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 1章-(4) 翌3月4日

ちらしずしの味がどうだったか、他に何を食べたのか思い出せないまま、  翌朝、みゆきはひとりで学校へ向かった。そういえば、姉のちはるは夕べも帰りが10時近かったらしく、何も話せないままだ。

姉は、卒業式前には〈卒業生を送る会〉を、生徒会長として仕切らなくてはならず、会で演奏をするブラスバンド部部長としての役割も重なっていて、メチャクチャに忙しそうだった。

みゆきは夕べは頭が混乱して、考えきれなくなって早寝してしまった。だのに頭が重い。何かに追いかけられる夢を、くりかえし見た気がする。

胸の中に何度もわき上がってくるのは、明美への怒りの叫びだった。

メールでもいい、なんでひと言くれないの!

あれから何度、メールに書きこんでみたことか。届かずに戻ってくるたび、失望と怒りとイライラが重なって、恨めしさが深まる。

6年2組の教室に入ると、わっと朋子たち香園女学園合格の3人に取り囲まれた。

「日直なのに、明美はまだ来てないよ。寝坊かなあ」

そこまでは何気ない調子だったのに、その後、バクダン発言みたいに、朋子はずばりと言った。

「ね、明美が行方不明って、ほんと?」

噂は早くも広まっているのだ。

「・・・・」

「家族全員で消えてるんだって。ほんと?」

朋子はさらに言った。

「明美は香園に行くの、どうするのかな?」

みゆきには答えられず、目を伏せた。その時、前の戸口から、小山幸子先生の呼ぶ声がした。

「内藤さん、ちょっと・・」

カバンを誰かの机の上に置いたまま、みゆきは急ぎ足で廊下に出た。先生は先に立って、階段の下のかげに、みゆきを呼び入れ、小声で言った。

「今日が当番なのに、日直日誌を取りに来ないし、連絡は何も無いから気になって、土屋さんに電話をかけてるんだけど、つながらないの。何かあったのかしら。お隣でしょ、気がついたことがあったら、教えて・・」

みゆきはおずおずと先生を見上げた。言うべきかどうか・・。でも、知り ません、とは言えなかった。

「・・夜逃げ・・したって・・」

それだけ言うと口を引き結んだ。抑えようとしても、口元が震えてしまう。

「まあ、そう・・だったの・・」

先生も言葉を失ったように、しばらく沈黙が続いた。それから、みゆきの 両肩を引き寄せるようにして、こう言った。

「一番の仲よしがいなくなって、辛いわね。クラスでもいろいろ聞かれたりするでしょうけど、あなたは、よくわからない、とでも言うかな。私から後で皆にお話しましょう。いいわね」

みゆきはこくんとうなずいた。ほっとする思いがあった。明美や朋子たちは〈おばさん先生〉とか呼んでるけれど、みゆきには頼れる人に思えた。

ほんとは、うちの一家も引っ越しになります、と何もかも打ち明けて、重荷を下ろしたかった。でも、言えないうちに始業のベルが鳴ってしまった。

先生はほんとうに、その朝、明美一家が急に引っ越すことになった話を、 みんなに伝えた。

とたんに、クラス中がさわぎ出したのは〈クラスハイキング〉の件だった。

「あいつが言い出してさあ、デイズニーランドがいいとか、新宿御苑とか、多摩動物園とか、コロコロ変えてさあ、無責任だよ」

「明美が抜けるんだったら、委員長はみゆきだな」

ふいにホコ先が自分に向けられて、みゆきは思わず立ち上がった。

「・・わたしは、だめ。家のことで・・委員もちょっと・・」

先生がびっくりしたように、みゆきに問いかけた。

「あなたもお引っ越しか何か?・・」

言いかけて、先生は気がついたように、こう言った。

「ああ、そうでしたね、高校の先生のおとうさんが、転勤になる頃よね・・遠くの高校に移るのかな」

うなだれたみゆきの様子が、うなづいたように見えたらしく、不満のざわめきが静まっていった。

先生のとりなしで、別の人の名前が挙げられることになり、みゆきは役からはずしてもらえることになった。 

けれども、井上朋子は追及をあきらめてはいなかった。昼休みになると、 みゆきを窓辺にひっぱって行き、声を小さくして言った。

「何か隠してるでしょ。明美の家のこと?  教えてよ、これから同じ中学に行くんだし・・」

「・・・・」

「だいたい、みゆきが引っ越すにしても、3月の末か4月の初めでしょ。  だったら春分の日の、ハイキングだよ。遠くへ引っ越しなら、よけい最後のお別れじゃない、みゆきが行かないのはぜったいおかしい」

その通りだった。でも、とてもじゃないが、約束などできない。

「もう一度きくけど、香園中には行くよね? わたしは、みゆきと同じ中学に行けるのすっごく喜んでるんだ。ほんと言うと、明美がいなくて、せいせいだよ。あの子、ボスぶるじゃない。いっしょに行こうよ。駅で待ち合わせしてさ」
「・・行きたいけど・・・まだわからない・・・」

また口を引き結ぶしかなかった。窓枠につっぷしてしまったみゆきに、朋子はそれ以上は口をつぐんで、みゆきの背中に手を置いてくれたのがわかった。

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