あの世とこの世をつなぐ小屋 2
秋田県にかほ市の盆小屋行事の記録 1はこちらから
(1はこちらから)
8月15日送り盆の日は、12日と違って青空の広がる天気になりました。浜の町丁内の町会では午後3時ごろから送り火をする準備を始めました。上からの日射しと砂浜からの照り返しがまだ強い時間帯で、肌が焼けるのが分かります。そんな中、早く済ませてしまおうとばかりに町会の男性らは早速作業に取り掛かりました。
盆小屋を燃やして送り火にするといっても、そのものに火をつける昔ながらのやり方をする町会は下荒屋だけです。ほかの二つの町会は、拝みに訪れる人のために祭壇部分だけを残し、バラした稲わらや柱を12日と同様、小屋の傍で松明にして燃やします。主だった柱や合板は燃やさずに保管し、翌年も使います。また浜畑町会では確保に不安のある稲わらも燃やさずに保管しておくそうです。
ここは夏の間は海水浴場なので、海に入ったり砂浜で寝転んだり、思い思いに楽しむ人たちの姿が見られます。海水浴客は盆小屋の周りで作業する男性たちに気付かないのか興味がないのか、特に注目するそぶりもありません。たとえ気づいたとしても、彼らが何をしているのかおそらく分からないでしょう。また町会の男性たちも毎年のことなので海水浴客を気にする様子はありません。
盆小屋保存会の有志が大粒の雨の中や木陰もない強い日差しの中、黙々と小屋の周囲で作業をしている姿は胸を打つものがありました。気軽に引き受けられる仕事でないことは一目瞭然です。
彼らは何のためにやっているのでしょうか?
この21世紀の世の中で純粋に先祖の霊だけを信じている人はおそらくいません。あらかた作業を終えてビール片手にくつろいでいた浜の町丁内の男性に尋ねると、
「この時期になると特に行事に協力するわけでもないのに、近所の人から『今年もやるのか?』と聞かれるんだ」と苦笑いをします。いってみれば「盆小屋行事をやってくれ」という遠回しの催促です。地域の住民がそれだけ行事を心待ちにしている証ともいえます。
学校卒業後すぐに県外に働きに出て、30歳で戻ってきたという49歳の男性は、
「私は子どもの頃に盆小屋で寝泊まりしましたが、上の世代から何か大事なものを受け継いだという感覚はありません。それでも参加するのは、この行事はやるのが当たり前だからです。子どもがいるかいないか、子どもがやるかやらないかは関係ないんです」ときっぱり答えます。
では、なぜ?
「作業を終えて、このメンバーでこうして座りながら一緒に飲むビールがたまらない。これがあるからやれるんですよ。近所に住んでいても、それぞれ仕事があるから滅多に顔を合わせることもし、会ったとしても挨拶を交わす程度でしょう。ゆっくり話ができるのはこういう機会だけだからね」。
日没の時間が近づいてくると、日中の晴れ間はどこかに行き、雲の多い空模様になってきました。残念ながら今日は夕陽を見られそうもありません。それでも日没の時間が近づくと自然と人々が小屋を中心に海岸に集まりはじめました。みな何をするでもなく静かに海に向いて陽が暮れていくのを待っています。
この日は迎え火のときとは逆に、家の仏壇の火を提灯に移し、盆小屋の前で静かに手を合わせた後、そっと消していく人の姿が見られました。また、波打ち際まで寄って線香を砂浜にさし、しゃがみ込んで海に向かって拝んだり、じっと海の遠くを眺める家族の姿もありました。線香のかすかな火もまた迎え火、送り火の役割を果たしているのです。
穏やかな波が打ち寄せては引いてを繰り返しています。水際の砂は水をたたえたかと思うと、次の瞬間すうっと染み込ませていきます。海と陸との境が行き来しています。それと同様、黄昏どきのこの海岸も、まるであの世とこの世が互いに曖昧なまま溶け合っているかのように思えました。そしてその媒介の役割を盆小屋が果たしていることに、私は感動を覚えました。
「私たちは小さい頃からずっと海に陽が落ちていくのを見て育っていますでしょう。生活の一部です。陽が沈んで、こうして段々と薄暗くなってくると、浜で火が灯る。すると、あぁ、ご先祖様の霊が海に帰っていくのだなという気持ちになり、太陽の沈んだ方に向かって自然とこうべが垂れる。手が合って、拝む。子供の頃からの習慣です」。
そう語ってくれた75歳の男性の横顔を見ると、彼の瞳には水平線の残照が映り込んでいました。
浜の町丁内地区と浜畑地区の松明に火が灯りました。
祭壇で拝む人の数が落ち着くと、大人に促されて子どもらが「じーだ ばんばーだ この火のあかりで いとーね いとーね」と歌いはじめました。迎える日は「きとーね きとーね」でしたが、この日は「おじいさん、おばあさん、この灯りを頼りにお帰りください」という意味です。
この頃になってようやく下荒屋の人たちも浜辺に姿を見せるようになりました。こちらでは祭壇の飾りを外した後、昔ながらのやり方で小屋の木材も稲わらも翌年に持ち越さず、そのまま火をつけて送り火にします。その前にいま一度祭壇のロウソクに火を灯し、人々は先祖の霊との別れを惜しむように海に向かって拝みます。
