『けむりをたおりて』のこと

 自分が書いた小説の誤字脱字表記ゆれを拾っていたら、一人称の表記ゆれを見つけた。「【僕】に統一でいいのかな…」と直している途中で「あ、違う、こ、こいつ、この子の前だけ【俺】になっているんだ…!」と気付いた時の衝撃。も、もう直しを入れてしまったわい……。多分、書いた時は無意識にそうしていたのだと思うけれど、一年半前の自分が何を考えているか分からなすぎていじるのがもう怖い。

 文学フリマに出す本のために、一年半前に書いた小説を久しぶりに開いた。書くだけ書いて自分が満足して放置していたそれは人に読んでもらうにはあまりに不親切で、分かりやすくなるように書き加えたり直したりしている。イベント八日前にやることではない。本づくりはいつも外身に手いっぱいで中身どころでなくなってしまって本末転倒だ。(本だけに)(は?)(ぬ)(ぴょ)

 閑話休題。何故こんなどうでもいいことをだらだらと書いているかというと、本当であれば今日には刷って綴じたサンプルが一冊は上がるはずで、今回の製本コンセプトの紹介noteを上げる予定で、しかしいかんせん物が上っていないので叶わず、しかもページ都合で2ページ増やさなければいけなくなり、それがうまくいかなくて、疲れたからだ。
 おまけに昨夜はパソコンが急に沖縄の海のような青さになり、まだ印刷も開始できていないのにプリンタの不調音だけは絶好調。間に合うのかどうか、不安だった時期はとうに過ぎ今は一周回って落ち着いている。

https://c.bunfree.net/c/tokyo33/h1/%E3%82%A2/14

 今回出すのは(出せたら)小説と漫画の本で、どちらもテーマを「祈り」にしている。
 去年の三月、長崎の街を歩きながら、すぐそばに祈りがある街だなと思った。長くキリスト教が禁じられた時代からの信徒発見、大浦天主堂のステンドグラスを通した光、覗いた教会で聖歌隊がしていたアンサンブル練習。それらのもつ静謐さに触れながら、今までモーツァルトのレクイエムを歌った時も、ベートーヴェンのレクイエムを歌った時も、バッハのモテットを歌った時も、祈りをささげる気持ちなどなかったと気付いた。

 キリスト教ではないがクリスマスプレゼントはもらい、説法などを聞くこともなく、正月にはじゃらじゃらと鈴を鳴らし、浄土真宗に葬られる。日本人といえばそんな感じだが、その時初めて、祈り=正月に神様にするお願いごと、ぐらいの宗教観しか持ち合わせていないことを惜しいと思った。
 それからずっと、「祈り」という言葉が頭にひっかかっていた。

 そして東京に帰ってきてしばらくしたある日、自分なりの「ああ、祈りってこういうものなのかもな」と思う出来事があった。それを小説にしたのが『けむりをたおりて』になる。その出来事がどんなものだったかを書くのはあまりに野暮なのでしないが、多分、「ぼくのあお4」の中に日記として書いているはずなので両方読んだ人には分かる、かもしれない。どうなんだろう。分からない。分かるかどうか、分からない。

 それから「祈りをテーマに漫画を描かないか」という話を友人に持ち掛け、「かくかく~!」という二つ返事の末にずるずると今に至る。まさかここに来てまだ間に合うかどうか分からない瀬戸際に立っているとは思わなかった。

 サンプルが上ったら随時、製本コンセプトの紹介noteも上げたいと思っている。そしたらどうしてこんなアーティストの曲紹介のようなダラダラとした文を書いたのか、分かるはずだ。

 ちなみに僕はアーティストが歌う前にだらだらと曲紹介をする時、「はやく歌えや」と思っている。

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