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【短編小説】病魔との闘い

 今、僕は病院にいる。小さなこの町で一軒しかない精神科病院。患者は老人が殆どで、若者の姿は見当たらない。僕はこの病院に初めてくるので緊張している。
 僕の名前は瀬戸大介、二十五歳。職業は、認知症老人が住むグループホームのヘルパーをしている。外見はひょろりと背が高く、痩せていて黒縁の眼鏡をかけている。受付の女性の職員からクリップボードに載せた一枚の紙とボールペンを渡された。
「初診なのでこちらに記入してもらえますか?」
 正直、そんなの書きたくない、面倒。さまざまな質問が書かれていて、はい・いいえ、のどちらかで答える仕組みになっている。
 数分で答えてから、先程の女性事務員に返した。
 具合が悪くなってから約一週間が経過する。どんな症状かと言うと、気分が悪く、気分が沈んでいる。それと周りに誰もいないのに誰かの声が聞こえる。それから職場は三人なので二人で話されると一人残る。いつも僕は独り取り残される。だから悪口を言われているような気がする。一体、何ていう病気なのだろう。最近、思うのは僕の人生なんてどうでもいいような気がする。僕には両親と妹がいる。
 母にそう言ってみると、
「あんたはまだまだ人生これからよ! 何言ってるの!」
 罵倒された。僕の気持ちをわかってもらえない。どうしよう……。親友と呼べる友達もいないし。打ち明け話ができる友達が……あ! 一人いる。そいつは
親友とは言えないけれど、話しは聞いてくれるはずだ。今日は病院に来ているので今度の休みにでも話そう。そいつの名前は大山法子と言って高校の頃の同級生。三年間、同じ書道部にいた。お陰で、字も上手くなったし、集中力もついた。
 帰ったらLINEをしてみよう。
 病院の待合室で既に一時間以上は待っているのでだいぶ疲れてきた。事務に行っていつなのか訊いてみよう。
 事務の受付には男性と女性の二人がいた。女の職員に声をかけた。
「あの……すみません。いつ、呼ばれますか?」
「少しお待ち下さい」
 女性の職員はどこかに電話をしている。すぐに電話は終わり、僕の方を向いた。
「次の次だそうです。なのでもう少しだと思います」
 まだ待つのか……。嫌になってきた。用事を思い出した、と嘘をついて帰ろうかな。うーん、でもなぁ……。今まで待った意味がなくなる。それは避けたい。
 仕方ない、我慢しよう。
 それから更に約三十分が経過した。
「瀬戸さーん、瀬戸大介さーん」
 ようやく呼ばれた。僕はゆっくりと歩き出した。疲れた……。
 僕を呼んだ看護師の方へ向かって歩いた。看護師は五十代くらいだろうか、結構太っていて、でも笑みを浮かべながら僕を見ている。明るい性格のように感じられた。実際、優しそうで感じが良い。
「中待合でお待ち下さい」
 まだ待つのか! さすがの僕も頭にきたが、口には出していない。だが、十分くらいで診察室の中から呼ばれた。
 気になっている症状を全て話すと医師は、
「統合失調症ですね」
 と診断を下した。
 聞いたことのある病名だ。何で観たのだろう、ネットかな。よく覚えていない。
 黒い髭を生やし、恰幅のいいその医師は三十代くらいかな。ネームプレートに、田中、と記載されていた。田中先生と呼ぶことにしよう。
「お仕事はされていますか?」
 田中先生は訊いてきた。
「はい、しています」
「お休み取れそうですか? 毎日ではないけど」
「仕事休まないといけませんか? 介護の仕事をしているんですけど人手が足りないみたいで……」
「そうですか。ほんとは休養が必要なんだけど、そういう事情なら仕方ありませんね。でも、次からは予約で来てもらうのでそれ程待つ時間はかからないと思うので、その時間だけ抜けて来れませんか?」
 僕は困った。中抜けできるのかな。なので、こう答えた。
「施設長に訊いてからでもいいですか?」
