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【翻訳メモ】INSIGHTS FOR THE JOURNEY

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■全体目次 https://note.com/enflow/n/n51b86f9d3e39 ■「ティール組織」の著者であるFrederic Laloux によるINSIGHTS…
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2021年4月の記事一覧

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【6.3】パーパス~天上の星に導かれて~(Purpose as the guiding star)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/63.html ■翻訳メモ 本パートの最初のビデオで、「存在目的」とは、単に組織の目的を明確に定義しただけのものではなく、それ以上の存在であることを話しました。今回のビデオでも引き続き、そしてさらにここを深めていきたいと思います。「存在目的」を知ることは、それほどまでに重要だからです。そして、それは、組織を運営していく上で、必要不可欠な要素でもあるからです。そこに至るには、「存在目的」は生命体であるという認識はたいへん重要です。そして、そのためには、組織の声を聞き取ること、つまり、「存在目的」を感知し、感応できるようにならなければなりません。 現在は多くの組織が「目的」を定義しています。しかし、そのほとんどは間違った設定の仕方をしていると言わざるを得ません。最近、それが流行しているから定めているという組織がとても多いように思います。年次報告書に書くために作りました、という組織もあります。ホームページに何か置かなくては、という目的で作った組織もあります。もしくは、マーケティング的な観点で、あるいは、従業員向けに発信するために作るというパターンさえあります。ビジョンを上手くバリューに落とし込めば、給料やエンプロイアビリティという観念からの切り離しに成功し、働く人たちをモチベートできる可能性があります。ただし、ティールで高い月給に言及しないのは、従業員のモチベーションを高めるためでも、ホームページを良く見せようとするためでもありません。そうではなく、組織とは、世の中で何か特別な使命を帯びているがゆえに存在している、そういう存在であることを忘れてはなりません。組織は多くの真実や美を世の中にもたらすために存在しています。また、組織とは、「世に現れたがっている何か」を乗せた船のようなものでもあります。それは、この世のものではないので、まだ名前はありません。それを表す言葉もありません。組織がそれを実行すること、つまり、その「存在目的」にずっと耳を傾ける続けることで、「その何か」はヴェールを解き、世に出現します。無理に「出現させる」というものではありません。耳を傾けるのは、ある意味、受動的なプロセスです。 私は以前、ロミー・ゲルハルトの書いた記事を読んで、心が吹き飛ぶような思いをしました。彼女は「システミック・コンステレーション」という、一種の認知療法を用います。この記事の中で彼女は、イタリアとオーストリアとの国境にある、あるホテルのオーナー家族の、信じられないような素晴らしいストーリーを紹介しています。彼らは、山の中に、以前のものより大規模な、そして、ハイエンドのスパホテルを建設する計画を持っていました。しかし、彼らはその計画だけで、6年、7年という歳月を費やしていました。その建設の過程は非常に困難で、たいへんなことが予想されたので、彼らは建設を開始できずにいました。そしてロミーはそれに手を差し伸べたのです。それはプロジェクトに対する家族それぞれも想いを、彼らの身体を通して湧き上がってくる感情に従い明らかにしていくというものでした。その身体の声だけがただしい答えというわけです。そして、結局、彼らは、そのプロジェクト自体を止めたいという感情を持っていることに気づきました。もしくは、継続するにしても、すべてをご破算にして、完全にゼロからやり直したいという感情も合わせて持っていました。そして、最終的には、彼らはゼロに戻って、最初から始める道を選んだのです。