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あいまいな生き物のほね

 その日は夕方から雨の予報で、僕にしては珍しくきちんと傘を持って家を出た。クリニックに辿り着く直前で降りだして、傘を持っていない人が足早に過ぎて行った。ぽつぽつとした小雨の中に保育園児たちの列を見た気がするが記憶が曖昧だ。
 5月28日、僕は自分の身体を変えるためにそのドアを開いた。

 違和感というものがいつからあったのか分からない。一番明確になったのは、中学二年生の時だった。身体が急激に膨らみを帯びて、生理が来た。これは明らかに、違うな、と思った。顔は自分のものなのに首から下に何か別の物をつけたようで、ひどくグロテスクな生き物を見ている気分になった。自分の身体が女性らしくなっていくことに耐えられず食べられなくなった。数か月で体重が八キロ落ちて真っ直ぐな棒のような身体になると生理は止まった。一年中寒くて寒くて冬は制服の下にセーターを着て、さらに一番上にもう一枚セーターを着た。いとも簡単に火傷や怪我をした。

 それだけ切実に、文字通り命がけで抗っていたわりに、自分を男だと思ったこともなかった。物心ついたころから服装も行動も兄と同じように扱って欲しかったし、小学生のころの苦悩のほとんどは「男子」グループに所属出来ていればなかったように思う。自分を女だ、とは思わない。男だったらよかったのに、とは思う。しかしそういった志向が果たして自分の心の性別を決める根拠になるのか、そもそも心に性別なんてあるのか、疑問なのだった。
 振舞いも好きなものも誰と付き合うかも、性別関係なく自由だと言いながら「心は男(あるいは女)だ」と断定できるのが一体何故かよく分からなくて、虹を掲げて渋谷を堂々と闊歩する人々が眩しく羨ましい。
 俺はこれだ!!と高らかに叫ぶこともできなければ叫びたい心を無視することもできなかった。根拠が足りない。僕は長らく自分が何か分からなくて、今も分からない宙ぶらりんを生きている。

 日本のニューハーフタレントの先駆け、カルーセル麻紀さんの人生を描いた長編小説『緋の河』の中で「僕は、女の身体になりたいゲイボーイだ」と書いていた。それなら、ちょっと分かるな、と思った。自分の身体に対する違和感、不満だけが確か。しかしそれならば、それは二重になりたいとか身長を伸ばしたいという願いと一体何が違うのだろうとも思った。

 幸い、情報にあふれた時代に生まれたので性別を換えるという道があることは知っていた。それを選ばずに来たのは、普通の人が当たり前に装備している(あるいは当たり前すぎて装備していることすら忘れる)性別というものを人生の真ん中に置いて頑張れるほど僕は「自分」に一生懸命ではなかったからだ。友人と笑う、家族といる、何かを作る、何かを学ぶ、僕が大切にしていることに性別は関係なくて、そこを頑張るよりも、締め付けた胸を大きめのシャツの下に隠して何事もないように生きて逃げ切るのが一番楽だと思っていた。
 インターネットという性別を曖昧にしておける場所も僕に味方をした。ただ、イベントなどで初めて会った時「女性だったんですね!」と言われるのが辛くてしばらくそれにも出られなくなった。

 方針を変えることになったのは、元恋人とうまくいかなかったことがきっかけの一つとしてある。彼のことをちゃんと好きだった。一緒に生きていけたらいいなと思った。しかし人が人とずっと一緒に思い合って生きていくには「性」というものが切り離せないらしい。実を言えば、僕はそこもピンと来ていないが多くの人はそうで、目の前の彼もそうだった。それで、うまくいかなかった。

 性別に関係なく、自分は自分であるままで誰かを愛し愛されることだって出来ると思う。しかしそこに「性」がからむ限りどうしたって自分の性別からは逃げられないのだと分かった。他者との間の「性」の前に、まずは自分の性の問題を片付けなければいけない気がした。

 普通の女性の振りをして普通に恋をすることが一番楽な道だと思っていたから、自分は何事もありませんという顔で生きてきた。普通の可能性にかけて、背中を丸めた。しかしそれは全くもって楽でもなんでもなかったのだった。

 一人に戻った時、どうして自分の胸はこんなに窮屈にしめつけられているのだろうと思った。どうしていつも息苦しく、背中を丸めていなければいけないのだろう。
 もう十分に頑張ったと思った。楽だと思っていた道は、自分を頑張らなくてもいい代わりに自分でないことを頑張らなければいけなかった。ただ、もう楽になりたかった。

 この(物理的な)息苦しさを抱えて生きるには残りの人生は長すぎる。
 ちょうど仕事を辞めて時間もお金もある。2018年から保険適用になったので時間をかければだいぶ安く手術は出来る。今なんじゃないか?と思った。
 とりあえず勢いでクリニックに電話をしてみた。この手のクリニックは数が少ないので予約はなかなかとれないだろうとタカをくくっていたら二週間後にとれてしまった。

 思いがけず全ての条件が揃ってしまった。

 長い長い問診票の後で診察室に呼ばれた。
「どういった経緯でこのクリニックに来られましたか。」
 医者は、男か女かわからない人でそのことが僕をひどく安心させた。僕は多分「ちゃんとした男性」に「お前は女だ」と言われることを恐れていたのだ。
 僕は、今まで自分のために頑張れなかったこと、でもこのまま生きるのがしんどいこと、とにかくこの胸の締め付けから解放されたい、それ以上のことは考えられない、と話した。話しながら気づけば僕は泣いていて、医者はティッシュを差し出した。感情は、口にすると増幅する。このことを誰かにきちんと話したのは、その時が初めてだった。

 自分史の宿題が出た。これから数回に分けて自分を振り返る作業が始まる。
 当たり前だが、その日を境に人生が劇的に変わるわけではなかった。きっと、これからだってそうだ。これから僕は変わっていくのではなく、本来自分はこういうものだったと、今まで放ったらかしにしてきた自分を、時間をかけて確認していくのだと思った。

 教員をやっていた時、自分のセクシャリティに悩む生徒がいた。担任や保健室の先生など何人かの先生がケアにあたるのを、僕は遠くから眺めていた。「自分も、そうだよ。」と言えたらいいのにと思った。一緒、なんて言葉は使いたくなかった。ただ、当事者がすぐそばにいるということが彼の勇気になるかもしれないと思った。
 結局僕は、彼に何も言えなかった。そのことを、今でも後悔している。

『あの子もトランスジェンダーになった』という本がカドカワから出版される前に炎上して、しれっとタイトルを少し変えて産経新聞出版から出た。キャッチコピーは「カドカワ『あの子もトランスジェンダーになった』あの焚書ついに出版!」だった。ひどいコピーだ。
 客観的な事実は、あるのかもしれない。データはたしかなのかもしれない。救われる少女もいるのかもしれない。ただ、それを口にするまでの、あのドアを開くまでの僕らの葛藤を、僕らの覚悟を、あまりなめるなよ、と思った。

 初診を終えて、家に帰ると母はもう仕事から帰って来ていた。
「どこに行ってたの?」と聞かれ僕は曖昧に微笑んだ。
「ちょっとね」
 多分、いつか言う。ただ、その時何を言うのか。それをこれから探していく。