私の嫌いな言葉たち

私には好きなものが多い。
沢山の作品が好きで、沢山のキャラクターが好きだ。
映画もアニメもドラマもゲームも漫画も小説も詩も、ほとんどフィクションならジャンルも媒体も問うことなく好きな作品が多い。

その話をすると、「今は○○にハマってるんだね」とよく言われる。
親友や家族からもそう言われることが多い。

事実だけを表面的に見るとそのことは決して間違っているわけではないので、いちいち訂正したりはしないが、正直なところその言葉は好きじゃない。

だって、私の中にあるのは作品に対して「好きか嫌いか」の評価軸しかないからだ。
「ハマってる」というのは「一時的に好きである」というニュアンスをどうしても含んでいるように見える。

だがしかし、作品に対して「一時的であるか否か」という評価軸を私は持たないのだ。
好きな物は好きだし、好きじゃなくなることは半永久的に有り得ない。

これが対人関係の話ならば、否応なしに個々の変化というものが関わってくるので好きな人も嫌いになったり、嫌いな人も好きになったりすることもある。

作品はそうじゃない。
ただそこに在るだけであり、作品として世に生まれたあとはほとんど変化することはない。

また、これと同じような理由で好きになれない言葉はもう1つある。
それは「流行っている」という言葉だ。

流行っているかどうかは、私が作品を知るきっかけが「多いか少ないか」という基準でしかない。
私が「好きか嫌いか」には全く無関係な問題なのだ。

だからこそ、私は「流行っている作品」からよく逃げている。
何故なら「流行っている作品」を好きになるとどうしても外野から「流行ってるもんね」なんて言葉が出てくるからだ。

作品と対面して交流を深めている楽しい時間に「流行っている」なんて外野の声はただの雑音でしかない。
「流行っている作品」から逃げたい訳では無いのに、その作品にはどうしても他者が介入してくる要素があって、それが嫌で嫌で仕方がないのだ。

作品と私の間には「一時的か否か」という評価軸も、「みんなが知っているか否か」という評価軸も必要ないものなのだ。
だからどうしても「ハマってる」「流行っている」という言葉が苦手になってしまう。

そんなことはどうでもいい。
今ここにある私が、今ここにある作品を「好きか嫌いか」、ただそれだけの話だと何故か分かってもらえない。

とても悲しい。

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