「ええ、いいですよ。予約の都合もあるので今、電話で訊けますか?」
「わかりました。訊いてみます」
 ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、グループホームに電話をかけた。忙しいのかなかなか繋がらない。十回くらい呼び出し音が聴こえ、ようやく繋がった。
『もしもしグループホーム紫陽花の岩下です』
 あ、岩下さんだ。僕の女性の先輩。
「もしもし、お疲れ様です。瀬戸です」
 僕の元気のない声で察したのだろう、岩下さんは言った。
「あら、瀬戸君。ずいぶん、元気のない声ね。具合い悪いの?」
「はい、それで今、病院にいます。あのう、梶村施設長はいますか?」
「ええ、いるわよ。ちょっと待っていてね」
「はい、忙しいところすみません」
 それに対して返事はなく、そそくさと事務所に行ってしまった。少ししてこちらにやって来るスリッパの音が受話器越しに聴こえてきた。
『もしもし、梶村です』
女性にしては低い声だ。
「瀬戸です。お疲れ様です」
『お疲れ様、どうしたの? 具合悪いの治った?』
「いえ、それが今、病院にいるんですが医者にかかって症状を話すと、統合失調症と言われたんですよ。それで、医師が言うには休養が必要と言われたのですが、人手不足という理由で仕事はしてもいいと言われたんですよ、次の診察を受ける時、予約制でそんなに時間はかからないみたいなので中抜けしていいですか?」
『うーん……。それって本当の話し? 診断書持って来てもらええる? 昨日まで普通に仕事してたじゃない』
「それは、言わなかっただけです」
 梶村施設長は黙っている。僕はこう言った。
「わかりました。診断書もらいますね」
『いやあ、いらないわよ。本当かどうか試しただけだから』
 今度は僕が黙る番。
『中抜け少しならしていいよ』
「ありがとうございます。では、失礼します」
『はい、お大事にね』
 僕は思った。梶村施設長に信用されてないのかな、と。でも、あまり悪い方に考えない方がいいと思うけれど考えてしまう。こういうのを【被害妄想】というのかな。あと、聞こえてくるのも結構ある。多分【幻聴】というやつだろう。両方とも結構辛い。
 僕は田中先生に言った、「中抜けできるみたいです。なので途中で来れます」
 すると田中先生はこう言う、「じゃあ、三日後に来れますか?」
「三日後というと……」
「今日が金曜日なので月曜日の九時に来れますか?」
 九時はちょっと早いと思ったが、「来れます」と言った。
「薬は出しておきますので、忘れず必ず飲んで下さい」
「わかりました」
 これで、とりあえず今日の受診は終わった。
 
こんな辛い日がいつまで続くのだろう、いい加減嫌になる。
 翌日、僕は症状はあるものの出勤した。昨日もいた岩下さんと同じくらいの時間に。岩下さんは僕の顔を見るなり、
「どうしたの! その顔色! すっごい具合い悪そうだけど大丈夫?」
「正直、キツイです。医者が言うには精神病らしいです」
 岩下さんは心配そうに僕の顔を見ながら言っている。
 施設の中に入りながら会話を続けた。
「梶村施設長に言って、休暇もらったらは?」
「僕は先輩の顔を見ずに人手不足ですよね?」
「まあ、そうだけど途中で倒れられても困るし……」
「そうなんですけど電話で話した時、試されたんですよ」
「試された? どういうこと?」
 夜勤のスタッフが近づいて来て、僕と岩下さんは職員用の四人掛けの椅子に座った。夜勤のスタッフは山澤清さんという。年齢は見た目、三十代かな。
「どうしたの?」山澤さんは訊いてきた。
「梶村施設長には内緒なんですが、僕、信用されてないような気がするんです」
「何で?」岩下さんは訊いてきた。
 その時だ。もう一人、日勤のスタッフが来た。
「おはようございます」
 そのスタッフは僕より若いがここの職歴は三年目だという。名前は下屋敷順子という。多分二十代前半だろう。下屋敷さんは今年で勤続三年目なので、介護福祉士の受験資格が与えられるみたいなので、その資格も取りたいと言っていいた。みんなで返事を返した。「おはようございます」と。僕は言った。
