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グレーに名前をつけないで

どうも山ぱんだくんです。最近マジで何を着ていいのか分かりません。誰かの着せ替え人形になりたいよう。

さてさて山ぱんだくんと月曜の理屈
第二十二回は「グレーに名前をつけないで」
世の中は基本みんなグレーゾーンなんじゃないのか!

第二十二回 グレーに名前をつけないで

親に性同一性障害じゃないかと思われている。冗談めかして聞いてくるけれど目は結構マジである。(そして恋人が長らく出来ないのもそのせいじゃないかと思っていそうな気がする。心配をかけて申し訳ない。)

中性的な顔立ちとジェンダーレスなファッションが相まって、そう思われることは多い。性同一性障害なの?とか同性愛者なの?とか。それに対する答えは

わかんない。

ジェンダーレスなファッションは、その方が自分の顔立ちに合っていると思っているからそうしているだけで可愛らしい服装もかっこいい服装もどちらが好きも嫌いもない。学校の制服に対して特に抵抗はなかったが、恋愛対象の性別は?と聞かれると自信がない。同性に対しても異性に対しても「好きだなあ」という感情を抱くし、その愛情の線引き(どこからが恋愛なのか)がどこにあるのかよく分かっていない。

みんな友人と恋人の線引きをどこでしているのだろう。

生まれてからこの身体でしか生きたことがないのだから自分の身体に対する違和感もなにもない。自分の身体よりも異性の体つきをうらやむことは多々あれど、誰しも多かれ少なかれ自分の外見には不満を持っているものだし「もっと背高かったらなぁ」とか「もっと顔が小さかったらなあ」と思うのと変わらないと思う。

自分をトランスジェンダーだと言えるのは何故だろう。心なんて自分のものしか知らないのにそれを「女」だとか「男」だとか言えるのは、身体と心が一致していないと言えるのは、何故だろうといつも疑問に思う。この身体には心はこうあるべきだなんて決まっていないのに、その不一致の基準はどこからくるのだろう。

胸が欲しい男性と、二重にしたい女性の何が違うのだろう。

これまでで、セクシャルマイノリティと言われる人たちにたくさんの名前がついた。レズ、ゲイ、トランスジェンダー、バイセクシャル…。そういったカテゴリーの中で「私は〇〇です!」と声高らかにレインボーの旗もって歩ける人はなんだかいいなあと思う一方でそんな簡単にカテゴライズできるものでもないだろうとも思う。

男の定義がないように、女の定義がないように(生物学的な定義はもちろんあるが)、セクシャリティを定義することなど出来ない(男性器にしか欲情しない、みたいな分かりやすさがあればまた別なのかもしれないが)と思う。きっとそれは言葉で表現した途端、糸が切れたように実際のものとはかけ離れて見えなくなっていくから。

この世界のグレーゾーンはきっと僕らが思うよりもマーブルで、はっきりしたものなど何もないんだろう。確かだと言えるものがあるとすれば、それは自分の心と身体(生物学上の性別)と愛する人だけだ。

こんなぐちゃぐちゃなグレーゾーンをカテゴライズするなんてナンセンスだ。男だとか女だとか同性愛者とか性同一性障害とかLGBT?なんじゃそりゃ。

どうか、この世界のグレーに名前をつけないで。


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今週も最後まで読んでいただきありがとうございます。月曜の朝からする話でもないなあとも、思ったんですけどなんだかこの話をそろそろ書かなきゃいけないような気がして書きました。最近連載テーマを見失いつつあるけど僕は元気です。

#エッセイ #コラム #ジェンダー論