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2章-(1) 入学式前後

入寮時の1年生たちのサイン入り巻物は、食堂の壁に横長に張り出され、 それから1週間、食卓に笑いのタネを提供しつづけた。

「さくら班の8号室の子ったら、まだ大きな名札をつけて登校してるよ」

渡辺恒美さんが身振りを入れて笑った。香織と直子は顔見あわせて苦笑いした。朝の挨拶巡りも名札も、最初の3日間、2人で真面目に実行したのだ。

ほんとはあの15条の大部分は冗談、1年生を脅かして楽しむ〈伝統行事〉にすぎなかった。

「ぶた小屋を探し回る子が、何人もいたんですって」

「笹野さんも、だよね」

渡辺さんは秘密にしてくれると思ったのに、バラしてしまった。

直子が外出して、夕食にかなり遅れた日、香織は残飯のお皿を持って、台所の裏へ出た。物干し場と竹やぶがあるだけだった。

うろうろしていると、地下室の階段から用務員のシンさんが上がって来た。香織がぶた小屋の場所を尋ねると、その人はとぼけた顔で答えた。

「ぶたか? ぶたなら林の方へ散歩に行ったよ」

「シンちゃんまで協力してくれるなんてさ、今年のぶた小屋案は、最高の でっち上げ賞よ」

と渡辺さんは面白がっている。

委員たちは毎年、15箇条に何か新しいいたずらを盛り込もうと、苦心してるのだって。今年は集会室に1年生を集めて、宣誓式も同じ場所でやった けれど、いつもは地下の洗濯場まで、全員を連れて行って、そこで物々しくやるのだが、今回は電気を消すタイミングがうまく合わず、集会室から動けなかったのだそうだ。

香織たちが、まんまとひっかかった15箇条の、寮のほんとの決まり事は 次の通りだった:

・・門限は9時。
・・外出は自由。9時以後は許可必要。
・・起床時間は、掃除当番のみ6時。その他は7時の朝食に間に合うこと。
・・入浴は5時~11時まで。
・・黙学時間は、7時~10時まで。
・・消灯時間は、11時。と言っても、有名無実で、徹夜でトランプしたりなどもあるらしい。

時間も決まりも実はおおまかで、朝食に出ない人もあれば、黙学時間は  決まっていても、実際は夜更けまで勉強する人も多いようだった。

巻物は、1週間後の歓迎夕食会(ウェルカム・パーテイ)の夜、外された。

その頃には、香織たちも、廊下と洗面所の掃除当番を、先輩たちに特訓されて、受け持たされていた。


ところで1週間前の入学式当日、香織の担任は、国語の若杉良介先生、1年 B 組とわかった。クラスは A から F 組まであり、各クラス50人ずつ、直子は香織の隣のクラスの C 組だった。

その翌日は〈実力考査〉を行う、と知らされ、香織は不安でたまらなくなった。教科書は手元にあっても、明日のために開いてみる気にはなれず、不安ばかりがつのる。

その夜、香織は気持ちを落着かせるために、編み針とグレーの糸を取り出して、あじさい模様を入れるモチーフのための製図を始めた。これが好きなのだ。方眼紙に真四角な線を引き、ブルーの濃淡と緑の配置を考えながら、少しずつ入れていく。グレーの表編みを土台にして、ちょうどうまく、あじさいのひとつの花の色を、散らせようとしていた。

こういう時も、香織は緻密とは言えない。一応は製図してみるけれど、実際に編んでみてまずかったら、ほどいてずらせてみるとか・・。図面の上では、よさそうに見えても、編んでみないとわからない、と思っている。

昨日の入寮式から今日にかけて、目まぐるしいほどの新しい出来事が起こっていた。編み物に熱中できたら、何もかも忘れて、気持ちが安らいでくる。そう教えてくれたのは、ママのママ、3年前に亡くなった富江おばあちゃんだった。何かひとつ出来上がると嬉しいものよ、と香織が小3の頃から教えてくれていた。

製図しているところへ、直子が洗面所から戻ってきた。洗ってきたチュー リップの花模様のハンカチを、窓ガラスに張り付けながら、こう言った。

「オリ、クラスが別で残念だねえ。オリの担任の若さま、いいなあ、独身で。あたしの C組は、同じ国語の岡野先生、50くらいかなあ、そりゃ、堂々として、しぶくていいけどさ」

1B の若杉先生は、若さま先生と呼ばれているのだ、と夕食の席で上級生 たちが教えてくれた。

「あしたの実力考査、心配なの、どうしよう」と香織は不安を口に出した。

「実力・考査だもの。今のありのまま、でいいんじゃない?」

と、直子は動じなかった。直子は出来そうだもの、香織の気が沈む。

「若さまってさ、痩せのチビなところが、残念だなあ」

「直子、見に行ったの?」

「当然よ、独身でさ、人気ナンバーワンって聞いて、職員室をのぞきに行ったよ」


     (画像は、蘭紗理かざり作)

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