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 4章-(2) 拒否されて

「今は君から、こんな物を受け取りたくない。いったい君は、何を考えて いるんだ。あと3日で、中間考査が始まるんだぞ。君が今やるべきことは、こんなことではないだろう!」

先生は苛立たしそうに高ぶった声で言った。香織は顔が上げられなかった。

「これを仕上げるのに、何時間何日をつぶしたんだ! 笹野に2日や3日でできるはずがない。それが僕のためだなんて、ありがた迷惑だ。あのカレンダーを渡した頃の、最初の決心は、どこへ消えたんだ。丸がほぼ全部ついていたのは、初めの2週だけじゃないか。そりゃあ、誰だって、中だるみも すれば、息抜きもしたくなる。しかし、君はそれを克服しなかったら、この学園にいられなくなることを知ってるだろ?オレを甘く見るんじゃないっ」

どっと涙がせき上げてきた。涙があふれて、香織の足元にポタポタと落ちた。

「泣いてすむもんじゃあないっ!」

叱りつけたものの、若杉先生は女の子の涙が苦手なのだった。困ったように靴下を紙袋に包みこんで、封をし直した。  

「受け取るわけにはいかない。少なくとも、今日から3日、死に物狂いで がんばって、いやその後も、勉強の計画を組み直して、1学期の期末テストに少しでも効果が見られたら、あらためて受け取ることにする」

先生はその袋を、ミニ本棚の上に置いて言った。

「それまでここに預かっておく。英語や数学の問題集を、計画通りやって、カレンダーを見せに来るたびこの袋を見て、今日の苦い気持ちを思い出せ」

先生は言い終えると、学級日誌をめくりだした。香織は深ーくおじぎを  して、職員室を出た。

戸口の外に数人群がって、遠目に見ていた生徒たちが、香織が近づくと  静まって道をあけた。

泣いちゃってる。
何があったのよ。
知らないわよ。
先生に問い詰めちゃお。
ほんと、あやしいんだから。

コソコソ声が、廊下にこだましていた。

1Bの教室へ戻ってカバンを抱え、香織はうつむいたまま寮へ向かった。 サクラ並木は、折り重なった若緑のアーチとなって、香織の上に影を落していた。

テニスコートも体育館も、静まり帰っている。考査1週間前のクラブ活動は、停止期間中なのだった。

ひとりになると、涙があらためてあふれてきた。香織がいけなかったことはわかっている。5月に入って、この3週間、カレンダーの丸印は、英語の読み物を予習した時の、6つしかない。あとはほとんど△ばかり。×印も4つもある。木曜のポールとのレッスン日に、結城君のママが、夕ご飯をご馳走してくれるようになったせいもあった。先生にカレンダーを見せられなくて、見せたくなくて、職員室へも行かないままにしていた。

編み物の縞模様に迷って、ほどき直しを繰り返したのも、大きな原因だった。

勉強にとりかからなくては、と焦るほどいっそう、編み物を仕上げたい誘惑が強くなった。先生の喜ぶ笑顔が見たかったんだ。笹野は意外な特技があるんだなあ、と言ってほしかった。それだけだったんだけど。

林をぬけ、寮への曲がり角まで来ても、まだしゃくり上げていた。一歩あるくごとに、ひどい、ひどい、先生はひどい、と胸の中で叫んでいた。失った時間は取り戻せない。それなら香織が注いだ〈時間の結晶〉を受け取って くれてもいいだろうに。その後で説教されるのなら、こんなに傷つかなくてすんだのに。

花壇の間を食堂脇の昇降口に向かいながら、香織は人目を気にして、ポケットからハンカチを取り出した。

その時、花壇の近くの大きなヒマラヤスギの影から、ぬっと人影が現れた。

「はでに泣くんだなあ。意地っ張りじゃなかったのか?」

結城君だった。部活を抜け出してきたらしく、白に紺の線の入ったジャージーの上下を着ている。

泣きはらした顔がきまり悪くて、香織はハンカチを顔にかぶせた。結城君は笑って、香織の肩をぐいと押して、向きを変えた。そのままぐいぐい両肩を押して、昇降口とは真反対へと、香織を押して進んだ。

奇妙な行列だった。ハンカチをかぶって先の見えない香織を、結城君が操縦しているぐあいだ。押されているうちに、香織はククククと肩をふるわせて笑ってしまった。

「簡単に泣いたり笑ったりするんだな。見るたび違ってて、あきないなあ、君って」

「変なことに感心しないで!」

「もう大丈夫だな」

結城君はひょいと香織の顔からハンカチを剥ぎ取った。新緑の森がいっせいに目に飛びこんできた。泣いた目にまぶしすぎた。

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