おとなりさん4章 チャチャ(1)
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おとなりさん4章 チャチャ(1)

遠藤みえ子

今日は5時から英語の塾だ。ランドセルを置いたら、早いとこボスの散歩をすませなくちゃ。かけ足でガレージをぬけ、玄関のドアに飛びつこうとしたら、左手の垣根の向こうで黒っぽいものが動いた。だれ?   白いバラの垣根の下をすかして見た。                        

  「ゆうたじゃないか。何してるんだ?」                                                        きいてみたって、返事は期待できない。東となりの泣き虫ゆうたは、弟のたくやとちがって、あまり口をきかないんだ。                                                  何か探しているらしく、垣根ごしにうちの庭をのぞいてたらしい。

その時だ。コンクリのへいのむこうを、バタバタと足音がして、それにつづくツルバラの垣根ごしに、青いTシャツが見えた。
「ねえ、チャチャはいた?」
大きな声はたくやだ。思わずふりむいて、口を出した。
「チャチャって、あのゆうたのネコか?」
たくやなら、必ず返事をくれる。
「うん、そう。6日も帰ってこないんだ」
そう言うと、たくやがステンレスの柵 (さく) のすき間に顔を押しつけて、  うちの庭を見回した。
「うちの庭にいるわけないよ!」  と、ぼく。

うちの黒チャボが、2月末の雪の日に死んでからは、ネコが来なくなった。けんか相手がいなくなったせいらしい。
チャチャは、太ってドテッとしてて、ぼくの好みじゃない。ゆうたの家のテレビをいっしょに見る時、ゆうたに抱かれてたけど、なでる気にはなれなかった。茶と白のまだらで、目をしょぼしょぼさせてた。もともと、うちはパパもママも、ぼくもネコ好きじゃないし。

たくやがえんりょもなく大声をかけてきた。
「ねえ、さがすのてつだってよ」
「だめっ! 6年生はいそがしいんだ」
すぐに言い返した。ほんとにいそがしいんだ。6月末に、日光への修学旅行がある。今からその準備で、図書館へ行ったり、始めたばかりの英語塾もあるし・・。その両方とも、山口君といっしょだから、ぬけたくないしな。
「けち! どけち!」
そんなこと言われたって、今はとにかく逃げるしかない。
「ほんとにそんなヒマないんだ。二人でさがしな」

ウグッと変な音がしたと思ったら、ウェーンと泣き声に変わった。お兄ちゃんのゆうただ!  弟のくせに、たくやがどなった。
「泣くなよ。さがすしかないじゃん!   どっかでうんじゃったんだ」
「え?  生んじゃった?  ハラでかいのか?」
ついひっかかって、立ち止まってしまった。たくやが真剣な顔で言った。
「箱にざぶとん入れて、リビングに場所を作ったけど、チャチャが帰ってこないんだ。どっかでうんじゃって、帰れないのかも」
「そりゃあ、あり、だね」
と言っても、ぼくは手伝う気はなかった。
「かくれそうなとこを、さがしな。つきあってるヒマないんだ」
「かくれそうなとこって、どこだあ」
たくやのめずらしく心細そうな声をふり切って、ぼくは玄関へと逃げた。


ボスを、とにかく散歩に連れ出した。ボスは頭のいいやつだから、ぼくが英語の練習をするのに合わせるつもりか、ゆっくり歩いた。
「ワン・・トゥー・・スリー・・」                  これがむずかしいんだ。
ワンからテンまでをちゃんと言えたら、大事な発音がいっぱい習えるのよ
と、5月から始めた塾の石井先生は言ってる。とにかく発音が一番だいじ! をくり返すおばあちゃん先生だ。変な発音で覚えたら、言いたいことが伝わらないでしょ、だって・・。

その塾を誘ってくれた山口君は、とっくに辞書を使って、作文したりしてるけど、ぼくが最初に教わることになったのは、ワン、トゥーからテンまでだけだった。なあんだ、とがっかり気分と、カンタンとなめた気分でいたら、やられた。
「口先だけじゃだめ!  おなかから声を出して、口の中のあちこちで破裂(はれつ)  させる音が多いの。唇や舌や口を、ものすごく動かさないと」

先生は歌うみたいにこう言うんだ。

・ワンはただのワンじゃない、                             口をすぼめてぱっと開けて「ゥワンヌ」とね。
・トゥーは、半分息を吐きながら、
・スリーは舌をかんで!
・フォーとファイヴは下唇をかむ!