つまり、誰が図面を引くかというところから検討し直し、その設計にも計画が必要なのか、見直しました。そのため、建築許可も再度取り直すことになりました。担当する建築家も変わりました。部屋の価格設定やネーミングといったマーケティング的な要素や、それ以外にも、数えきれないほどの決定を変更することになりました。しかし、つまるところ、この主要な決断、要するに、最終判断を下すもとになる納得感は、内側にしかないのです。「正しい決定」というものが存在するのなら、それは、そのプロジェクトの「目的」に耳を傾け、そこから湧きあがってくる感情に気付く以外にはないのです。そして、その後、何が待ち受けていたか?—それは、信じられないほどのスムーズな進捗でした。彼らが再度計画を練り直す作業を始めてから、最初の顧客が宿泊したまでの時間は、わずか、1年強というものでした。私が先程、「心が吹き飛ぶ」と言った意味をお分かりいただけたかと思います。すべてが解放されたことによって、「容易」と「優雅」とが出現した、という表現がこの場合にふさわしいでしょうか。彼らには、「システミック・コンステレーション」という手法が適用されました。今、その瞬間に何が必要とされているのか、その直感的な答えを身体に求めるという方法でした。「存在目的」が語りかけてくることに耳をすますことが必要です。そして、感じ取った答えも、それが表面をひっかいただけのものでないか検証が必要です。それが、唯一の、明確な「存在目的」に至る道筋です。常にその声を聞こうとする態度が、私たちを導いてくれるのです。常にそうである続けることができれば、物事は信じられないほどスムーズに展開していくはずです。 「存在目的」を持つことが大切だという別の理由は、「セルフマネジメント」における様々なケースで、それがアライメントの役割を果たしてくれるからです。「セルフマネジメント」とは、すべての人に「力」が行き渡ったことによって「権力の階層」が解消した組織です。しかし、その組織が機能するには、なんらかの方向感、つまり、アライメントが必要になってきます。組織の「共有目的」が明確であるとそれがアライメントの役割を果たしてくれます。ただし、それは口でいうほど単純ではないことは先に申し上げておきます。 その流れで、次は、「ミッション・ステートメント」についてお話しします。組織の「目的」文章化することの是非についてです。ビュートゾルフを例にとると、彼らはステートメント、つまり「目的」を文章化することについては、その必要性を微塵も感じていません。彼らが「存在目的」を、本当にどこにも載せていないのか、それを調べるために彼らのウェブサイトを隅々までくまなく調べました。しかし、それらしきものは見当たりませんでした。また、それらしい表現さえも発見できませんでした。しかし、ビュートゾルフは「存在目的」に導かれた組織です。組織の「今の声」に絶えず耳を傾け、その「求め」に従っている組織です。彼らの「存在目的」は彼らのストーリーや日々の会話の中に生きていて、そして、はぐくまれています。 ではここで、あなたに質問します。あなたは「存在目的」を紙に書きだす必要があると思いますか?そして、その文章をホームページに載せる必要があると思いますか? その答えは・・・、非常に個人的な見解ではありますが、すべてが始まるきっかけとなった本、『ティール組織』の中に私の考えを書いておきました。この、「存在目的」に耳を傾けるという行為に対して、なぜそこに至ったのか定かではないのですが、しかし、なんらかの観点で、私はそれについて知る必要があると思ったのは事実です。この本を書こうと思ったきっかけになった、その理由はそこにあります。私はコンサルタントという仕事を通して、どんな形態の組織であっても、その組織にふさわしい「ミッション・ステートメント」が必要だという衝動にかられたことは一度もありません。対象が進化型の組織とその周りに形成されたエコシステムであっても同様です。それゆえに、もしあなたがホームページには企業の「目的」が書いてあることが当然と思っているのなら、先ほどの「ミッション・ステートメントを書くことは必要ですか」と尋ねた問いは意味があるはずです。ミッションやビジョンを文章に書き表すことが無意味だとは言いませんが、それによって、組織の持つ「いのち」を失うことは避けなければなりません。ミッションやビジョンを端的な表現で表すことが、必ずしも、生命エネルギーを失うことにつながると言っているのではありません。私も正解は分からないのです。