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彼の暇つぶし電話 2

また中学校の警備員室からの〈暇つぶし電話〉がT君からかかってきた。声を聞けば、すぐわかるよ、と言うと、わかっちゃったか、だって。ちょうど私が、相撲の番組を見ながら、毎日新聞の数独をやっている最中だった。 子機を持って画面をみていたもので、テレビの音声が聞こえたらしく、 「相撲だな。豊昇龍が断然、優勝して、そのうちに、大関、横綱になるよ、他にそういうのいないもの」

といやに自信たっぷりにそう言った。結局、その予想は大きくはずれたけれど、いずれそんな日が来るのかもしれない。

「相撲はよく見るの?」
「見るよ。小さい頃は皆でよくやってたし」

「私は相撲は詳しくないのよ、力士の顔を見てわかるのはほんの少しだし、遠藤力士は苗字が同じだから、つい気にするけどね」
という話から、彼は中学高校時代の話を始めた。

あの頃(つまり65年くらい前)の話だ。

「昼は野球をやり、テニスコートで相撲をやり、柔道もやってた。その3つが主なスポーツだったね。サッカーもラグビーもなかった。       

倉敷では、夏には「土用夜市」というのがあったろ。倉敷の中心街の商店街は金持ち連中でうるおってたから、各店が商品など出して、子どもには〈相撲大会〉があり、大人には〈のど自慢大会〉があった。他にもいろいろあったけどね」

私は倉敷の町中にはいなかったけど、町外れの遠い帯江の地域から歩いて、夜市に行くのが楽しみだった、と話した。

T君は身体が大きかったので、〈相撲大会〉の常連の横綱だったそうで、 毎回のように5人抜きすると、優勝となり、1人では持てないほどの商品を持ち帰って、親たちに大喜びされていたという。

「商品ってどんな物だったの?」ときくと、これが面白かった。

「大箱入りマッチ数個・はえ取り紙数本・掃除用ほうき・・」

などを上げ始めたので、

「ええっ、そういう商品だったの」と驚いたら、

「当時は貴重品だよ。冷蔵庫はなくて、ハエはいっぱい飛んでたろ。どの家にも天井から吊す、はえ取り紙が必需品だったんだ。マッチは台所でも何でも必要だったじゃないか」

そうか、掃除機も網戸も、ガス台、テレビ、スマホなど何にもない時代だった、と改めて、時の流れを感じさせられた。

この他にも、商店がそれぞれ自分の店で売ってる品物を提出するので、 「パン・お菓子・果物・・」なども、いっぱいもらったそうだ。

高校同期の3人がわが家に遊びに来た時の1人、A君が中学生の時、初めてこの〈相撲大会〉に加わってきた。T君は、初めて見る他の中学の奴だな、小柄でやせて、色黒の彼をひと目で見くびって、自分が勝つものと決めこんで、今日は何の商品が出るだろうか、と皮算用しながら取り組んだら、実にあっけなく小柄な彼に負けてしまった。A君は5人抜きしたと思う、と。

そんな話をしていると、キンコンカンコンと聞き覚えのある鐘の音が聞こえてきた。
「あれは何?」
「生徒たちに、もう部活を終えて、帰り支度をする時間だよ、と知らせてるのさ」だって。

6時15分前くらいだった。私はとっくに夕食を終え、洗い物も済ませて、数独を終らせたかったので、今日はこのくらいで、また話を聞かせてね、と終えたのだった。今回は昔話にふけってしまって、外国の放浪旅の話を聞き損ねたのだった。


(明日から創作『かよとお水神さま』を始めます。お目通しいただけると 嬉しいです)

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