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1章-(4) 結城君と校内散歩

「元気してるかい?」
「ん、元気よ。声が聞けてうれしいな」
「オレも。今すぐ正門まで行くよ。出てくる? それともあの森にする?」
「わっ、すっごい誘惑! どうしよう。今ね。カレンダーの計画表作って、 復習にかかるところだったの」
「黙学時間があるじゃないか、そっちで頑張れば?」
「うーん、それもそうね。それに、散歩の時間でもあるの。行きまーす」
「よーし、競争だぞ。正門前に」
「はーい。すぐ用意しまーす」 

制服のままだったと気づいて、大急ぎで、ブルーの袖なしワンピースに、 薄紫の薄手カーディガンをひっかけた。散歩ならラジオがいるんだ、と思い出して、ポシェットにつっこんで、飛び出した。

いっしょけんめい駆けたのに、やっぱり先に門にもたれていたのは、結城君だった。

「帽子を忘れたな」
「ほんとだ。しまった!」
「ま、いいさ。学内の木陰を伝って歩こう」

まだ残暑は厳しいのだ。正門脇の門衛所の前で、中井のおじさんに会釈して、ちょっと笑顔を見せて通り過ぎた。2人で手をつないでるのだから、 この次に会ったら、なんて言われるかな?

「散歩なんだろ。キャンパスをぐるーっとひと回りしよう。すみをずーっとね。ここはいろんな木が植わってるし、花壇もあるし、女子校らしいよな。風情がある」

そうなんだ。結城君の男子校の内部は、まだ一度しか行ったことがない。

「星城校は決勝戦を見に、体育館に行っただけだから、どこも見る暇なかったわ」
「今度、案内するよ。運動場と校舎の間の中庭がちょっとくらいで、殺風景なもんさ」

「文化祭はいつなの?」
「10月の20と21日かな。演劇に凝ってるやつらがいて、台本から書いて  頑張ってるけど、おれはコーラスの方に出ることにしたんだ」
「え?  歌うの好きなの?  知らなかったあ」
「フフ、パートはどこだと思う?」
「バリトンでしょ?  テノールではないもの」
「フフ、どっこい、バスなのさ。低い声の方が出るんだ。他にバスは、1人しかいなくてね」
そう言えば、そうだ、と香織は思い出した。

学内を2人で手をつないで歩いてるのを、同じクラスの人に見られたくなくて、香織は垣根に沿って植わっている、けやきやヒマラヤスギの大木の下をたどった。

「香織の文化祭はポールと行くからな。おふくろもきっと行くよ、木曜日の会話の日を、いつも待ち遠しがっててさ」                香織は嬉しくて、でも、ほおを赤くして肩をすくめた。

「文化祭の日に、みんなの前で、恥ずかしいな。ボーイフレンドだって  ばれないように、自然にしててね」
「じゃ、恋人ってことにしようっと。肩をぎゅっと抱き寄せてさ」
言いながら、結城君はほんとに、香織の肩をぎゅっと抱き寄せた。

その時、近くの生け垣の中から、声がした。
「オー、ミス・ササノ、ハウアーユー?」
ミス・ニコルだった。

香織は仰天して、立ちすくんだ。結城君はそっと香織の肩から、手を   離した。

「ユア ボーイフレンド?  オア ステディ?」
「イエス、アイム ハア ステディ」
と、結城郡が笑顔で、きっぱりと答えた。

「ハウ ナイス! カム イン、プリーズ」

香織は紹介しなくては、とやっと思い出して、ミス・ニコルに結城昌治を、結城君にミスにコルを学長先生だと紹介した。2人は握手し合い、英語で 自己紹介を始め、笑顔を交わし合った。

ミス・ニコルは、紅茶を注ぎ始めながら、例のニットのアジサイのモチーフの話を始めた。夏休みにいくつ作れたか訊いている。香織はやっと我に返って、日本語でまともに返事ができた。

「14枚出来上がって、寮に送ってあります。今16枚目を途中まで編んでますけど、文化祭までにもう少しできそうです」
「それはすばらしい。がんばりましたね」
「クラスの人たちが気に入ってくれて、私のコーナーを作ってくれて、飾ったり、売ったりしてくれるそうです」
「よかった、よかった。あれはぜったい売れます」
「すぐ売るのではなくて、欲しい人2人か3人までに制限して、名前を書いてもらうそうです。私、希望者の数だけ作るのに、ずいぶん時間がかかり そうで・・」

結城君が、何の話なの、と問うように、香織の腕に触れた。
「あとで見せてあげる。話もあとでね」                と、香織は小さな声で言った。今まで一度もアジサイのモチーフのことを、結城君に話したことはなかったのだ。

ミス・ニコルが2人に紅茶とマフィンを勧めてくれた。
「遠慮なくご馳走になります」
と結城君は紅茶を手に取った。

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