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(私のエピソード集・13) しかし、ニンゲンは

この言葉を、2歳3ヶ月の子が、つぶやいたのだ!

男女の双生児の男の子は、2歳3ヶ月でまだ布オムツをぶらさげていた。活発な女の子の方は、1歳2ヶ月で歩き出していたが、彼が歩き始めたのは、1歳6ヶ月を過ぎていたし、おっとりゆっくり歩く慎重派だった。

ある日、わたしが台所の床を、這いつくばって拭き掃除をしていると、かたわらに立っていた彼が、こうつぶやいたのが、はっきりと耳に入った。

「・・しかし、ニンゲンは・・」

えっ? と雑巾を取り落として、わたしはその顔をのぞきこんだ。にこにこしている。すごすぎる言葉だった。

一瞬、わたしは天才を生んだのでは、と思ってしまった。哲学者でも言いそうな言葉だもの。次に何を言うかと、期待と好奇心に駆られて、その後しばらく、彼にくっついてまわったが、残念ながらいくら待っても、それ以上の進展はなかった。

いったい、あれは何だったの? 天才? と、一瞬でもひらめいたのが、泡と消えてしまったものの、やっぱりふしぎでならず、考えこんでしまった。

結局、自分を納得させる結論としたのは、彼が口に出す少し前に、テレビの画面から、聞こえてきた言葉の切れ端が、耳に残っていたのでは、ということだった。意味はわからないが「音」として捉えた言葉を、再現しただけだったのかも・・。

一度声に出せば、それで気がすんだのだろう。そして、それきり忘れてしまったのだろう。子どもの中にある無限の可能性を、天啓のように示された瞬間だったのかもしれない。

彼はたしかに、耳はよかった。物覚えもよくて、祖母が歌う長い長い「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の・・・」で始まる歌を、しまいまで歌えた。ほかにもたくさんの古い歌を、教えられるままに、まねて歌っていた。

小学校高学年になって、英語の単語を教えた時も、正確な発音を、まねることができるのに驚いたものだ。

彼のこの特性を、うまく生かせてげられなかった悔いが、今もかすかに残っている。音楽や語学に向いていたかもしれないのに、よい師について、何かの楽器を習わせればよかったのに、と思ってしまうのだ。

彼は結局、父親似のせいか理系に進み、スポーツは合間に楽しみ、彼の好みに従って生活してきた。今では、彼の息子や娘が、ピアノを習っていたし、娘の方は英語が得意のようだ。


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