5章-(5) 結城君のふるまい
「オオ、ジュードー!」
パパが高校生の頃、柔道部だったと聞き、ポールが目を輝かせた。体育の時間は3年間通して柔道が組み込まれているという。
「ひょっとして、オリのママは清和の卒業生?」
直子の不意打ちに、香織は幸せ気分のままうなずいた。いけない、言って しまった、ママに止められてた、言っちゃいけないんだ、と言ってしまってから気づいた。
「すてき、理想的カップルね」
直子の情報によると、清和の卒業生の5人にひとりが、星城高の卒業生と 結ばれているのだそうだ。憧れなの、そうなりたいって、目指してるの、と直子は香織の耳にささやいた。
先を行くパパたちの話が聞こえて来た。
「男子校にはそれなりの楽しさはあるが、大人になってから、共有できる 女生徒たちとの思い出がほとんどない、というのはつまらないものですよ」
ポールがパパの話を聞きたがって、男性3人の間を英語が飛び交った。
「オリのパパも結城君もすごい。あたしもあのくらい話せるように頑張る」
と、直子はまた香織にささやいた。
結城君はパパに対しては、実に礼儀正しく、表情も真面目そのものだった。
ウッドドールの2階へ上る階段のところで、結城君は何気なく香織を待ってる風に、一番最後に残った。香織が階段を上がりかけると、すっと身体を寄せて、香織の耳に早口でささやいた。
「今日のスタイルもヘアもすてきだよ、キスしたいくらい・・」
香織は耳まで真っ赤になった。
「オレに見せるためだろう? お礼にぜひ・・」
「ちがいます、うぬぼれないで」
「恥ずかしがらなくてもいいよ、ちゃんと通じてるよ」
「もう! 女の子は誰だって、食事やデートに行く時は・・」
「ほらほら、デートだろ、オレと」
結城君は香織がやっきになるのを、楽しむようにからんだ。香織は言葉に 詰まって、むくれて階段を駆け上った。結城君は2段飛びで、ぐいぐい追ってきた。
香織はふいにふりむいて、言ってしまった。
「私はほかに好きな人がいます」
結城君はぶつかりそうになって、のけぞった。それから大きくにっと笑った。日やけした顔に、真っ白な歯が光った。
「知ってるよ。いつか大泣きしてた時の人だろ。山でもいっしょだった よね。君はすぐに顔に出るからな」
香織は言い返す言葉を失って、つんと頭をそらせて席に向かった。
結城君と向かい合わせにならないよう祈っていたら、直子、パパ、ポールが片側に、その向かいに、結城君と香織が並ぶことになった。
席を少し離して、横を向かないようにしながらナプキンを広げていると、結城君のナプキンが、香織の椅子との間にふわりと落ちた。
結城君は拾い上げようと身をかがめた。頭が香織のスカートに触れた、まるで膝枕みたいに。結城君は片手でナプキンをつかみながら、頭をめぐらして香織のももに唇を押し当てた。薄いスカート布を通して、いっしゅん、熱い息がしみ通った。
身体中が真っ赤に染まった気がした。香織は思わず、そうっと押しのけた。パパや直子に知られないよう、こっそりうつむいたまま。声を上げなかったのがふしぎだった。
結城君は偶然だったように、知らぬふりで身を起こすと、拾ったナプキンを膝に広げた。
ほんのいっしゅんだった。誰も気づいてはいない。でも香織は顔が上げられなかった。
なぜか涙が出そうだった。頭の中には、あの場面が蘇っていた。だれかに 風のようなやさしいキスを受けたこと。幻だったのか、現実だったのか、 結城君だったのか? 心の片隅になぞのまま、押しこんでおいたのだけれど。ほんとに・・だとしたら、パパの向かいの席で、なんて大胆! なんてずうずうしい、香織は怒りをかきたてることで、ようやく気持ちの乱れを 立て直そうとしていた。
何も気づいていない直子が、向かいの席から声をかけた。
「オリ、残らず食べようね。あたしはこのご馳走を食べおさめにして、今夜からダイエットするわ」
パパがからかうように受けた。
「明日からにした方がいいですよ。寮では、一級品のケーキが待っているはずだから」
「あら、そうなの? 知らなかったわ、今のは取り消し。明日からに訂正します」
結城君の通訳を受けて、ポールが遅れて笑いに加わった。
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