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 4章-(2) 勉強の始まり

「わしが熊野武じゃが、今日初めて来たもんは、誰と誰じゃったかのう」

かよが手を上げると、ほかに男の子と女の子がひとりずつ手を上げていた。

「名前を言うてみ」                                                                                        「かよです」                                                                                                        「ああ、あんたか、白神の旦那のとこから、来られとるんじゃな」          「はい、そげです」

他のふたりは、ミヨとしげると名乗った。

「ほなら、教科書と帳面をわたすが、本はでぇじに使え。また、次の誰かが使うんじゃけ」

熊野先生は、3人に古い国語の教科書と帳面を配ってくれた。

「この帳面は白神の旦那様が、学校の生徒のために、毎年ぎょうさん買うてくださるんじゃ」

かよの手に渡されたのは、もう何人かが使ったらしい、古びた表紙の本だった。1枚開けると、白地に赤い日の丸の旗が見え、2文字書かれている。  これを読んだり書いたりするんだ、とかよは思った。

啓一やほかの子たちは、それぞれの本を開いて、帳面に本の文字をまねて書き写している。

「おめぇたち、1年生も、まねして書いてみ。上は〈ハ〉と読む。下は〈タ〉じゃ。両方合わせりゃ〈ハタ〉となるじゃろ。その絵を説明をしとんじゃ」

「見りゃ、わかるが」
としげるが、笑い出しそうな声で言った。                                                  「そりゃ、たしかにわかる。その〈ハタ〉の字を書けるようにするんじゃ。この文字はカタカナというてな。一番簡単な字なんじゃ。全部で60近うある。それを順に、読めて書けるようにするのんが、勉強じゃ」

かよはその文字を早く書いてみたかった。とても簡単な形だった。

「ハは、すぐまねできるじゃろ。タは、先に短い斜め線を書いて、短い横棒から、長い斜め線を書くんじゃ。最後に2本の斜め線の間に線をひくと、タになるんで。一年生は、これを帳面に練習してみ」

ハの字はほんとに簡単だった。タは先生が説明してくれたように書くと、これもすぐに書けた。ノートは四角いますなっていて、そこに〈ハタ〉といくつも書いてみた。

「かよは、うめぇな。のみこみが早ぇ。しげるはなんじゃ。このタはやり  直しじゃ。教科書の字をよう見て、書け」

かよは、こうやって挿絵を見ながら、先生の説明を聞きながら、60の文字を覚えていくのが、始まりなのだと思った。面白そう、それを全部覚えられたら、また次に何かを教わるんだ。自分の名前やつるや、すえ、とめきちの名前も書けるんだ、きっと、と嬉しくなった。   

先生は上の学年の子たちの名前を呼んで、本を朗読させた。初めて聞く 「クルマニ ツンダ タカラモノ イヌガ ヒキダス エンヤラヤ・・」と、おはなしみたいなのが、教科書にのってるらしい。面白そうだ。どん どん字が読めるようになりたい、とかよは強く思った。家に帰って、時間があったら、この本の次のページも書いてみよう。楽しみがふえた気がした。 

勉強は昼まで帰りの時間に下駄をはいていると、みさが寄ってきて、いっしょに帰ろ、と言った。

「さっきは、うちのお手玉を50すぎるまで、いっしょに見とってくれたなぁ。ええとこあるなぁ、あんた。気に入ったわ」           「もっとできそうじゃったのに、せんせに呼ばれて、くやしいわなぁ」 と、かよ。
「うちもほんま、くやしいて思うたわ」                   みさはうなずきながら、うれしそうだった。

「じゃけど、言うとくけどな。うちのとうちゃん、あんたと遊ぶな、て言うたで。白神の家におるあんたが、気に入らんみてぇじゃ」と、みさ。

あばれの作造がそう言ったのか。かよは思わず言い返した。      「うちも言うとくけど、うちのとうちゃん、六地蔵のそばの家の子に近づくな、て言うた。あんたのことじゃろ」

「ひゃあ、あはは、両方のとうちゃんが、そう言うたんか。笑えるが、ハハハハ」 ひとしきり笑った後で、みさはこう言った。

「うちな、とうちゃんの言うことの反対をしちゃろ、てこのごろずうっと そう思うとるん。うち、あんたが気に入ったけん、仲ようしような」

「じゃけど、秘密の仲よしのほうが、ええんじゃねぇの。大ぴらにしたら、あんた、怒られるじゃろ」と、かよは言った。            「怒られるのへっちゃらじゃけど、秘密のなかよしは面白ぇな。とうちゃんの前じゃ、あんたやこ、知らん人のふりするんじゃ、ハハハ」
とみさは笑う。

かよまで、いっしょに笑ってしまってから、聞いてみた。           「あんたのおかあちゃんは、どう思うじゃろか」           「かあちゃんは5年前に死んでしもうて、とうちゃんと2人だけじゃ」「え? そうなん? うちのかあちゃんは、ついこないだ死んで、赤ん坊のつるが、あのお屋敷にもらわれたんじゃ。うちはつるの子守で来たんじゃ」

「そうじゃったんか。赤ん坊のおつる様が座敷におった、ちゅうて、とう  ちゃんが言うとったんは、あんたの妹なんじゃな」

かよはうなずいた。そう、おつる様なのだ、妹は。

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