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(私のエピソード集・29)セーラと交番

イギリス児童文学の授業で、F・H・バーネットの作品『A Little Princess  小公女』を、取り上げたことがある。主人公のセーラは、7歳で実業家の父と離れ、ロンドンのミンチン先生の私塾へ入学する。

最初は大金持ちの令嬢として、ちやほやされるが、インドで父が病死し、父のダイヤモンド鉱山の事業は失敗して、無一文となったと判ると、ミンチン先生に召使にされ、屋根裏部屋に追いやられる。セーラは、どんな境遇になっても、自分は公女でいたいと、空想を思い描くことで、虐待や寒さや空腹に耐えようとする。

ある雪の降る日、使いに出されたセーラは、道端で4ペンス銀貨を拾う。目の前のパン屋からいい匂いが漂ってきて、戸口の外には、セーラより惨めな乞食の少女がいた。セーラはパン屋に、お金を落とさなかったか確かめた上で、4ペンスで4個のパンを買う。

女店主はセーラの様子に打たれ、6個くれる。その甘パンを、セーラは乞食の少女に5個与え、自分は残りの1個をゆっくりと食べながら、学院へと戻って行く。店主はセーラの行為に強く心動かされて、乞食の少女の世話を、引き継ぐことにする。

この感動的な場面を読んだ後で、学生がこんな質問をした。イギリスでは拾ったお金を届けないで、そのまま使ってもいいのか、と。彼女なら交番に届ける気なのだ。虚をつかれて、私は答えに困ったが、4ペンスは60分の1ポンドで、当時のお金にして17円くらいなので、警察にまでは届けないのかもと、大ざっぱな答えをし、調べてみる、と約束しておいた。

早速カナダ在の、イギリス人の友人パメラに問い合わせてみると、イギリスには、そもそも日本の交番のような、手軽な届け場所は存在しない。日本の警察署とか警視庁のような、格式ばった所になるので、少額のお金のような、持ち主の見定められないものを届けても、迷惑がられると、皆がわかっているので、誰も届けたりしないとのこと。

それでも、どのくらい高額紙幣なら届けるのか、と再度問うと、彼女は夫君とも話し合った末に、「20ポンド紙幣くらいなら、届けるかも・・」と、これは私見にすぎず、届けない人や別の考えの人もあるかもしれないと、断定を避けた答え方だった。

この質問をした頃は、1ポンドが250円前後だったから、約5000円くらいのお札なら届けることもある、ということらしかった。

この話を思い出したのは、夫がつい最近、散歩の折に1000円札を一枚拾い、どうしようというので、復興支援の募金箱にでも入れてきたら、とその場の思いつきで答えたのだが、夫は考えた末、交番に寄って届けてきたと言う。拾った時間と場所だけ伝えて、6ヶ月経っても持ち主が出なければ、そちらで適切に始末してくださいと、言い残してきたそうな。

彼らしいな、と思いつつ、そういえば、我が家の長男も、小学校低学年の頃、何度かそんなことがあったのを思い出した。10円玉を拾って届けた時は、たまたま交番で道を尋ねていた知らないおじさんが、「坊や、えらいね」とほめてくれて、100円玉を一枚、お駄賃にもらってきた。

私はというと、拾い物などしたことはなく、もっぱら落としてしまう方だが、現金以外の失せ物が、たいてい戻ってきているのは、不思議なほどだ。

大好きな黒いつば広の帽子をなくした時は、近くの交番のおまわりさんに届いていないか聞きに行き、苦手な絵まで描いてみせた。何度も自分が通った道を行きつ戻りつして、探したが見つからず、諦めかけた4日目。たまたま自転車で同じ道を通って、ふと顔を上げると、高いツゲの垣根のてっぺんに、黒い帽子が乗っかっているではないか!

夜露にぬれたせいか、少し縮んでくしゃっとつぶれてはいたが、交番で描いた通りの、私の帽子だった。4日前に拾った人が、垣根の上に置いてくれていたのだ! この地域のどなたかわからない、見知らぬ方の善意を感じて、幸せな思いがした。

また、これも大好きな色柄の細いスカーフを、帽子に巻いて自転車を走らせて帰宅すると、そのスカーフが風に飛ばされたか、消えていて、がっかりしたことがある。

捜しあぐねて数ヶ月が過ぎ、アジサイの花も葉も枯れた秋の暮れに、同じ道を通っていると、枯れ枝の一枝に、私のスカーフがからんでいた! これも拾ってくれた人が、持ち主に戻るようにと、わざわざ枝に結んでくれていたのだ。アジサイの大きな花や葉にまぎれて、私が見つけるのが、遅すぎただけだった。

大金が戻らなかったこともあるが、それでも善意はあちこちにあり、私も真似したいと思わせてくれる。おまわりさんには何度かお世話になったし、ここがイギリスでなく、交番のある日本でほんとによかった! 

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