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(私のエピソード集・23)高校の制服

姉と次兄の卒業した青陵高校に入学して、1年8組の教室に落ち着いた時、私をのぞくクラス全員が真新しい制服姿だったが、私だけただひとり、中学の時のセーラー服のままだった。

今思えば、母は4番目の子の私の制服を、注文するどころではなかったのだろう。小学生と中学生の妹たちがいるだけでなく、その春、短大を卒業して、山奥の小学校へ赴任する姉のための、布団や衣服、生活用品の準備があった上に、京都の大学にやっと決まった兄の、下宿先を決めたり、そちらにも送り出す、荷物の準備に追われていたのだから。

けれど当時の私は、中学2年の後半からの、母への反抗が続いていたこともあって、母は私の受験対策や、その後のことなどは、わざとノータッチで、見せしめか嫌がらせみたいに、私の制服も、無視しているのだと思いこんでいた。

自分から頭を下げて頼むなんて、意地でもしたくなくて、母が気づいて言い出すまで、意地を張り通すつもりだった。その結果、夏休みまでずっと、セーラー服で過ごすことになった。

最初から目立ちすぎて、教師にもクラスメートにも、すぐに名前を覚えられてしまったし、クラス委員にもさせられた。そんな4月の半ばに、思いがけず転入生がひとり加わり、その人がセーラー服姿で、黒板の前で挨拶した時、いくらか気が楽になった思いがしたのを覚えている。

彼女は私の隣の席に座ることになり、二人とも、紺地に白の3本ラインに、真っ白な広いタイを、ふわりと襟の下に巻いて垂らしたスタイルで、中学は違っていたのに、まるでおそろいのようだった。

当時の高校は、セーラー服姿で職員室に入って行っても、とがめられることはなかった。セーラー服はいいなあ、と言ってくれる教員も何人かいたほど、校則はゆるやかで、内心肩身の狭い思いをしていた私には、それが大変ありがたかった。

夏休みの間に、私の制服がようやく注文されることになったのは、4月の末に撮影された、クラス写真のせいだったのではないか。二人だけのセーラー服は、50人のクラスの中で、際立って目についたから、母も考え直したのでは、と思っていたが、実のところは、父の夏のボーナスが出て、なんとかやりくりできた、というだけのことだったのかもしれない。

もうひとりの、〈ノラさん〉と呼ばれるようになっていた転入生の彼女は、結局、8ヶ月後に退学するまで、その高校の制服を着ることはなかった。それだけの理由を抱えていたのだ。

私にとっては、遅まきながら、やっと手にした大事な制服だったのに、着始めて3ヶ月ほど経った頃、大失敗してしまった。

クラス全員に配布する印刷物を、担任に頼まれて、職員室で用意していた時、裁断機で制服の前側を、はさんでしまったのだ。ザクッと手ごたえがあって、しまった、と見返すと、左ポケットに、斜めに大きく切れ目が入っていた。

でも、意地っ張りの私のこと、母には頼みもせず、打ち明けすらせず、自分でこっそり、不器用にグサグサと粗縫いをして、そのまま何日もの間、通学していた。

すると、廊下で出会った、隣のクラスの女の子が声をかけてきた。「その制服、縫い直してあげようか。ポケットの傷も直るよ。もう3人の制服をぜんぶほどいて、裏返して縫い直してあげたよ。あなたで4人目だ」と。

びっくりだった。私と同じ年の人が、制服のようなちゃんとした服を、裏返してまで縫えるなんて! 角襟つきで、紺色ダブルの打ち合わせの、裏つき上着を、ほんとに縫えるのかと、半信半疑だった。

その人と話をしたこともなかったが、本名とは別の、〈愛ちゃん〉と皆に呼ばれている、人気者なのは知っていた。目鼻のくっきりした美人で、彼女を中心に、明るい笑い声が起こっているのを、廊下でよく見かけていた。

ちょうど冬休みに入る頃だったので、思い切って、彼女に制服を預けた。その時の仕立賃がいくらだったか、それをどう調達したのかは、もう忘れてしまった。

そして3学期、みごとな縫い上がりで戻ってきて、天才だ、と感激した。ただ、片方のポケットに手を入れようとしたら、中に糸が2、3本渡っていて、手が入らず、思わずにやにやしてしまった。天才ももう少し修行が必要なのらしい、とちょっと身近に思えて・・。

でも、彼女には何も言わず、そのまま着続け、大学生になっても東京で着ていたほど、着心地がよかった。彼女は私の卒業式用の服のときにも、お世話になった。

その〈愛ちゃん〉は、杉野ドレメ短大を卒業後、倉敷へ戻って結婚し、義母上の経営する洋裁学校を継いで、後には服飾短大へと発展させ、学長として内外で活躍中だ。私はあの制服縫い直しがきっかけとなって、ありがたいことに、60余年に及ぶ友を得たのだった。

(★余談だが、この1年8組は、就職組で、理系ぎらいの私が、物理ではなく家庭科を選んだため、この組に入れられた。どの学科も学習進度は極端にゆっくりで、特に数学は、テキストの1/3を触れずに1年が終った。一方進学クラスでは、2学期の中程にはテキストを終え、受験用問題集に次々取り組んでいた。大学進学希望の私は独学するしかなく、一流公立私立大学向けの実力考査に参加するたび、数学はいつも0点だった)

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