「話し続けていいですか」
「どうぞどうぞ」岩下さんは言った。
「みなさん、集まったので最初から話しますね。僕が梶村施設長に信用されていないんじゃないかという話しなんですが、なぜそう思うかと言うと、電話で病名を言った時、『それって、本当の話し?』と疑われて、診断書を持ってきてと言われたんです。それで僕は、では診断書もらってきます、と言ったら梶村施設長は、『いらないよ、試しただけだから』という話しなんです」
 山澤さんは言った。「それはちょっと酷い話しだね」と。
 僕は同意されて味方ができたように思えて嬉しかったのでこう言った。
「ですよねえ……。それが気になって仕方ないんです」
「因みに何ていう病名なの?」岩下さんが訊いてきた。
「統合失調症です、今も辛くて……」
「そうなのか、俺の友人にもその病気のやつがいるわ。幻聴・幻覚・妄想だろ?」
 山澤さんはそう言って、話を続けた。
「で、そいつは上司からは病気の理解を得られなくて、別な職場に行ってくれ、と言われたらしく、解雇じゃなく、自己退職という形になったらしい。そうなると三ヶ月間は失業保険もらえないから仕方なく、障がい者の就労支援事業所に通ってるわ。辞めてなければな」
 そこに噂をしていた人物が現れた。梶村施設長だ。
「おはよう」
「おはようございます」僕らはまばらになりながらも、挨拶をした。さっきの話しが聞こえてないか気になった。でも、それに反して梶村施設長は笑顔だ。多分、聞こえていないのだろう。そう思うと少し気が楽になった。
「瀬戸君、確かに人手不足だけど何とかシフトを回すから、無理せず休養取っていいよ」
 僕は梶村施設長の意外な発言に驚いた。改めて思ったのはさすが梶村施設長。人の上にたつだけの器量があるわけだ。
「本当ですか! ありがとうございます」こうしている間にも病魔は刻一刻と僕の精神をむしばんでいるような気がする。
「今日はわたしもやるから、瀬戸君は帰って休養しなさい」
「わかりました、ありがとうございます。働いていいと許可が下りたら電話します」
「わかったよ、お大事に」
 岩下さんは、「ゆっくりやすんで」
山澤さんは、「復帰したら、また一緒に働こうな」
下屋敷さんは、「大事にしてね」
みんな優しい。
「みなさん、迷惑かけてすみません」
 梶村施設長は言った。
「何も迷惑じゃないよ。それは、貴方の考え過ぎ」
「そうですか、それならいいのですが」
「そうよ! みんなだってそう思ってるわよねえ!」
「思ってるよ」岩下さんは言った。
「当たり前よ」山澤さんも言った。
「もちろん、思ってるよ」下屋敷さんも言った。
「ほらね! だから、人手不足を心配してくれるのは嬉しいけど、今は自分のことを心配しなさい」
「わかりました。では、失礼します」
「うん、気を付けて帰りなさいよ」
 そう言って僕は帰宅した。


 自宅には母がいた。今日は休みかな。母は花屋でアルバイトをしている。勤続年数は十年くらいで結構長い。母の子である僕はなぜ、仕事が続かないのだろう。病気にまでなってしまって。
「ただいま」
 緊張がほぐれたからか、一気に疲れが出た。母は僕の顔を心配そうな眼差しで見ながら言った。
「おかえり。早退したの?」
「うん。田中先生は、僕の病名を言っていたよ」
「なんていう病名?」
「統合失調症っていうらしいよ」
「で、どんな症状なの?」
「今は疲れてるから、後で話すよ。部屋で横になる」
「わかったよ、ゆっくり休みな」
 
 僕は、生気を奪われたような気がして、なにもしたくない。薬は今日の夕食後から飲むことになっている。まるで、抜け殻のようだ。食欲、性欲、睡眠欲、いわゆる人間の三大欲求が抑えられた状態だ。いずれは良くなると思うが、それがいつなのか? 職場の梶村施設長やスタッフは優しいが、いつまで籍をおかせてくれるものかわからない。あまりにも職場復帰が遅いようだと解雇されるかもしれない。そうなったら最悪だ。でも、無理して出勤して病気をぶり返すようなことになったらそれこそ迷惑な話し。
