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2章-(3) ワンゲルクラブ

「笹野はあじさい寮か。たくさんの人の中で暮す時、人のペースに巻きこまれるな。笹野は笹野のペースを崩さずにとにかく続けること、それが一番」

若杉先生は大学の登山部にいた時の話もしてくれた。信州で山に囲まれて 育ち、いつか北アルプスや南アルプスの、山々の頂点に立ってみたかった。でも、体力がなくてなあ。登山部といえば、屈強な山男たちばかりで、そのパワーについていけず、何度もバテた。途中下山したり、仲間の肩を借りたり、情けなかったよ。

毎日、近所を歩いたり走ったり、食事を増やしたり、体力をつける努力を して、登山の時は、しんがり近くを、ゆっくりと自分のペースでついて行く方法を見つけた。

大事なのは、最初の数十分なんだ。心臓が身体の動きに合わせて動き出したら、それから仲間のペースに合わせていけば、バテることも無くついて行けるようになった。初めてアルプスの槍ヶ岳の頂上に立てた時は、涙が出て とまらなかった!」

先生はたれ目になって笑った。香織は胸が熱くなった。苦手な科目だって同じだ。やり方さえ見つけて努力すれば、克服できると言ってくれている。

「笹野もワンゲルに入って、いっしょに山へ登らないか、僕が顧問なんだ」

「・・考えてみます・・」

香織は小さく答えた。山へ登るなんて、考えたことも無かったけど・・。

先生は小さなカレンダーをくれた。自分で立てた予定通りにできた日は、 日付の上に丸印をつけてごらん、と先生は言った。

香織はカレンダーをにぎりしめて、胸を熱くして寮に戻った。先生のためにも、2重丸をつけられるくらい頑張ろう。最下位通告はされたが、転校の話どころか、担任が協力して支えてくれようとしてくれてる! なんと有り難いこと!

取り組みは、寮に帰るとすぐ、新しい予習用ノートを取り出して始めた。 まず英語を最初のページから一読して、わからない単語に印をつけていると、直子が帰ってきて、話しかけてきた。

「オリ、クラブは何に決めた? あたしは中学からのテニスクラブを続けたいけど、オリと同じクラブに入りたいと思ってさ。それと星城高と、合同で 活動やってるクラブだといいなと思ってる」

清和女学園のすぐ近くに、男子校の星城学園高校がある。男子校との合同練習のクラブは、演劇部かブラスバンドか、文芸部も時々やってると、クラブ説明会で聞かされていた。

「悪いけど、直子だけで決めて。実力考査が悪すぎて、担任に呼ばれてきつく言われたの。直子の2倍も3倍も勉強しないとダメみたい」

「それなら、何かラクなクラブにいっしょに入ろうよ」

直子は入部申込書のプリントを広げてみせた。クラブ名、練習日、行事予定が一覧表になっている。

「ワンゲル部、これいいね」

直子が顧問、若杉良介、とある1行を指さした。香織はドキリとした。

「部としての練習は週1回、あとは部員の個人的トレーニング、例えば散歩、ジョギングなど。年3回の登山は、星城との合同計画、これよ、これいい!ちょっと待って、渡辺さんにもっと詳しく聞いてくる」

直子はプリントを持って、飛びだして行った。行き先はかえで班4号室。 元寮長で3年生の渡辺恒美さんだ。入寮の夜に、冬のもしゃもしゃ毛皮の コートを着て、香織をおそったあの人だ。

元体育祭実行委員長や、全校運動部部長も務めたことがあって、クラブ活動にはくわしい。きびきびして色黒のやせ型で、面倒見のいい、さっぱりした性格だった。

香織はひそかに夢を追っていた。山登りは自信ないけど、ワンゲル部に入って、若杉先生の後ろからゆっくりと追って行く。苦しいだろうけど、登り 切った後の喜びはきっと涙が出るほど嬉しいだろう。よくがんばったな、と先生はほめてくれるかも。そのためには、毎晩のラジオ体操と散歩も続けて脚をきたえておかなくては。

おっと、その前に英語の復習だった。あらためて、テキストとノートに  戻る。単語を追って印をつけて、1ページ終えれば、辞書で調べて、ノートに書きこみ、もう一度最初から読み直して、こんな話が始まってたんだ、と やっとつかめた。時間はかかるけど、すこし楽しい気がしてきた。

直子がいきおいよく帰ってきた。

「いいこと聞いちゃった。ワンゲル部はトレーニングがらくで、人数は少なくて、チームワークがいいって。香織、これにしなさいよ。あたしは、テニスも未練だな。たまにダブルスで、星城と組んで練習するんだって。両方、入っちゃおうかな」

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