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心をもらう

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 後ろかごに段ボールを積み込んだママチャリを40分ほど走らせて、流通センターについた。あのあたりは大型車が走る大きな道が立体的に交差して、すぐそこに見えている場所に辿り着くのが、難しい。
 文学フリマに出店するのは二年ぶりだった。僕がぼーっとしていたこの二年間に出店者は爆発的に増え、会場は二つに分かれ、イベント自体の空気感も、なんだか変わったようだった。それでも、目的地もなく流れていく本好きはいて、偶然手に取った僕の本をなんとなく買うと決めてくれた人がいて、僕の小さすぎる声に耳をすませてくれる人がいた。久しぶりのイベントだったのもあって、大体の人に「え?」と聞き返させてしまったし、「どうぞお手にとってごらんください…」という弱々しい宣伝は会場の喧騒にあっさり溶けた。

 始まってすぐに来てくれた友人に店番を任せ、目をつけておいたブースを訪ねた。第二展示場はなんとか回れたが、第一展示場は人の多さにひるんで、入り口のそばまでも行けずに引き返した。想定外に早く帰ってきた僕に「買いたいもの買えた?」と友人は聞いた。「買えなかった。」と僕は答えた。今すぐ帰りたい、と思った。

  辛うじて自分で買えたのは、点滅社さんの『鬱の本』としあたーぶくせらさんの『ほんのつくりかた』、秘密結社きつね福さんの『名刺をめぐる記憶あるいは空想』だけだ。店番に戻って点滅社さんのフリーペーパー『どこにいても死にそう』を読んだ。それは、こんな文で始まっていた。

 死にたくないときがあんまりない。10年前からずっとそれが続いている。いつも、どんなに楽しいときでも、心の隅っこで「死にたいなあ」と思っている自分がいる。
 駅まで来て、動悸がひどくて電車に乗らずにそのまま帰ることがよくある。そもそも駅までたどり着けないこともある。家の中でも死にたい。コンビニでも死にたい。書店でも死にたい。ライブハウスでも死にたい。映画館でも死にたい。ぼくの日常はそんな感じだ。

屋良朝哉『どこにいても死にそう』より

 これを読んだ時、僕は会場の喧騒の中一人で、静かに静かに泣きたくなった。今すぐ点滅社さんのブースに戻って「僕も、ずっと死にたいんです」と言いたかったけれど、そんなことを口にしたらほんとうになってしまうのでやめた。なぜだか自分の本を渡したくもなった。それはあまりに一方的すぎて身勝手なのでやめた。ただ、この小さなフリーペーパーは、間違いなく今僕に必要だった。

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