スリーの〈ス〉は、なんで舌をかむんだ? こんなの最初に発音した人は、何考えてたんだろう? 〈ファイヴ〉なんて、二度も下唇をかむんだ!  しかも、何度やっても石井先生は、OK を出してくれない。

舌や唇をかむだけじゃだめ!
おなかから息を出して、
唇のところで息をためて、
唇をはじくといっしょに、息を破裂する。
力まず、自然にできるまでがんばって!

だって!  むりだよ。歌はさらにむずかしくなる。
・ワン、セヴン、ナイン、テンには 〈ン〉がつく!
・舌先を上歯ぐきの裏につけて、
・息を鼻へぬかしながら「ンヌ」とね!

ワンからテンくらい知ってる!  と思ってたのに、ぜんぜんちがってた。国がちがうと、口の中の使い方までちがうんだ!  それに、いっしょけんめい声を出してると、ものすごくハラが減るのもおどろきだ。アメリカで太ってる人が多いのは、しゃべるだけで疲れて、いっぱい食べたくなるからかな? 

でも、英語ってむずかしいけど、おもしろいかも。山口君がいっしょ、というのもあるけど。今日は3回目だ。そろそろ仕上げないと恥ずかしいな。

ボスを連れて、川原のグラウンドから土手道へ上がりかけたら、知らないおじさんたちが4人、土手の草むらで何かしていた。しゃがんでいる人、記録している人、写真をとっている人・・。一人は大きな青色の旗を持っている。漢字だけど読めた。
「放射線量測定調査中」

立ち止まってしまった。こんな所にも、放射線があるんだ! その時、すわってた人が記録の人を見上げて言う声が聞こえた。
「5回目! 0・134だ」
「河川敷  (かせんしき)  より多いな、まいったな」と記録係。

この土手にも放射線が?!
記録していた人が、計算しているらしい。
「平均値が出たぞ。地表から5cmで、0・128マイクロ・シーベルト。1 mで、0・102だ」

そんなに! 夕方のニュースで毎日見てる「新宿」での数字の、倍近いや!
「次は橋向こうだ」と、旗を持った人が先に歩き出した。
ぼくはついて行きたかったけど、塾の時間だと思い直して、ボスのロープをひっぱった。

塾の帰り、山口君にその話をせずにはいられなかった。山口君はおどろかなかった。
「やっぱりなあ! この町にもシラベ広場を作ろうとしてて、お母さんも仲間になってるんだ。家で作ってる野菜とか、土やお茶とか、なんでも細かくして持ち込めば、放射線を測る機械で調べるんだって」
「へえ、それで何かわかったの?」
「正式の場所はまだできてないけど、測定器を持ってる人が、もう始めてるんだって。この町のしいたけ、お茶なんか測ってみたら、放射線量が基準より高いんだって!」
「へえ、そりゃたいへんだ。うちのママは、この町の野菜なら安心だって、わざわざ選んで買ってたのに」

どうなるんだろうね、これから・・。二人とも、だまりこんでしまった。新聞を読んだり、ニュースを聞いたりするたび、ぼくらの未来なんてないような気がしてしまう。

地震は毎日のようにどこかで起こってるし、新聞に地図がのってたけど、原発は日本中にあって、しかもほとんどが海岸沿いにあって、大地震と津波がくれば、福島のくり返しになっちゃうじゃないか! 

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遠藤みえ子
東京女子大英米文学科卒。高校教員33年間、恵泉女子短大と東京女子大計17年非常勤講師。日本児童文学者協会会員。『やなぎ通りのスージーさん』『あじさい寮物語三部作』『1945年鎮南浦の冬を越えて』は、日本語版、英訳版の二冊が米国議会図書館に2020年所蔵さる。他十数冊と翻訳書有り。