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 4章-(4) 陣中見舞い

1日目の3科目のテストが終って、香織はすぐに寮に帰ると、昼食も取らずに2時過ぎまで眠った。

「オリ、よく眠ってたから、お昼をもってきておいたよ」

香織が目をこすりながら、上のベッドから下りると、直子がテーブルの上を指さした。焼きそばと野菜スープと牛乳が置いてあった。

「ありがと。あと3日もあるもの。食べなくちゃ」

「そうだよ、失神したって、誰も助けてくんないよ。テストは戦いなんだから、自分とのね」

直子は明日の数学の問題集を手に、戦いを始めるべく、香織に背を向けた。

その夜のことだった。

香織が南向きの窓辺で、数学に悪戦苦闘していると、オレンジ色の丸い光が窓ガラスの上を行ったり来たりしているのに、ふと気づいた。なんだろう? 声を上げかけて、直子をふりむいた。

直子も耳栓をして、机にかがみこんで、一心不乱の様子だ。直子は短い時間にものすごい集中力を発揮する人だ。

窓の下半分はすりガラス、上半分は透明ガラスになっている。香織は椅子の上に登って外をうかがった。

誰かいる。強力ライトの懐中電灯が、まともに〈かえで班1号室〉の香織の窓を目がけて向けられていた。7時過ぎの木立の影の暗がりに、人影が2つ見える。

ポールだ、結城君だ!

罠にはめられた! と突然、香織ははっきり悟った。1週間前の木曜日、 ポールはレッスンの時に、英語であじさい寮の説明をなるべく詳しくして ほしい、と言った。香織は英語の乏しさを補うために、図を描きながら、 ここに中庭、ラウンジ、食堂と説明していった。いつかの応接間も。2人 べやが1階と2階に10室ずつあって、それぞれ8人ずつの班が5つある ことも話した。

その図の中に、香織と直子の部屋が描き込まれたのだ。こんないたずらを しに来たいためだったのか、しまったなあ!

外の2人は、窓にはりついた香織に気づいたらしい。懐中電灯のオレンジ色が大きく移動して、玄関を照らした。香織の窓から、玄関へくり返し光は動いた。出ておいでよ、と言っているのだ。

うるさいわね、じゃま者!

でも、じゃま者たちは、香織が出て行くまで動く気配はない。星城学園高には中間考査がない。その事は、いつも清和女学園生たちの羨望のタネだった。

テストがないからって、じゃまに来ないでよ! 香織はとにかく2人を追い払わなくてはならなかった。

耳栓をはずして、そっとへやを出た。直子はふり向きもしなかった。

廊下をそうっと歩いた。黙学時間なのだ。

玄関の外へ滑り出ると、2人が薄暗がりの中を寄ってきた。

「みんな勉強やってるねえ、感心したよ」

結城君が、1階と2階の窓辺に灯った電気スタンドの光を、あごでしゃくった。

「これ陣中見舞い。夜食にするといい。お袋が今日もレッスンの日だと間違えて、君の分も作ったのさ。貧血治療の特別製だって、自慢してたから、食べてやってよ」

結城君は、紙袋をぐいと押しつけた。受け取ると、袋の底が温かい。

「登山とテスト勉強は、いつもの倍のエネルギー補給した方がいい。それ じゃ」

「悪いわ、お返しに何もできないもの」

「いいって。お袋の自己満足だし、オレは・・カエルのお礼・・」

結城君は早口で付け足して、くるりと背を向けた。それから急にふり向いて

「が・ん・ば・れ!」とひと言強く言い残した。

「グッドラック! ガンバッテネ」

ポールが片手を上げて去って行った。

カエルのお礼、か。香織は肩をすくめた。少し気が楽になった。登山したあの日、帰りの電車の中で、考えた末に、財布の値付けにしてあった、薄緑の陶器のチビガエルを、結城君の手のひらににぎらせたのだ。ムラサキ色の ひものついた、香織のお気に入りのカエルだった。

今日一日お世話になって有り難う、の気持ちをこめたのだ。

グッドラック、こういう時に使うのね。ポールとの英会話も、登山の日の後、少し改善に向かっていた。と言うのも、帰りの電車の中で、香織が思いがけなくポールと結城君に、ひとつの英単語を教える側になる出来事があって、2人に見直され、香織もほんの少し、自信が芽生えたのだった。

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