自己紹介6「進路を模索した大学時代(血迷った選択ミス)」
医学部では6年次に「マッチング」と呼ばれる一般企業でいう就職活動のような制度があり、医学部卒業後の初期研修先病院を自分で選びます。
研修システムや給料、立地が良いなどの理由で人気の病院は、優秀な大学の優秀な学生が採用されることが多く
必ずしも志望した病院とのマッチングが成立するわけではありません。
しかし、応募した全ての病院で不採用となってしまった場合でも、母校の大学病院での研修は可能なので卒業後の就職先に困ることはなく
かなりゆるい就職活動というイメージです。
スタンフォード大学で厳しい現実を目の当たりにした私は、しばらく臨床経験を積む道を選択しました。
そして、神奈川県の実家の近くにある病院へ応募し、採用人数7名のうちの一人に選ばれました。
見事に第一希望の病院とのマッチングが成立したわけですが
これは同時に、研究への想いを一時的に断ち切るためにあえて選んだ行動でもありました。
その病院は大学病院とは違い、研究機関が併設されているわけでも研究者によるセミナーなどが頻繁に行われているわけでもなく
地域密接型の医療を提供している病院でした。
病院の規模もそれなりに大きく、導入されている機器なども非常に優れており初期研修するにあたって良い病院でした。
6年次の夏に初期研修先の病院が決定し、あとは医師国家試験に向けてひたすら勉強を続けるのみという状態でしたが
私の遺伝子治療開発への想いは自分が想像していた以上に強く、以降も煮え切らない想いとの闘いが始まりました。
「遺伝子治療の分野は世界的にもまだまだ進んでいない。」
「私は100年後の未来のために頑張れるタイプではないので、生きている間に現実世界で結果を出したい。」
「卒業後すぐに研究者になるのは、理工学部などで器械操作の練習を含めて専門的な勉強をしてきた人たちには到底かなわない。」
医学の勉強ばかりしてきた自分が医学部を卒業しようとしている中、自分が研究の道へ進むことは
遺伝子治療という分野的にも、当時の技術や知識的にも時期尚早と判断し、自ら研究とはかけ離れた「地域医療の中で臨床経験を積む」という選択をとりました。
しかし、「遺伝子治療の開発」に対する煮え切らない想いは無意識下へ隠そうと試みても隠しきれず、むしろどんどん膨れ上がっていきました。
それでも、「自分の意志が変わったから」などという理由でマッチングした病院を自ら蹴ることなんてできません。
できることとすれば、医師国家試験に不合格となり
「医師として研修する権利がなくなったため病院側からの採用中止」というケースです。
そして私は、周囲が「医師国家試験、絶対合格!!」と士気高まっている中、禁断行為に出ました。
比較的余裕のありそうな友達2人に、「遺伝子治療への想いを断ち切る道を選んでおきながら心底後悔している」という気持ちを打ち明けたのです。
彼らは理解は示してくれましたが
中には初期研修医を終えてから検討するのでも遅くないという意見もあり
流れのままに研修を終えた方が良いのではないかという返事もありました。
しかし、初期研修医の間に専門とする診療科を決めなければならず、この研修期間はその後の人生を大きく左右する非常に重要な時期なのです。
私の性格を考えた時に、強すぎる想いを抱えたままではきっと臨床研修にも身が入らず、研修中にドロップアウトする可能性すら感じました。
そこで、初期研修の間に遺伝子治療に関する研究の進み具合や情報などを仕入れ、初期研修後の進路を積極的に探すため
当時の遺伝子治療学会理事長の研究室のある
大阪大学の附属病院での研修を志望しました。
そして試験勉強をやめて、当時3日間あった医師国家試験の本番では
勉強をしていなかったので実際にわからない問題も複数ありましたが
あえて間違った解答もしてみたり
自ら不合格の結果になるよう仕向けました。
ごく少数の友達にしか想いを打ち明けていなかった理由は、国家試験前に精神を病んだりおかしくなってしまう人もよくいると聞くので
「心配をかけて他人の勉強時間を奪ったり、迷惑をかけたくない」
という気持ちが強かったためです。
周囲が勉強一色ムードの中
士気下がるような発言は迷惑行為にしかなりません。
だから、自分で考え、判断し
自分で決断しました。
今考えても、この時の決断は正しかったし、後悔のない充実した経験を数多くできたと感じています。
「医師国家試験、不合格」の出来レースを自ら進んだことで、私の人生は大きく変わり、現在の起業にまでつながっていると感じます。
周囲の誰が何を言おうと、自分の人生を生きるべきです。
自分で判断して選んだ行動というのは
全ての責任を自分で背負う覚悟ができます。
なので、他人に言われたからやっている/やらされていることとは
学びや体験が全く異なります。
6年間(留年したらそれ以上)の医学部での勉強を終えて
誰にとっても喉から手が出るほど欲しい「医師免許」のはずなので
私は自分以外に
今まで医師国家試験を自ら落としにいったという人には
出会ったこともないし、聞いたこともありません。
しかし、一見間違っているように見える判断でも、それが正しいか間違っているのかを決めるのは「自分」です。
「自分の人生を生きる」という意味では、自分が「正しかった」と思うことは、他の全員が「間違っている」と言っても「正しい」として良いのです。
私は今でも、大それた人生の決断をできた当時の自分を賞賛し、感謝しています。
医学部卒業後のお話は次回の投稿で書きます。
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