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【短編小説】離婚の果ては

 僕は小学生のころ、お母さんと妹の三人で街中を歩いていた。横断歩道のまえで僕たちは停まった。お母さんは言った。
「さあ、青よ。進むよ」
 そこで僕は疑問に思ったことがある。お母さんは信号を見て、青と言った。でも、僕には白に見える。他の信号でも同じように見えた。なんでだろう? どうしてお母さんは白の信号を青と言うのだろう。妹の
かえでに訊いてみた。
「楓。おかあさんは信号の白を青というけれど、楓も青にみえる?」
 妹はぎょっとしたような顔つきで僕を見ている。
「おにいちゃんなにいってるの? 青じゃん。こわいよ」
「ん? どうしたの?」
 お母さんは言った。
「おにいちゃんがへんなこと言うの」
「変なこと? どんなこと?」
「信号のいろが青なのに白っていうの」
「ええ!? 正太郎しょうたろう、本当なの?」
 お母さんはすごく驚いていた。
「ほんとうだよ! うそなんかついてないよ」
 なにやら考えている様子。そしてこう言った。
「今度、眼科に行ってみようね」
 僕は眼科という言葉を初めて聞いた。
「がんか?」
「うん、目の病院ね」
「え。こわいよ。いきたくない」
「大丈夫よ。色の検査をするだけだから。痛くないよ」
 僕はそれ以上わからなくてだまっていた。
 
 いま、僕は高校生。進路は大学に進学する予定。どんな大学に行くかはまだ決まっていない。担任の先生や親とも相談しながら決める予定。僕も、学校にある求人票が載ったファイルをたまに見ている。
 両親は先月離婚した。僕の進路のことで意見が食い違い、父は大学に進学を、と言っていたが、母は勉強するより働いたほうがいい、と言っていてまさかそれが原因で離婚するとは思わなかった。ある夜、大きな声で夫婦喧嘩をしていたのを覚えている。多分、そのときに離婚をお互い決意したのだろう。そんな気がする。親権をどちらにするかでももめた末、僕にも訊いてきた。
「正太郎、お父さんとお母さんは離婚することにしたけど、どちらと一緒にいたい?」究極の質問だ。なので、「そんなすぐに決められないよ。考えさせて」と二人に伝えた。
 どうしよう……決められない。楓はどうするのだろう。ちなみに妹は中学生。訊いてみるか。二階の自分の部屋にいた楓のところに行った。ガチャリと音をたてながらドアを開けた。「入るぞ」言いながら妹の部屋に入った。「どうしたの」
不思議そうな言いかたで楓は勉強している。
「お父さんとお母さんの離婚の話しなんだけど」妹はだまっている。
「どちらと住むつもりだ?」すこしあいだをおいて、
「凄く悩んだけど、お母さんと住みたい。女の子の体の話しとかはお母さんのほうがいいし」なるほどなと思った。
「じゃあ、僕はお父さんと住むっていうことになるのかな」楓は考えている様子。「べつにお兄ちゃんもお母さんと住んでもいいんじゃない?」
今度は僕が考える番。
「それじゃあ、お父さんがかわいそうじゃない? 独りぼっちで」
妹は顔をしかめて言った。
「お兄ちゃん、そういうところ優しいよね」
「まあ、なんだかんだ言っても世話になってるしな」
「偉いね、私は親が世話をするのは当たり前だと思っているからそこがだめね」
「だめではないよ。普通じゃないか。受験まえだしさ」
「まあ、確かに。お兄ちゃん、考え方が大人だね」
「そうか? 普通だろ」
「少なくとも私よりは大人だよ」
「そりゃそうだよ。三年も長く生きてるんだから」
「いま、思い出したんだけど、お兄ちゃんが小学生のころ信号の色のことで病院に行ったじゃない。結果はなんだったの?」
「おまえ、よく覚えてるな。僕なんか忘れていたよ。『色盲』だ」
「色盲?」
「うん、簡単に言うと色がわからない生まれつきの疾患」
「そうなんだ。治らないの?」
 楓が心配そうに訊いてくるので僕はこう答えた。
「どうなんだろうな。でも、日常生活に支障はないから大丈夫だよ」
「信号気を付けてね。事故らないように」
「ああ。大丈夫だ。サンキュ」
 さすがは僕の妹。優しい。僕は誰に対しても優しいと思うから、そこが兄妹として似ているんだろう。良いことだ。必然的に妹は大学に進学しないことになるのだろう。母さんは勉強より、仕事をしてほしい人だから。でも、楓はどう考えているのかな。大学に行って勉強したいとは思わないのだろうか。いくらお母さんと暮らしたいとはいえ、何でも言うことを聞くわけにいかないだろう。
 
