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太平洋戦争は日露戦争から始まる

 戦史の中で日露戦争とは鉄筋コンクリートに囲まれた機関銃が初めて戦場に登場した戦いと言われています。203高地の戦いを知っている方ならイメージ出来るでしょう。あれは日本側が突破する方法を模索し続けました。1メートルの鉄筋コンクリートを破壊するのには800Kの砲弾が必要でこれは戦艦の40センチ砲の徹甲弾を直撃と同じです。兵器は攻撃と防御と移動の総合力で能力を計りますが、遠く離れれば命中率は下がり、地上で巨大な大砲を移動させるのは不可能で移動を重視すれば攻撃力は落ちます。これは10年後の第一次世界大戦初期でも突破する方法が確定していなく塹壕戦から毒ガス攻撃になり後期に戦車が登場するまで変わりませんでした。戦車は機関銃に対抗する兵器でその戦車にどう対抗するかが兵器開発の流れです。

 鉄筋コンクリートで出来たトーチカを破壊するには大量の砲弾が必要となりました。一か月で日清戦争で使用した分の弾薬を消費し火薬が足りなく輸入し金も無くなり国債を外国に買ってもらわなければならなくなりました。もはや一国で自給自足できる戦争は終わってしまったのです。なんとかロシアには勝ちましたが日本はロシア国内の社会主義者に資金を提供し社会主義の基盤を作らせてしまいました。これが第二次世界大戦の引き金の元になったのです。そして黄色人種が白人に勝利したのでアジアでは民族主義が現れました。

 日露戦争が終わると日本とアメリカはお互いを敵視し始めます。それは日本が海洋国家(シーパワー)に変貌しようとしたからです。シーパワーでぶつかるのはアメリカとなります。太平洋の利権争いが始まり、日露戦争時には大陸に足場を築きたいので大陸国家(ランドパワー)と同じ陸軍の下に海軍があると考えていましたが、それを陸軍と海軍は同格にしました。アメリカも日本を1906年に仮想敵国(オレンジ計画)とし対日戦の研究を始めました。これはアメリカがスペインとの戦争に勝ち1898年フィリピンとグアムを手に入れハワイを併合し本土とのシーレーンを完成させたが日本の外洋進出を警戒したからです。

 第一次世界大戦日本は連合国側に参戦し勝利を治めたのでドイツの植民地だったマリアナ諸島を信託領地として手に入れました。これはアメリカ領グアムを挟む形となりアメリカのシーレーンを分断させる事が可能となったのです。そして日本とアメリカは軍艦の建造計画を発表します。日本は八八艦隊(戦艦8隻巡洋戦艦8隻)、アメリカもアイオワ級戦艦を作る建造3年計画を発表します。ちなみに戦艦とは装甲板が重量の三分の一以上ある艦、巡洋艦は六分の一以上、巡洋戦艦はこの間にある速度を重視した戦艦です。40センチの砲弾が撃てると言う事は40センチの砲弾の直撃に耐える意味です。これは戦車同じです。大砲と装甲板の厚さは比例します。全てを装甲板で囲めば重量が大きくなり速度は出なくなる。ド級戦艦とは世界で初めて30センチ砲搭載で速度20ノットを出したイギリス戦艦ドレッドーノートを基準にした呼称です。このドレッドーノートは日本海海戦の教訓を取り入れて1906年に進水しそれまでの戦艦を一気に旧式化しました。巡洋戦艦も日本海海戦の教訓を基に建造されました。



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