7章-(2) 涙のハンカチーフ
香織を隣の椅子にすわらせ、本棚の積み重ねた本の間から、香織が渡した、あの黒い紙袋を取り出した。
「オレの負けだ。有り難くいただきます。実は、あれから、ちょっと後悔 してね。せっかく時間をかけて編んでくれたものを、ガンガン文句を言ったあげく、放りっぱなしにしたろう。他の見方もできたのにな。これだけ集中して粘り強くやれる気力があるなら、勉強も期待してるよ、と言えばよかったってね。悪かった」
香織の胸の奥から、熱いかたまりが拭き上げてきた。先生、ありがとう、 率直で正直で、熱心でいばらなくて、尊敬してる、先生、だいすき!
大粒の涙が後から後から膝の上にこぼれた。
「あああ、その涙、なんとかしてくれ、オレが泣かしたんじゃないぞ」
先生は腰を浮かして、引き出しの中を、何か探す手つきで、書類などを 動かしている。
香織を泣かせたのは、先生よ。うつむいたまま香織は、グググと泣き笑い をした。先生への感激の涙なのに、先生には通じていないんだ。
「ほら、これで涙をふけ」
渡されたのは、ティッシュペーパーと白い紙包みだった。白い紙包みは、 何枚も重なっていたうちの一枚だった。ペーパーで涙と鼻をふいていると、あけてごらん、とうながされて包みを開けてみた。ピンク色のバラの小花が、いちめんにとんでいるハンカチだった。紫のリボンが配置よく色を引き締めていて、なんとも美しい。
「日野先生が選んでくれてね。プレゼントのお返しには、喜ばれるよって。女の子はこういうのが好きなんだって。気に入ってもらえたかな」
香織はハンカチを抱きしめて、うなずいた。
「ところで、もうひと言言っておくけど、これで勉強は終りじゃないんだよ。むしろ、これからが始まりだからな」
先生は言葉を探すように口をつぐむと、香織の目を見つめて言った。
「順番を上げるのが目的、なんて動機が不純だ。君が上がれば誰かが落ちる。落ちた者は必死になってまた君を抜こうとする。順番が問題なんじゃ ない。なんといったらいいか・・」
先生はじれったそうに首を傾げて膝をたたいた。
「勉強の目的を見つけることかな・・何のために勉強してるのか、だな」
先生はやっと思いついたように言った。
結城君も何だか言ってたっけ、なんだったっけ。
「とにかく笹野は笹野の勉強の目的を見つけてほしい。とりあえずは、今の勉強を続けることだ。いいな、約束だ。おれはいつも応援してるからな」
先生は右手を出した。香織は両手でしっかりと先生の手を握った。約束し ます。応援してくれるですって、うれしくて、何でもできそうな気がする。編み物は、気分転換の楽しみだけにしよう。
香織が心も軽く職員室から出かかると、若杉先生の大声が追ってきた。
「8月のワンゲル登山は行くだろう?」
「はいっ、そのつもりです」
と振り返って答えた。先生はにっこりして、片手を上げた。
ただ、うれしかった。がんばれば、結果は出るんだ。続ければ、心に頭に 何かが積もっていって、先生たちにも伝わるんだ。
行きには青い顔をして、とがめられるとばかり思っていたのに、真反対に なっていた。ウキウキの足が、ふとのろくなった。思い出したのだ、笹野には笹野の目的を見つけろ、だって。それは大きな宿題だった。考えなくては・・。時間をかけて考えなくては・・。
香織はかえで班1号室のドアをしずかに開けた。直子が洗濯物整理の手を 止めて、飛んできた。
「どうだった?」
香織の静かなようすを、不安そうに直子は聞いた。
「ひとり抜いてた、たったひとりだけど・・」
「わあ、乾杯じゃない! やったじゃない、行こう、ウッドドールへ」
「行ってもいいけど。先生に、順位を上げるだけが目的じゃない、って 言われちゃった。自分の目的を見つけろって」
「そんなの、あとあと! 今はささやかな喜びを喜んで、予定通り乾杯に 行こう!」
香織もその気になって、にっこり。もらったハンカチをポシェットに入れて、これは宝物、先生とのつながりの証拠なの。
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