 そういえば明日楓の誕生日だ。何か欲しい物はあるのかな。再度、楓の部屋に行き、訊いてみた。
「楓、明日、誕生日だよな。プレゼントするよ? 何がいい?」
 妹は嬉しそうに言った。
「え! 買ってくれるの? うーん。イヤリングとネックレスがいい。本当はピアスがいいけれど、学校の先生がうるさいからね。高校卒業したらピアスの
穴開けるつもり」
「そうか。高いものは買えないけれど今から行って選んでくれないか? 僕はセンス悪いからもしかしたら気に入らないかもしれないからさ」
「わかった。明日、学校終わったら行く?」
「そうだな。学校で何もなければすぐに帰れるから、お互い帰ったら行こう!」
 そう言って僕は妹の部屋を後にした。
 僕は居間に行って両親にも、明日楓の誕生日だね、という話しをした。
「そういえばそうだな!」
 と今気付いた様子のお父さん。
「そうね。ケーキ、ワンホール買って来なくちゃ」
 と既に気付いているお母さん。
 僕は両親のことで気になることがあるので訊いてみた。
「二人は本当に離婚しちゃうの?」
 お母さんは即強い言い方で返答した。
「勿論よ!」
 お父さんはそういうお母さんを睨みながら言った。
「決まったことだ! 変更はしない」
 僕はもしかして二人の離婚が無くなるかもしれないと期待を込めて訊いたが状況は変わらないようだ、残念。そのことも楓に伝えたら妹は言った。
「そりゃそうよ。変わるわけない。二人で決めたことなんだから」
「だよなぁ……」
「あの二人にこれから先も結婚生活を望んでも無理だと思う」
 妹は随分としっかりした発言をするんだなと思った。今どきの中学三年生の女の子くらいになるとそれくらいしっかりするものなのかな、よくわからないけれど。お父さんは僕を真っ直ぐに見て言った。
「それで、お前と楓は俺とお母さんのどちらと一緒に住むか決めたのか?」
「楓はお母さんと住みたいと言ってて、僕はお父さんと住むという話しになった」
「そうか、お母さん、聞いてたか?」
「聞いてるわよ。二人で話し合って決めたの?」
 お母さんは僕を凝視しながら言った。
「そうだよ。楓は女の子の体はお母さんの方が良い、という話しをしたのさ」
「なるほどね」
 お母さんは感心しているようだ。お父さんも、なるほどな、と言っている。
「ごめんな。こんな両親で」
「貴方! 何言ってるのよ! これは仕方のない事なの!」
「それはそうだけど、ここで言う話しじゃないだろう」
 やっぱり、お父さんの方が優しい。言ってはいないけれど。そんなこと言ったらお母さんは怒り狂うだろう。怖くて言えやしない。今、疑問に思ったことがある。お父さんはお母さんの性格がキツイということは結婚前から知っていたのかな。お父さんと二人になった時、訊いてみよう。それこそ離婚した後でもいいし。それなら、二人の時間が沢山ある。いつ離婚するのだろう。訊き辛い質問だから訊いていないけれど。一緒にいる内は話したいこと、訊きたいことを行動に移そうと思っている。
 芸能人が言っていた話しで、離婚は結婚より大変だ、と言っていたのを思い出した。そうなのか、としか思えないけれど、いずれ僕も結婚、離婚を経験したら分かる事だ。結婚は経験しても、離婚はなるべくなら経験したくない。離婚したら何の為に結婚したか分からないから。
 

