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お前、なんでだよぉぉぉぉ

どうも山ぱんだくんです。普段の引きこもりが過ぎて稀に日に当たったらもう大変、日焼け止めを塗っていたにも関わらず真っ赤になった皮膚が延々と剥けていきます。日焼けぐらい上手に出来たい。

さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第六十七回は「お前、なんでだよぉぉぉぉ」
いや、本当に、なんでだよおおおぉぉぉぉお

第六十七回 お前、なんでだよぉぉぉぉ

見かけによらず(よって?)細かい性格なもので、日々ちまちまと細やかな記録をつけている。見た映画、読んだ本、面白かったこと、忘れたくないこと。
就活の時の趣味欄に書いたら「なんでそんなことしてるの?」と聞かれたな。くそう、理由だと?趣味に理由を聞かれたの、俺はぜってえ、忘れねえからな!!(CVハライチ岩井)

ああ、話がそれました。

そんな日々の記録にネタを探してちょこちょこと見返すことがあるのだけど、先日久々に去年の今頃の記録を読み返していたら、衝撃がはしった。記録の反復は記憶の再訪で、それは忘却の確認でもある。

去年も書いていたこの連載、そこについたコメントがめちゃくちゃに嬉しかった、という話を僕はそこに書いていた。その嬉しさというのは結構なもので、それは人に見つけてもらった自分の本質のような、ああこれからはこの言葉を胸にやっていこうと思うような、そんな出来事だったはずなのに、

僕はその出来事をすっかり忘れていたのである。

お前、なんでだよぉぉぉぉ…

いい加減にしろこのポンコツ脳みそ。悲しかったことのみならず嬉しかったことも忘れてどうする。忘れたくないから記録をつけているはずなのに、忘れている。いや、しかし記録がなければ忘れたことも忘れていたわけで、まあ、ファインプレーである。油断も隙もないこのポンコツ脳みそのアシストをこれからも頼みます。

時間というのが残酷なほどに平等なのは、誰にとっても均等に刻まれるってところと、悲しみを癒すように喜びも風化させるってとこだ。悲しみが消えるというなら、喜びだってそういうものだろう。だから今を大切にしなきゃと切実に何度祈っても、大切にしたい今を書くことでしか大切にできない僕は今日もちまちまと記録を続ける。これでいいのだろうか。しかしこれが僕だ。仕方ない。いつか失くした後の空っぽも愛せるようになりたい。