例えば、それを載せるにしてもデザインの良し悪しという観点はあります。魅了するような言葉なのか、当然それも関連してきます。センテンスの長さ、あるいは、図のあるなしも関係してきます。動画という手段もあります。いずれにせよビジュアルは重要です。もし、ホームページにミッションやビジョンを掲載したいと思うなら、こだわりを持たなければ、ないほうがまし、ということにもなりかねません。 もし、今、あなたが、組織の「存在目的」を感じたい、それを明確にしたいと思うのなら、耳を傾け続ける以外に方法はありません。あなたがそれを感じとったならば、その「存在目的」自体も、あなたに合わせて変化するかもしれません。「存在目的」の感知を習慣化することは、組織におけるどんなチームにとっても意義があります。そして、次には、その「存在目的」に対する、自分たちにしかできない「貢献」とは何かを探求することが重要になります。多くの人は、文章化することにこだわりますが、それはたいして重要ではないのです。むしろそれよりも、いま言った、そのチームにしかできない「貢献」について、チーム内で対話を進めた方がはるかにいいのです。そうやって、その組織にとっての「正しい」貢献とは何か、その声を聞き分ける感覚が備わっていきます。もうお分かりだとは思いますが、私たちに求められているのは、「存在目的」に対しての、私たちにしかできない「貢献」なのです。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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【6.2】「拡大」と「保身」を乗り越えて(Beyond maximization and self-preservation)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/62.html ■翻訳メモ ひとえに今日、私たちは、「拡大」という、無限の持続不可能なレースを続けています。このレースは、特に、大企業に巨大なプレッシャーを与え続けています。彼らは常に大きくなることを求められ、そして、より多くの利益を創出する義務を負っています。それは企業だけでなく、非営利団体にも当てはまります。企業にとっての利益とまったく同じ考え方ですが、さらに多くの助成金を得ることができれば、組織をもうひと回り大きくできるという考え方です。世の中には、企業は成長し続けるもの、利益は増やし続けなければならないものとするコンセンサスがあります。私は15年間、組織で働き、その間、たくさんの経営陣と一緒に過ごし、そして、それらの経験をもとに本を書きました。しかし、とても残念なことに、その間にたった一人として、「目的」に立ち返り、その「目的」に従って経営すると言った経営者に出会うことはありませんでした。別の言い方をすると、その「目的」が成長を求めていないから成長戦略は採らないと言い放った人はいなかったということです。「目的」の声に従い、現実路線の成長、組織がやっていけるだけの利益さえあれば十分と言った人はいなかったのです。むしろ、仮に、彼らに「目的」の発する声が聞こえていたとしても、にもかかわらず、彼らにとっての最重要事項は利益の最大化であったのです。彼らの組織は、もし上手くいかないことが起こったら、皆、自己の保身に走ります。彼らは、自らの生活を守るために、法律が許す範囲内でできる限りのことをやり、それでもうまくいかない場合は、時に、法律さえ捻じ曲げてしまいます。「最大化」という執拗なまでのプレッシャーが強要するのです。 別の次元に移行したならば、組織は、主体性のある生命体として見なされることになります。そこではもう、無理くりの成長や拡大に意味は伴いません。なぜなら、その命を育くんでいるが組織そのものであるからです。自然の流れから逸脱して、そのまま居続けると、組織は、自らの体内に癌細胞を生成します。そして、それはその主人を死に追いやります。例えばですが、集団化して行為をなし続ける私たち人間は、地球における癌細胞なのではないかという危惧があります。私たちの行為は地球の自己回復能力を超え始めています。もし、私の見解を理解してもらえるのなら、自然の中に入って、自然を感じてください。自然界にはバランスが存在します。自然の中で、他を差し置いて、無限に成長しようとする特定の種を見つけることは難しいでしょう。