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ツナギ 1章(3)襲来

しばらくして、ゴウッと低くうなるような、とどろくような音が聞こえた。岩棚の上から振り向くと、谷間の入り口へと黒茶色の大水が、うねりながらぐんぐん押し寄せてくる。壁のように盛り上がったり沈んだりしつつ、見る間に稲田の端から舐めるように呑みこみ始めた。

ツナギは岩棚から大声で叫んだ。オサも叫んだ。

「いそげっ! 水だっ! 来たぞ! いそげっ!」

「ほんとに来たな! ほんとだったのか!」オサの声は悲痛だった。

坂を登り始めたサブたちが、足を速め駆け上がってきた。後に続く人たちも必死の表情で、いそぎにいそいだ。が、最後の二人が間に合わなかった! 大柿ノ木の手前で波に追いつかれ、のみ込まれ、押し流された。あっという間だった。姿もみえないほどの濁流だ!

どす黒い水は、大柿ノ木の下半分を浸し、今にも引き抜かんばかりだった。

「シゲ兄 (あん) ちゃん!キークー」

弟のジンが悲鳴を上げて、追っかけようとした。抱き止めながら、母親は むせび泣いた。

「海が来るわけねぇなんて言ってて・・」と母親!

ツナギは目をこらして、にごった波間に姿が見えぬかと、目をこらし続けたが、シゲ兄ちゃんもキクの姿もどこにも見えなかった。間に合わなかったのは、自分の呼びかけが足りなかった気がして、全身に震えがくるほどの衝撃だった。たった数歩の差で、命は波に消えるほどもろいものなのだ!

オサが気がかりそうに、皆を見回した。

「ほかに逃げ遅れた者はいないか。これで全員か?」

「うちが最後じゃった」と、母親が泣き崩れながらうなずいた。

「いずれ探さねばな・・」

オサはそう言い残すと、先に立って洞へ向かった。

ツナギがふり返って見ると、村は海水に呑まれて、一面のにごり水が沸き 立っている。揺れでつぶれた家々は、波にゆさぶられ、押し流されていて、 オサの高床倉庫の屋根の一部が、わずかに浮いているのが見えた。刈り取られたばかりの稲穂は、浮きつ沈みつ散乱している。刈り残した稲は 波になぎ倒されたまま、水底に沈んでいた。

登りながら見上げると、先に着いたモロが興奮して、村人に吠えかかるのを、じっちゃがなだめている。ツナギたちが洞へたどり着くと、先に集まった村人たちが洞の前で、呆然と村を見下ろしていた。

「稲は全滅だぁ」                           「家も何もかもだ」                         「どうすりゃいいんだ」

オサはやっとじっちゃを探し当て、駆け寄ると両手を取った。

「知らせてくれてありがたい。おかげでなんとか命だけは助かった。2人流されてしまって、無念で・・いずれ探さねば・・」

じっちゃは重々しくうなずくと、みなを見渡しながら、全員に聞こえるように声を張り上げた。

「大事なのは、これからぞ! 全員、着の身着のままで、当分この洞穴で過ごすほかない。冬はすぐにやってくる。たとえうまく冬を越え、春になっても、塩をかぶった田では、来年の稲は植えることもできまい。

わしが6代前のドンじいさんから、代々伝えられてきた事を、知っている限り、後でみなに話しておこう。まずは中へ入り、みなの居場所を決めよう」

オサは大きくうなずいた。「ぜひ聞かせてほしい。わしはオヤジに話を聞く前に、はやり病で死なれてしまい、若いままオサを継いだが、揺れの後に、ここまで深く、海の水が逆流して来るとは・・初めて知った。これからどうしたものか、ぜひ教えてもらいたい」

オサがそう言うと、聞いていた村人もみなうなずいた。それから、じっちゃの後について洞穴へと入って行った。

入り口の脇には、みなが運んできた稲カゴが並べられ、村でたった2本の 大事な鉄の鎌が、石包丁の上に積んであった。

その鎌に触れてみながら、カジヤが無念そうにつぶやいた。

「もう少しで、あと2本鎌が出来上がるはずだったに、稲刈りを先にして しもうて、悔しいのう・・」

カジヤの仕事場は、竪穴の家の脇にあり、ヤマジの家の近くだったが、山崩れにはあやうく逃れたものの、海からの大水に流されてしまったのだった。

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