 翌月になり、お母さんは離婚届けを役所に行って貰ってきたようだ。すぐに書き入れ、お父さんの帰りを待つ。待っている間、母は苛々しているように見えた。早く仕事から帰ってこい! と言わんばかりに。
 家のチャイムが鳴った。お父さんかな。お母さんは玄関に行って、はい、と言った。用心深い。そんなに治安が悪い町だと思えないけれど。そんな事を今更言っても何も始まらない。お母さんのやり方のままで良い。二階からバタバタと楓が降りてくる足音が聴こえる。家は家族が揃ったら夕食を摂る習慣がある。
「お腹空いた!」
 言いながら楓はいつもの席に座った。そして、母にこう言った。
「お母さん、今日の夕食は何?」
「あんたは食べることばかり考えてるのね。だから太るのよ」
「あ! 今、お母さん酷い事言った!」
「だってそうじゃない」
 お母さんは笑っている。
「感じ悪―」
「何とでも言いなさい」
 妹は涙を浮かべている。そして走って二階の自分の部屋に行ってしまった。父は口を開いた。
「お前、さっきの言い方無いぞ。あまりにも酷い。きつ過ぎる。何であんな言い方した?」
「わたし、離婚するというストレスからあんなこと言っちゃった……」
 お母さんは慌てたように二階に小走りで向かった。謝りに言ったのかな。
 二階からお母さんの声が居間まで聞こえてくる。
「楓! さっきはごめんね。お母さん、言い過ぎた。言い訳をすると、お父さんとの離婚問題で苛々していたの。本当にごめんね」
 妹の声は聞こえない。流石に部屋の中の声までは聞こえないか。
 お母さんの声も聞こえなくなった。楓の部屋に入ったのかな。心配になったので僕は二階に行こうとした時、父に止められた。
「二階には行くな。二人で解決させるんだ」
「何で?」
「話しがこじれたら困るだろ」
「そっか、わかった」
 僕は二階に行くのを諦めた。
 時刻は十九時三十分頃。お母さんが二階に行ってから約三十分経過する。大丈夫だろうか。まだ、話しているのか? それにしては長い。お父さんにも言った。
「お母さんが二階に行ってから三十分くらい経つけど大丈夫かな?」
「大丈夫だと思うが一応見てくるか」
「僕が行く?」
「いや、俺が行くわ」
 そう言い、お父さんは立ち上がった。丁度ビールを一缶空けたところだった。
二階へと続く階段を昇りながら、
「おい! お前ら、大丈夫か!」
 お父さんが大きな声で言ったのが聞こえてきた。
「お父さん! 入って来て! 楓が……!」
 ガチャリと部屋のドアを開けた。すると居間にいる僕にも聞こえるくらいの奇声が聞こえた。どうしたんだろう? と不審に思ったので僕も二階に行ってみた。すると楓がハサミを母に振りかざそうとしていた。お父さんは叫んだ。
「楓! やめろ! そんなことして良いと思っているのか!」
「そう言われて、楓は涙を流しながら泣き崩れた。お父さんと僕が居間にいる間妹とお母さんの間に何があったのだろう。楓は嗚咽を漏らしながら、
「だって、だって……お母さんが……!」
「お前、また楓に酷い事でも言ったのか?」
「わたしはただ……ただ、痩せなさい、と言っただけよ。話の流れでね」
「お前も同じ女だろ! 体型の事とか言うなよ! 傷つくだろ!」
 お父さんはお母さんに怒鳴りつけた。
「わたしはただ、親として言ったのよ。他人に言われるよりマシかと思ってね」
 お父さんは何か考えているように見える。そして、言った。
「まあ、お前の言い分も一理あるな。確かに他人に言われるよりはマシかも」
 そこで楓は喋り出した。
「いくら親でもそんな事言われたくない!」
 妹はまだ泣いている。別にお母さんの肩を持つわけじゃないけれど、泣き喚きハサミを振りかざす事か? 言ってはいないけれど。仕方なくお母さんは謝った。「ごめんね、楓。お母さん、言い過ぎたわ」妹は言った。
「謝るくらいなら、最初から言わないでよ!」
「楓! お母さんも悪気があって言った訳じゃないからそれ以上言うな」
 妹はお父さんに怒られて、はーい、しょぼんと返事をした。
「貴方、わたしをかばうなんて珍しいじゃない」
お母さんはお父さんに言った。
「そういう時もあるさ」
 僕は言った。
「お! お父さんとお母さん、仲直りしたの?」
 お母さんはお父さんを睨みこう言った。
「仲直りなんかしてないよ! 変なこと言わないで!」
 するとお父さんは引き攣った顔をして笑っていた。
「離婚届貰ってきたからかいてくれる? わたしは既に書き終わって判子を押してあるから」
 お父さんは、溜息ついた。もしかして本当は離婚したくないんじゃ……。でも、お母さんの前では言えない。僕も楓も離婚して欲しくないから。でも、今更だろう。離婚届にお母さんはサインして、判子も押してある。
「正太郎、ボールペン取ってくれ」
 お父さんは冴えない表情をしている。そして、書く前にお母さんに言った。
「本当に離婚するのか?」
「はあ? 何言ってるの。当たり前じゃない」
「進路の事で喧嘩したのが離婚するきっかけになったんだから、子ども達の進みたい道に任せればいいだろう。それに、離婚するとしても子ども達が成人になってからでも遅くないだろ」
「まあ……そうね」
「だろ? じゃあ、この離婚届は捨てるぞ? いいな?」
 お母さんは言う。
「一度決めた事を変えるのはしゃくだけど、子ども達も未成年だから仕方ないわね」
 僕は心の中で(よし!)とガッツポーズをした。これで良い! 楓にも伝えてやるか。僕は二階に行って楓に先程の経緯を説明した。
「ほんと? やったー! 私も内心は離婚して欲しく無かったからさ」
 妹は嬉しさの余り涙を浮かべていた。これで、また前のように家族仲良く過ごせるはず。本当に離婚を回避出来て良かった。
 
 あとは僕の色盲を治療しなければ。色盲だと公務員の試験を受ける時、身体検査で引っかかるらしい。治療出来る施設は東京、大阪、福岡らしい。前に、パンフレットを貰った時に見た。僕は北海道に住んでいるから費用を工面しなくちゃいけない。両親に相談してみよう。上手くいくと良いが。
                                終

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