 いろいろ考えを巡らせてみたが、行きつく先は調子を回復させることだ。開き直ることだと思った。いつまでもうじうじ考えていても仕方がないから。
 統合失調症の症状だろうか。イライラする。でも、イライラは病気がなくてもするだろう。感情が平板化していることも感じる。病気になる前の僕とは違う。
 喜怒哀楽が表に出ない。そんなことを考えながらベッドに横になっていた。
 精神的な疲弊が酷いのだろうか。怠くてかなり疲れているような気がする。どうしたらこの状態から抜け出せるのだろうか。ネットで調べてみた。すると、原因不明の病で完治しないらしい。でも、寛解はすると書かれている。寛解とはどういう意味かわからなかったので、更に調べてみた。全治までとはいかないが、病状が治まって穏やかになること、らしい。なるほど、でも、それは一体いつだろう。個人差があるのは容易に想像できるが。医師は言わなかったが、いろいろ時期があるらしい。急性期、消耗期、回復期と書いてある。僕はどれに当てはまるのだろう。調べているうちに具合いが悪くなってきたので、スマートフォンを弄るのはやめてベッドに横になった。医師は休養が必要だと言っていたので、ゆっくり休もう。
 受診してから二日が過ぎ、三日目を迎えた。今日は朝九時から受診の日。薬は飲んでいたが効いているかどうかはよくわからない。まあ、まだ二日しか薬を飲んでいないからやむを得ないだろう。出かける支度をするのも面倒なので、部屋着で行くことにした。シャワーも一週間くらい浴びていないし、歯磨きをそれくらいしていない。でも、別に気持ち悪いとは思わない。病気になる前は毎日のようにシャワーを浴びていたのに。こんなに変わるものかと自分でも驚いている。でも、とにかく何をするのも面倒でならない。
 今の季節は夏だからマメにシャワーを浴びないと臭くなるというのは頭ではわかっているが、気持ちが追い付かない。別にいいやぁって感じ。髪の毛もあめっている。母は、「出かける時くらいシャワー浴びなさい」、と言うが実行には移さない。母に、「車の運転、大丈夫?」と訊かれたので、「わからない」と答えた。
「じゃあ、乗せてくよ」
 僕はすっかり弱気になってしまった。「ありがとう」と礼を言った。
 母は言った。「シャワー浴びないの?」
 僕は、「浴びない」と言った。
「髪の毛、汚れていてぐちゃぐちゃよ」
「いいんだ」
 母は黙っている。仕方ないとでも思っているのかもしれない。僕としては何か言って欲しかった。前に言われたような、出かける時くらいシャワー浴びなさい、というような話しではなく、もっと理解のある話しをして欲しいと思った。まあ、母が言うことは現実なのかもしれないが。悪い方に捉える必要はないかもしれないが、そっちの方に捉えるとしたら、ムカつく。僕は親が言っていることを理解できるほどまだ人間ができていない。もっと、現実をみて生活できればいいのだけれど。僕が現実的な話しをされて理解できるのは病気をよくすることくらい。僕は若いとはいえ、もう二十五歳だ。子どもじゃない。彼女や結婚、子どもなどは欲しいと思う。でも、今の状態では到底無理。病気はあるし、経済力もない。子どもを育てるなんてもっての他だと思う。僕が思っていることを運転しながらだが打ち明けてみた。すると、母はこう言った。
「まあ、確かにあんたが言っていることも一理あるけど、将来を決めつける必要はないと思うよ。夢や希望は例え病気があって経済力がなくても捨てちゃいけないと思う。生きている間に少しくらいは良いことあるっしょ。そう思わないとやっていけない」
 なるほど、さすが母。人生の先輩だけのことはある。
「なるべく、前向きに生きていきたいよね。その方が楽しい」
 そう言っている内に病院に着いた。
「さすが母さん、僕より長く生きているだけのことはあるね」
「そりゃそうだよ。さ、早く行くよ」
