(102) あこがれ
朝の八時五分、時計をたしかめて朝子は家を飛び出しました。角の二階建てアパートから路地へ曲がると、ほうら思ったとおり、前方に二人の後ろ姿が見えました。
初めて気づいたのは、三日前のことでした。
背の高い男の人と、サンダル履きの小柄な女の人、その二人が手をつなぎあって、路地から大通りのバス停まで、送り送られて行くのです。その次の朝も、昨日の朝も同じ姿を見ました。
朝子は追い越すのは遠慮して、そっと忍び足になりました。見ているだけで、ドキドキします。小声で笑い合っている二人のまわりに、光がさしているようです。ふと見上げると、生け垣の向こうに、満開のコブシの花が匂っていました。
「ママ、角のアパートの二号室に、新しい人が入ってるね」
その日、学校の帰り道に、角の二階のベランダで、掃除をしているあの女の人を見かけたのです。長い髪をきりっとむすんで、つやつやした色白の横顔を見せて、せっせと段ボールの荷物を片づけていました。
「ああ、あの新婚さんね」
ママは洗濯物をたたみながら、さらっと無感動に言いました。パパの見送りなんて、とっくの昔に忘れた顔です。
わたしは忘れないんだ。結婚して仕事を続けるとしても、ずうっとずっと、あの人みたいに・・。バスの窓の中を見上げていたその姿は、りんとして輝いて見えて、胸打たれたのです。