Canonと温暖化懐疑論 科学に背を向ける企業活動に抗議する  

 カメラ機材やオフィス用機器で知られるCanonのシンクタンク所属の研究員が2023年になっても温暖化懐疑論を広めている。ただ、以前に英ガーディアンが報じてから日本でも気候学者らが取り上げてきたものの、反響は余りに小さい。研究員本人が日本の子ども向けにデタラメな本まで出しているにも関わらず、親世代や現場の教育関係者から懸念の声すら上がってこない。ようやく日本語での啓発キャンペーンも始まったが、影響は端から限定的に見え、他の事象のようにSNSで「炎上」する兆しも無ければ、TVのワイドショーも食いつかない状態が続いている。

 2000年代後半から続く温暖化懐疑論自体は、世界ではもう何年も前から勢いを失い、標的が気候科学並びに気候学者といった世間とやや距離のある存在から、最近の「脱炭素」化の流れにある再エネやEVなど生活者により身近なものに変わってきた。さらに、現在では「疑いの余地が無い」人為的要因に対し、懐疑論者、すなわち気候危機の否定派と、無関心層も含む対策の遅延派との境目がどんどん無くなってきた。そして、日本の場合、あらゆる情報が常に混ざり合ったまま、何が事実で何が事実ではないのかはっきりしない、物事の善悪すら誰もはっきりさせようとしないところで、すでに「文化」が形成されているように見える。

 というのも、何かと「負担」ばかりが強調される日本社会では、気候や生態系の危機意識が低い。例えば、いくら記録的な寒波や豪雪、熱波や豪雨、巨大化する台風などを経験しても、日常会話にはほとんど出てこないし、出ても続かない。また、上の世代程、パリ協定よりも京都議定書の時代の記憶で止まっていたり、「日本特殊論」の影響もあってか慢心かつ排他的だったり、「逆張り」や冷笑主義も邪魔して、「危機」を危機として受け止めようとはしない。エネルギーをめぐっては、どこまでも原発との対比でしかなく、名の知れた専門家ですら人権や環境を軽視する「化石」同然の言動が珍しくない。

 Canonの問題は、自分はブランドやイメージに興味は無いが、撮影に同社の製品を使っている以上、看過出来ない。同時に、これまでnote上で風力発電や気候危機をテーマに一貫して反科学やNIMBYを批判してきた「創作」活動が最大の抗議になればいいと思っている。写真分野でも何でも関心の対象を取り巻く環境や文脈の理解が、とりわけ現在の日本で浸透しない要因は、単に言語の違いによるものだけではない。当たり前のようにある有害な情報に生活者の多くが慣れ過ぎている、あるいは疲れ果てているのかもしれない。ただ、どんな理由であれ、抑圧だらけの既存の社会構造を少しずつでも変えていかなければ、根本的な問題は何一つ解決しないだろう。


参考:

Exclusive: Canon Refutes Climate Change Denial Accusations

https://petapixel.com/2023/03/02/exclusive-canon-refutes-climate-change-denial-accusations/


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