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俺と広辞苑を盗まないか?

 どうも山ぱんだくんです。今ちょっと最低な下ネタを言いそうになって慌てて消しました。あっっっぶねえ。

さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第十回は「俺と広辞苑を盗まないか?」神様、少しあっちを向いていて。

第十回 俺と広辞苑を盗まないか?

「夜の電車の中から家の明かりが通り過ぎるのを見て、僕は寂しいと思った。あの明かりの中にも一人一人の人生があって、日々の生活があるのに僕と彼らの人生が交わることは決してないのだということに。」
 たしかそんな感じの文章。何で読んだのかも誰の文かも覚えていないのだけど、私はそれを読んで「ああ、すごく、分かる」と思った。

たとえば
電車の中で、待合室のなかで、ふと隣にいる人に何か気まぐれに話しかけてみたいと思うことがよくある。すれ違って終わるはずだった関係がすれ違って終わらなかったら、何か物語が始まるかもしれないと妄想してはその度胸も話しかけるネタもなく終わってしまう。

 一度だけそういうこと、をしてみたことがある。つまり待合室で隣にいた人に話しかける的なこと。といっても、出会ったのは待合室でも電車の中でもなくツイッター。知り合いの知り合いでつながって、会ったことがなければ顔も知らない相手だった。互いの独り言をそれとなく見かける程度の彼が「死にたい」「助けて」と鬱々としたツイートしているのを見て気まぐれにメッセージを送ってみた(人生最大のバイタリティ)。

「ごはんを食べに行きましょう。」

 見ず知らずの人の鬱々とした独り言なんていちいち拾っていたら大変だし普段の私だったらチラと見て3秒後には記憶にも残らない。でも偶然見かけたこの救難信号の前で立ち止まってみたら何か起きるかもしれない。何か物語が始まるかもしれない。要するにもしかしたら彼の人生において、もしくは私の人生において何か大きな意味をもつことができるかもしれないと思った。

 当日、初めて顔を合せた彼はとても普通で少し口下手な青年だった。胃にずっしり来るメキシカンを食べて、死にたい彼の話を聞いて、思いつくままにいろいろ質問し続けた。最後に見た映画、中高の部活、小学校の時に行っていた塾、高校の時の教室掃除。
 彼の悩みはとてもちっぽけに見えたし、彼が突然泣き出すなんてことも、私が格言めいたことを話すこともなければ、何か二人の間に特別な関係が出来ることもなかった。

 彼とはそれ以降会ってはいないし私と会ったことで何か変わったということもなさそうだ。まあ、現実はこんなものだよね。でも人生で一番鬱々としていた時(もしくはそうだと思っていた時)にそういえば変な奴にご飯おごってもらったな、といつか思い出してくれたらそれはそれでいいかなと思う。

 今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。梅雨ですね。じめじめしてやんなっちゃう。じゃあ待合室で隣に座った人に話しかけてみますか?「俺と広辞苑を盗まないか?」とかさ。

結論:誰かの物語に乱入してみたかったのさ。

#コラム #エッセイ