例えば木を例にとると、―私は木が大好きなのですが―、木を切って年輪を見た時に、「今年はよく進捗した」という年や、「今年の伸びはいまいちだった」という年はないはずです。生きとし生ける物は、自然の法則したがって生きています。組織は毎年X%成長すべきだというのは、生命のあり方から逸脱したクレイジーな考えです。彼らの生き方は環境を無視した生き方ともいえます。毎年変わりなく、一定のインプットに対して一定のリターンを出し続けるだけの機械そのものです。もし、先ほどの木のように、組織を生命体として捉えるならば、いのちの源から湧き上がってくる声こそが「目的」なのです。 あらゆる生命には死の瞬間が訪れます。古い生命は自らの体を投げ出すことで、そのいのちは、次の世代へと引継がれていきます。組織の目的は最大化と自己保身であると信じて疑わず、ビジネスとはできうる限り大きくすることで、そうしなければ組織は生き残れないと思っている人がこの自然界の循環を知ったら、どう感じるのでしょうね。とても興味深く感じます。次は、あなたに質問したいと思います。あなたは、これらのパラダイムのうち、どちらを生きていますか? あなたはまだ最大化と自己保身のパラダイムにいるのですか?それとも、真の「目的」について、その意味に想いを巡らせ、必要とされない成長や利益を放棄できますか?もし、少なくともその時点で、今以上の成長は必要なく、多くの利益を上げる必要ないというのなら、その組織は、自然の運行の中にあるといえます。そして、そのいのちある組織は、新たな「目的」を実践する新たな生命体へとその「目的」を引き渡すために、やがて死を迎える運命にあります。あらゆるいのちある組織は死の準備さえもできているものです。 ではここで二つ、事例を挙げたいと思います。一つ目は、ビュートゾルフ社の例です。このオランダの看護団体は「セルフマネジメント」という「秘密のソース」によって運営されています。つまり、組織が完全に自己修正できるように運営されているということです。別の言い方をすると、今、「秘密のソース」と言った「セルフマネジメント」が、見事にはまっているということです。また、彼らは、その「秘密」を「秘密」のままにして隠す気はまったくないといった様子です。組織の中に看護師が存在するというのは他の団体と同じです。注射器と包帯が存在するのも同じです。昔ながらの組織では、そんないいことは競合にばれないように隠し通そうとするでしょう。しかし、彼らはそれをする気はないのです。その理由は…、競合他社は決してその「秘密」を探し当てることができない、それゆえ模倣することもできないことが彼らには分かっているからです。なぜなら、その「秘密」が、それが発見できない理由そのものだからです。しかし、最大化と自己保身のパラダイムからの視点だと、その「秘密」も様相が変わってきます。「介護患者が自律的に生活を送れるよう、優れたケアを提供すること」が「目的」になってくると、その「秘密」は「秘密」ではなくなってしまうのです。ビュートゾルフはそれを行うためのひとつの乗り物に過ぎなくなってきます。創始者のヨス・デ・ブロック が早い段階で何をしたかというと、彼はすべての運営手法を詳細に記した本を出版したのです。これこそまさにビュートゾルフ と思わせるようなことなのですが、彼は初版本が刷り上がったとき、それをすべての競合他社に贈ったのです。今日でもビュートゾルフの本国ウェブサイトに行けば、彼らがどのように運営されているかについて書かれた本を購入することができます。こう聞くとクレイジーに聞こえるかもしれませんが、ある競合団体は、そこで本を買って、ビュートゾルフそっくりに組織を作り変えました。彼らにとっての重要な点は、競合にシェアを奪われるところにはないのです。彼らにとって重要なのは、すべての患者の人たちが高水準のケアを受けられることなのです。ヨス・デ・ブロック の想いからすると、市場占有率が20%とか50%とか80%とか、そんなものはどうでもよかったのです。重要なのは、クライアント、つまり患者の人たち全員がよいサービスを受けられることだったのです。 オランダ中の看護師の100%全員が良い環境で働いているかどうかはまた別の問題です。しかし、ビュートゾルフの場合は非営利団体であることが、一般に厳しいと言われる業界にあるにもかかわらず、幾分の労働環境の緩和にはなっています。それが上場企業であったならまた違っていたかもしれません。いかんせん、いずれの場合であっても、「目的」は存在してしかるべきなのです。 