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本当の自分を発揮すれば、ムダに疲弊せず自己実現できる

芝居や音楽、絵、創作などもそうですが、自分の感性を使うときって、「その人の素」がモロにでるんです。


先日、俺が主催する感情解放をテーマにした朗読劇ワークショップの最終日を終えました。


オンラインレッスンを2回したあとにリアルで行ったわけですが、やはりリアルライブの臨場感の凄みを改めて実感。


セリフを使ったワークで涙が止まらなくなってしまう人や、「え?この人ってこんなスゴイパワーあったの?」ってくらいの怒りをぶちまけるシーンがあったり、まさに解放と呼べる時間になったのではないでしょうか。


だから、芝居や音楽、絵、創作などもそうですが、自分の感性を使うときって、「その人の素」がモロにでるんです。


それらを目の当たりにすると、いかに俺らは日常で相手やその場所に合わせてコントロールした自分で、デコラティブな態度で振る舞って生きているのがよーくわかります。


もちろん、それはそれで社会や集団でメリットがたくさんありますが、、、


・理性でコントロールした自分
・場や人に合わせて整えた自分
・デコラティブな態度でいる自分


しか、できない人」は、
環境の変化や新しいチャレンジするときに、ものすごいストレス負荷を感じてしまいます。


なぜって自分の素のポテンシャルを認知してないからです。


すると、薄っぺらい自己肯定感でなんとかポジティブになるしかありません。薄っぺらいっていうのは、「◯◯があるから私は大丈夫」みたいな能力や肩書、容姿、実績といった条件付きでしか自分を肯定することができないこと。


そんで不足している部分を補おうと知識、資格、金、人脈へと努力するわけですが、この発想って青年期くらいまでの学校的な考え方なんですね。


ある程度、精神肉体的にも成熟したら、いかにこれまでの人生のリソース(資源)を活かすか、素の自分に備わっている情動や感性をいかんなく発揮するかにフォーカスするべきです。


素で生きれば生きるほど、ムダな着替えをリュックにパンパンにつめて重い荷物を引きずりながら旅する必要はなくなりますし、

実現したいことを楽しみながら調子にのれる余裕とメンタリティが持続できますから。

長くなりましたが、朗読劇ワークショップご参加の皆様、ありがとうございました。みなさんそれぞれの素を感じた瞬間の感動は、ゾクゾクするものでした。

また、ご要望あればやりたいと思ってます。

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