2章-(6)スミ伯母は74歳
お姉ちゃんは、今まで通り、好きな清美学園に通って、生徒会長の仕事と ブラスバンドと勉強で忙しく活躍してるもの。忘れようなんて努力しなく ても、忘れていられるわ。
へやの片づけに1週間かかるほど、こっちよりいろいろ荷物があるんだ。 それに、ママのおいしいごはんを食べて、ピアノの音も聞いていられる もの。この殺風景なくらしとは、大ちがいに決まってる、ふん、だ。
いやだ! わたし、いじけてる! こんなのいやだ!
みゆきは頭をはげしくふった。
それより、どうすれば忘れられる? その方法を教えてほしいよ。
その夜、父は7時ぎりぎりに帰ってきた。
「お、準備しといてくれたか。気がきくなぁ、ありがとう」
父がすぐ気づいてくれて、みゆきはくすぐったい。お米を洗って、土鍋に 漬けておいたのだ。野菜もついでにちぎったり、切ったりして、ボウルに 並べておいた。
父は駅ビルで買ったらしい、小さな白い箱をさし出した。開けてみると、 シュークリームが2つ入っている。作務衣に着替えながら、父は苦笑い した。
「ささやかな入学祝いだ。2つだけ買うのは、勇気がいるね」
みゆきは何も言えない。パパはすべてに〈節約〉してるのがわかる。
思い出すのは止めるんだ、なるべく。みゆきは頭をふる。わざわざ別べつ のケーキを買って、4人でジャンケンをして、勝った順に好きなのを選んで いたあの頃のことは・・。
それより朝からの気になる〈助っ人〉のことをきくことにする。
ガス台に向かって手を動かしながら、父は答えてくれた。
「岡山のスミ伯母さんのことだよ。74歳のはずだから、助っ人と言えるかどうか、わからないけど」
スミ伯母さんなら、知っていた。5年前に、神与町の新しい家を見に来てくれたのが最後で、しばらく会わないままだ。
「来てくれるの、ほんとに?」
そうだといいのに。スミ伯母さんはとっつきにくい感じもあるが、それでも誰かがいてくれるのは、心強い。
父は頭をふった。
「今すぐはムリなんだ。最近、電話で確かめてみたら、すぐにも来たい けど、今はムリだって。ひとり暮らしで気楽なんだが、地域でボランティアや、町会の役員や、いろいろ縛られていて、今手が抜けないらしいんだ・・今年の閉めの総会が終ってからなら、来れるそうだ」
スミ伯母さんというのは、早くに両親を亡くした父の、高校1年の終わり から大学卒業まで、親代りをしてくれた人だった。高校生の間は、同居して食事からすべての面倒をみてくれ、大学は東京へ出た父に、仕送りと毎月の食糧送りを続けてくれた。父は母のように慕い、誕生日や母の日の贈り物を欠かさないでいる。この人も元教員で、定年になるまでずっと小学校に勤めていた。
みゆきは小学校の2年生までは、夏休みに、お墓参りに岡山へ連れて行ってもらい、伯母さんの家に泊めてもらっていた。
広い仏間に古い大きな仏壇があって、いくつも位牌が並んでいた。伯母さんは毎朝、湯気の立つごはんとお茶を供え、ろうそくと線香に火をともして、手を合わせていたのを覚えている。
伯母さんがそうするのは、若い頃に夏の海で、溺れた6歳の息子を助けようとして、夫までも亡くしたせいなのだって、姉のちはるに聞かされた。伯母さんは、たったひとりの妹(=みゆきの父の母親)を亡くして、身寄りは父 ひとりだったのだ。
みゆきは誰かが〈死ぬ〉という言葉に弱い。死んだらどうなるのか、よく わからないからよけいに怖い。どこまで行っても闇の世界に落ちて行く気がして・・。
誰にも言えなかったけれど、伯父さんと男の子は、どこへ行ってしまったのだろう、とあの頃みゆきは、しばらくその考えにとりつかれていた。
豚肉の細切れと、キャベツ、もやし、にら、しめじ、じゃがいもを焼いて、ごまポン酢で夕食をすませた後、みゆきは松尾先生に渡された用紙を父に
見せた。
「ふむ、4月は物入りだな。でも早いとこ、そろえなきゃね・・。ひとりで買いに行けるかい?」
ちらっとエイの顔がよぎった。こんな時は、頼りにしたい気がする。
「なんとか・・。それより来週から、お弁当がいるんだって」
「ふむ、弁当か・・難問だな。がんばるしかないが・・」
あやしいな。今までは自分の弁当は、できあいの品を、駅ビルの地下から 買ってくるだけ、夕食はスーパーでの品で鍋物しかやっていないのに。
「やっぱり料理の本がいるな。そうだ、みゆき。放課後に町の図書館へ行って、料理の本を借りて来てくれないか。川沿いに行くと、駅のすぐ近くに あるんだ」
これも節約のひとつなんだ、とみゆきは気づく。
「いいよ。お弁当の本ね」
それから、安くて簡単に作れる料理の本も。お金のことは、みゆきもこれからは気をつけることにしよう。いつか4人暮らしに戻れる早道は、それしかないのかも・・。
「今度のことで、伯母さんがお金を送ってくれてね。週末にでもリサイクルショップを見に行くか。こう何もなくてはね」
父は土鍋を洗いながら、思いついたように言った。