次の例は、ベン・クイケンの話です。彼のことはオランダ版の『ティール組織』にしか出てこないのですが、彼は「存在目的」について、公共図書館のネットワークへアドバイスを行った人物です。当時、公共図書館は、電子書籍化という、時代の大きな変化の波に飲み込まれていました。そして、そこで働く人たちは、もう紙の本は誰も必要としないのではないかという大きな危惧を抱いていました。そして、彼らは、彼らが職を失わないように、自らを守ることに専念していました。まずベンは、職員たちの自己保身的な態度を非難しました。そして、広義の目的とは何かを彼らに問うたのです。彼らから出てきた、「広い目的」とは、本に対する愛情を分かち合うこと、そして、本を読むことへの愛情、学ぶことへの愛情といったものでした。ただし、それらが実現した世界では公立図書館はもう必要ないという結論も織り込まれていました。「知」の管理は、公的機関による中央管理から、学校や駅の図書館といった民間施設へと分散されたという結論を導き出しました。つまり、それは、図書館の「存在目的」にかかわるということを意味しました。公立図書館の今日における使命を考えると、それはすでに役割を終え、すべての知見を新たな世代のそれに代わるものに引き渡すのが賢明なのかもしれないということでした。それとも、もし、従来と同じ目的で存続させたいと思ったとしても、最大化と自己保身の考えは捨て去る必要はありました。今までと同じ「存在目的」では継続できないということです。 「存在目的」をひとつのいのちとして捉えるならば、それは、組織という体と共に死を迎える場合があります。それは「存在目的」をなくした組織が解散するといった場合です。次世代のためにすべてを引き渡した場合も、その組織自体は消えてなくなる運命にあります。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1

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【6.1】「存在目的」が本来意味するところ(What evolutionary purpose really means)

※ティール組織の著者Frederic Laloux によるINSIGHTS FOR THE JOURNEYの日本語訳の個人的なメモを公開しています。 ————————————————————— ■元のURL https://thejourney.reinventingorganizations.com/61.html ■翻訳メモ 今回は「存在目的」について話す最初のビデオですので、「存在目的」とは何か、それを明らかにするところから始めたいと思います。というのも、そこに誤解が潜んでいることがすでに分っているからです。多くの人は、「私の組織にはいくつかの『存在目的』がある」と言います。そして、そこには組織の目的が明文化してあるとも言います。しかし、そこで言っている「目的」は、「存在目的」ではありません。「存在目的」とは、単に目的が明確になっている、ということではないのです。「存在目的」を扱うには、まず、組織をひとつの生命体として捉える必要があります。そして、その中にある、「目的」に対して、耳を澄ますのです。 長らく幅を利かせている機械をメタファーにしたオレンジのパラダイムでは、エネルギーを注入しない限り、そして、特定のことを実行するようにプログラムしない限り、組織は活動を始めません。そして、そのオレンジのパラダイムにある今日の経営者たちは、ほぼすべて、リーダーシップの本質は、経営理念を明確に戦略に落とし込むことだと考えているようです。そして、組織全体でもって統一感を出し、全体の方向性が揃っていることを確認して、そして、その理念に基づいて戦略を実行します。これがまさしく、今日の「管理経営」の基礎になっている考え方です。しかし、このティールというまったく新しいパラダイムから組織を見た時、旧来の組織とは、命の躍動のかけらもな感じさせないマシーン以外の何ものでのないことに、私たちは気付くでしょう。私たちはひとつの生命体として組織を見ます。その組織は、自ら、エネルギーを生成し、生態系の中で生命をはぐくんでいる存在です。 それであるとすると、オレンジの経営者たちの考えは根底から覆り、リーダーの役割とは、「将来を予測して制御すること」ではなくなってきます。