分たちなりのゴールとシナリオを描けるか。

これら①②③の3つの観点を踏まえた上で、ようやく、もとの問題意識に戻ります。
では、「日本的」な文化に根ざして、かつ、「次の時代」にあった組織とは、どのような形なのか?その可能性や、そこに向かうためのチャレンジは?

後編では、河合隼雄という心理療法家が捉えた「日本」と「西洋」の文化の違いを参照しながら、この問いを考えてみます。

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