 そう言われて車を降りた。テキパキと動きも機敏だし、健康的に見える。僕もそうなりたいな。思いながら院内に入った。時刻は八時五十五分、まだ受付のシャッターが閉まったまま。九時からなのだろう。母は言った。
「初めて中に入った」
 まあ、そうだろう。母には無縁の世界だから。周りには予約の患者だろう、数名来ていた。母は椅子に座った。僕はその隣に腰を下ろした。母は言った。
「他の人も九時予約なんだろうね」
「多分ね」
 僕もまだ今回で二回目だからよくわかっていない。
 そして壁にかけてある時計を見ると、九時になった。事務所の中から職員が二名出て来てシャッターを開けた。
「おはようございます」
 職員は挨拶してくれたので僕らも挨拶した。他の患者も同様に挨拶していた。
前回来た時とは患者の数が少ないからか辺りは閑散としている。不意に救急車のサイレンのけたたましい音が聴こえた。どうやら、ここの病院に来たようだ。急患ってやつか。救急隊が慌ただしく降りて来て、トランクを開けた。ストレッチャーに患者が横たわっているように見える。病院の男性職員二名が玄関に向かう。彼らは救急隊と一緒に病棟に行ったようだ。待合室に中年の女性看護師がやって来た。そして、僕らに向かって言った。
「みなさん、すみません。急患が入ったもので田中先生の診察が遅れると思います。前回と同じ処方で良い方は言って下さい。あ、瀬戸さんは先生に診てもらわないとね」
「はい、そうですね」
 そこに母が話に割り込んできた。
「時間、だいぶかかるんですか?」
 看護師は困ったような顔をしながら、
「うーん、どうでしょうねえ……。新患ではないんですが、どういう状態か把握できてないものでちょっとわからないのが実情です。すみません」
 と言った。母は、
「じゃあ、待つしかないんですね」
 そう言い、看護師は申し訳なさそうに「はい」と頷いた。看護師は思いついたように母の顔を見ながら言った。
「もし、待つのがしんどいなら、順番がきたらお電話しますよ?」
 母の表情は花が咲いたように明るくなった。僕もそうしてもらえるとありがたいと思った。
「じゃあ、そうしてもらえますか」
「わかりました。ちなみに、瀬戸さんのお母さんですよね?」
「そうですよ」
「大介さんのお電話番号教えてもらっていいですか」
 そう言われたので僕は教えた。
「じゃあ、また来ます。大介、行くよ」
「うん」
 待つのは嫌だけれど、動きたくないのが本音。でも、仕方ない。一度帰るか。また自分の部屋で電話がくるまでゴロゴロしていよう。眠れないのがキツイけれど。何かする意欲もなく、ただひたすら横になっていた。こんな状態だけれど僕は病気と戦っている。本で見る限り、完治しないのであれば一生、闘病生活を送らなければならないのか……。それはそれでキツイ……。本には上手く病気と付き合っていかなければならない、と書いてある。確かにそうだろう。寛解した暁にはそうなると思う。今の状態ではまだまだ寛解の段階までは程遠いが。
 自宅に帰って約二時間、経過した。僕のスマートフォンに電話がきた。病院からだろう。画面を見ると、電話番号だけが表示されていた。すぐにでた。
「もしもし、瀬戸です」
 電話の向こうの声は野太いが男性で若い感じがした。
『瀬戸さん、もうそろそろ順番が来ますので、病院の方にいらして下さい』
「わかりました、今、行きます」
 僕は階下に降り、母に声をかけた。
「母さん、病院から電話きた。行こう」
「うん、わかった」
 車の中で母は言った。
「急患の人、落ち着いたんだろうね、きっと」
「そうだと思う。だから、電話がきたんだよ」
「そうだね」
 不意に母の方から声が聞こえてきた。
 
オマエナンカシンデシマエ
 
と母がそんなこと言うわけがない声が聞こえた。きっと、病気の症状だろう。それにしても不気味。田中先生に言わないと。多分、幻聴だろう。一応、母にも今聞こえた声を伝えた。
「え! ほんとに? それは嫌ね」