例えば、部門戦略を決めるといった一つのやり取りにも、「存在目的」がいかにあるか、組織の中で耳を澄ませた方が、むしろ、ずっと簡単に、そして、ずっと謙虚な態度をもって、定まるはずです。流れに従って、組織と共にダンスしながらといった感覚に近いと思います。組織のあり方、そして、組織の活動そのものといった考え方が、従来のものとは根本的に異なります。 多くの人は、「耳を澄ます」といった、これらの言葉に今まで出会ってこなかったせいもあって、最初は少し奇妙に聞こえるかもしれません。その時は、創造的な人々、つまりアーティストをイメージしたらいいと思います。ほとんどすべてのアーティストは、彼らが作る曲や小説は、突然降ってきたもので、彼らの思考の産物ではないと言います。そして、彼らは、その作品を世界に広めるために、自分は選ばれた存在であるとも思っているものです。「存在目的」もそれと同じ考え方です。世界に向かって何かを表現するために、その組織は選ばれたと考えるのです。「存在目的」が組織の中に存在するということは、私たちはそれに従って小説を書き、作詞し、作曲するようなものです。つまり、組織がどうあろうとしているのか、何を表現したがっているのか、私たちは、それに耳を傾け続けるということです。 別の言い方をすれば、私たちは「制御と予測のパラダイム」から、「感覚と呼応のパラダイム」に移るということです。「制御と予測のパラダイム」は近代科学革命の申し子であり、近代から現代にかけて産業界をリードしてきました。世の中の動きを予測して、それをコントロール下に置くことが重要視された世界です。その伝統は機械のパラダイムの伝統です。それは経営理念から始まり、5年または10年の中長期戦略を設定し、次に3年期間の計画に落とし込まれます。計画には年間予算があり、その下にはたくさんのKPIがあります。そして、予算に従って月単位の目標値が定められ、その結果に応じて、従業員はインセンティブを受け取ったり、ボーナスやストックオプションを得ます。これらのすべては計画に同期しています。未来予測に知恵を絞り、次にその未来を実現するための実行計画を作ります。ところが現実は、完璧な計画を立てるには、世界があまりにも複雑になりすぎてしまいました。またそれは、不安定、もしくは、不確実とも表現していいでしょう。体感としてそれがなくても、例えば、2カ月や3か月の計画でも、前提が翻ることはよくあります。すると、目的を達成したと報告するプレッシャーにかられ、自らの組織を欺く行為が常習化します。 ティールのような「感覚と呼応のパラダイム」はそうではありません。まず、そこには明確な「存在目的」があります。そして、その生命体にいるメンバーは常にそれを感じているのです。そこにある「目的」自体が、常にメンバーに「目的」を提供し続けているわけです。生態系の周辺や内部にある変化を感知して、メンバーに向かって、それらに呼応し、適応するよう促しているのです。それの意味するところは非常に深いものです。『ティール組織』の本の中で、「存在目的」が組織の実際の活動にどんな影響を及ぼしているか、私は多くのページを割きました。あなたは、それでもまだ、理念や戦略に基づき予算を立て、目標を設定しますか?そして、採用や人事評価に目標数値を置く意味を感じますか? 「存在目的」に耳を傾けるフェーズ移行するには、組織での実践も進化していく必要があります。それゆえ、今から言うことを理解してもらいたいのです。私が、「存在目的」という言葉を口にする時、それは、単なる高尚な目的の周りに、具体的なものがあると言っているのではないということです。なぜなら、そこに具体性を置いてしまうと、すべてが予測可能と認識されてしまうからです。「目的」は持っていることが重要なのではなく、継続的にそれ聞き続ける行為が重要なのです。その行為を指して、「感覚と呼応のパラダイム」への移行が図られたというのです。このビデオシリーズでは、「存在目的」について本に書いたことすべてを繰り返すことはしません。ですので、「存在目的」の意味するところについて詳しく知りたいと思ったらその章を読んでください。この場は、私の本を読んだ人で、本の情報に振り回されて誤解している人や、すでに組織における「存在目的」に呼応して、それに耳を傾け、そのパラダイムに移行しようとしている人たちとの会話をもとに構成する場にしたいと思っているからです。 ■翻訳メモの全体の目次 https://note.mu/enflow/n/n51b86f9d3e39?magazine_key=m3eeb37d63ed1