母は辛そうにしていた。病気のせいで母にまで嫌な思いをさせてしまっている。だが、相手が病気だから治療して少しでも良い方にならなければ。そうじゃないといつまで経っても母をはじめ家族に辛い思いをさせてしまう。
病院に着き、保険証を一応事務に提出した。診察券は先程の帰り際、職員に渡してきた。事務の職員に、
「外来に行って下さい」
 と言われた。僕と母はそこに向かった。中待合の長椅子に座っていると、すぐに呼ばれた。
 十五分ほど受診しただろうか、薬が増えた。幻聴が症状の中で一番酷いと田中先生は判断したようで、エビリファイ、という幻聴を抑えるには効果的と言われている薬を一錠追加された。田中医師に言われたのは、
「次は一週間後の九時に来て下さい」
というものだった。
 帰宅したあと、LINEがきた。相手は同じ職場の下屋敷順子さんからだった。
〈こんにちは! お久しぶり。あれから調子はどう? みんな心配しているよ〉
〈下屋敷さん、こんにちは。久しぶり。そうなんだ、心配してくれてるんだ。有難い。調子は幻聴が酷いから薬が今日一錠増えたよ〉
 LINEはすぐには来なかった。今の時刻はスマートフォンを見ると11:35と表示されている。下屋敷さんは仕事中にLINEを送ってくれたのかな。もし、そうなら気を遣わせてしまったことになり申し訳ない。
 そして十二時三十分ころ彼女からLINEがきた。
〈そうなんだ。まだ、復帰は難しそうね。でも、焦らないでじっくり治してね。みんな待っているから〉
〈それは嬉しい話しだね、ありがとう〉
〈いやいや、私やみんなの気持ちを代弁しているだけだから〉
〈梶村施設長も同じように思っているの?〉
〈もちろんよ。だから、こうしてLINEしてるじゃない〉
〈だよね。僕、下屋敷さんの独断でLINEくれたのかと勘違いした〉
 僕は照れてしまった。
この施設の職員で一番若いのはきっと下屋敷順子さんだと思う。今は少しだけ好意を抱いたことがあったけれど、カミングアウトせずにその気持ちは自然と消えた。彼女は結構気の強い部分があり、そこについていけないと思ったのだ。
 でも、LINEをくれたりしてそういう優しい部分を垣間見ると、気持ちが再燃しそうだ。今は病気の苦しみでそれどころではないが。初めての診察を田中先生に受けた時、入院を勧められたが僕は頑なに断った。なぜかと言うと生命保険に入っておらず、自費で払うのは困難だからだ。その話は診察室に母と一緒に入ったので母が話した。田中医師は納得したのか、「わかりました」と言っていた。
 これから僕の病気はどうなることやら……。快方に向かってくれればいいが。
 そのためには、食事を食べたくなくてもしっかり摂り、薬を忘れず飲み、よく寝ることらしい。統合失調症の本に書いてあった。果たして、本の通りにいくかな。もちろん、努力はするけれど。職場の利用者であるおじいちゃん、おばあちゃんにも会いたいし。認知症だから僕のことは記憶にないだろうけれど。それでもいいのだ。毎日会っていても、毎日初めまして、は滑稽でもある。
 病気が良くなっても介護の道を歩んでいきたいと思っている。老人はかわいいから。たまに、手間取ることもあるけれど、そこは仕事だと割り切って、
乗り越えなくちゃいけないと思っている。具体的にどういう部分に手間がかかるかと言うと、帰りたい気持ちが強くなり、家まで送って欲しいと言われるが彼らの家はもうない。なので、「娘さんがもうすぐ来るから、もう少し待ってね」と言い誤魔化す。そんな感じでまた復帰したら関わっていきたい。そして、僕の病気も然り。焦ってはいけないけれど、ちゃんと治療して規則正しい生活を送ることを心がけようと思っている。母の影響なのか、人生はこれから、まだまだ
先は長い。楽しみながら生きていけたらなぁと思った。
 
                             終
 

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