12日の迎え火もそしてこの日も、下荒屋の子どもたちは使い込まれた提灯を手にしていました。これらは20年以上前に老人会の人たちがこの行事のためだけにわざわざあつらえてくれたもので、今もそれを小学生が代々大事に使いつないでいるのです。宵闇に提灯が揺れると、そこに書かれた「迎え火 送り火 千灯 万灯」の文字も一緒に揺れます。灯の数字は魂の数のように私には思えました。
波打ち際で小屋を背に人と話し込んでいる隙に、小屋に火が放たれていました。13日から好天続きで乾燥した小屋は、すでに大きな炎に包まれていました。暗闇の中で赤々と炎がうねり、周りにいた人が驚いて小屋から背を向けて遠ざかります。
下荒屋の町会長さんに、私は気になっていたことを尋ねました。
盆小屋行事を行う町会が徐々に減ってきているなか、小屋を建てなくなった町会の人たちはどのようにお盆を迎え、送るのかということと、「じーだ、ばんばーだ」の歌はどうなるのか、ということです。
「そうですね、行事を取りやめた町会の人たちは、それぞれ静かに過ごしているのではないでしょうか。家の玄関先で迎え火や送り火をしているという話は聞かないないですね」。
「『じーだ、ばんばーだ』の歌は、この浜辺で火を前にして子どもたちが歌うものですから、行事が途切れたら歌も途絶えます。その町会の子どもが歌う機会はもうないでしょう」。
ただでさえ子どもの数が減っている中で、親が盆小屋行事に関心を示さず子を参加させなければ、この行事は立ち行かなくなります。
「次の世代につなぐためには子どもを持つ親に行事を理解してもらうようコミュニケーションをとっていかなければ」と、保存会のメンバーのひとりは自らに言い聞かせるようにつぶやいていました。
歌を歌い終えた子どもたちは花火をはじめました。暗闇の中にパッと火花が散ると、楽しそうな甲高い声が上がります。小屋に泊まることのない今の子どもたちにとって、これが盆小屋行事のハイライトなのかも知れません。
「稲わらの入手は本当に難しいし、子どもは減る一方です。この行事をいつまで続けられるか分かりません。でも年に一度、近所の人が自然と集える場なのです。次の世代にもぜひ引き継いでほしいと思っています。たとえ子どもがいなくなっても、自分が死んで魂となって帰ってきたときに、浜で出迎えてほしいです」。そう語る人がいる一方で、「本来は子ども行事なので、子どもが参加しないのに大人だけで続ける意味があるのか、正直迷うところがあります。子どもが歌う『じーだ、ばんばーだ』は子どもたちのおじいさんおばあさんのことで、最近旅立った魂を迎えたり送ったりする歌だと私は思うのです。それを大人が歌うのは違うでしょう。町会内に子どもがいなくなったら? そうですね、やらなくなると思います」。そう考える人もいます。
先祖への深い思いは誰でも同じですが、行事を続けることへの考え方には温度差があります。でも皆が口を揃えたのは「稲わらが手に入らない!」ということでした。
「来年稲わらが手に入らなければ、今年が最後になるかもしれません」。下荒屋の町会長さんは寂しそうにそっと呟きました。
海はとうに真っ暗でした。だいぶ遅い時間になってきましたが、それでも名残惜しいのか海岸にはまだだいぶ人が残っています。送り火が周囲を赤く照らし、子どもは花火に興じ、大人は話に花を咲かせます。
こうして文章を書いている今になってそのときの様子を思い返してみると、部外者の私には見えていなかっただけで、あそこに集ったすべての人たちには、先祖の霊が海の彼方へとゆっくりと帰っていくのが見えていたのではないだろうか、それを夕暮れからずっと皆で一緒に見送っていたのではないだろうかと、思わずそんな妄想が浮かんでしまいます。
宗教以前の、もっと原初的な祈りの光景が確かにそこにはありました。
最後に
先祖の霊を迎え送るために、お盆の間だけ現れる小屋があると知った時には本当に驚きました。しかも最後は小屋を送り火として燃やしてしまうというのです。まるで彼岸と此岸をつなぐ幻の小屋ではないでしょうか。
そこで各町会に許可をいただいて、盆小屋を建てる12日と仕舞う15日の2日間を取材させていただきました。
繰り返しになりますが、盆小屋はまるであの世とこの世をつなぐかのような存在で、実際に行事を目の当たりにすると、その思いは一層強まりました。迎え盆の12日は日中強い雨が断続的に降り続き、私は三陸沖に停滞する低気圧と迷走する台風七号を呪い、夕方からの撮影を半ば諦めていました。しかし迎え火を焚く直前になって雨はぴたりと止み、水平線の雲の切れ間からまさに沈まんとする太陽が顔を覗かせたのを見て、この海岸は本当にあの世とこの世がつながっているのではないかという錯覚を覚えました。いやひょっとしたらそんな不思議なことがこの世界にはあっていいのかもしれません。
2日間にわたって盆小屋の周りに集う人たちと話をしていると、小屋が先祖の霊とだけでなく今を生きている住民同士をつなぐ大切な役割も果たしていることにも気付かされました。もう小屋を建てるのを止めてしまった町会の住民も、12日と15日に浜を訪れ、祭壇を借りて拝んだり、遠巻きに松明の火を見守っているのだそうです。
盆小屋行事はこの世に残された家族のためであるのと同時に、地域で生きる住民のためにも続いているのです。
今回取材を受け入れてくださった秋田県にかほ市の下荒屋地区、浜の町丁内地区、浜畑地区の皆様には心から感謝申し上げます。そしてこの行事が地域の人々の心のよりどころのひとつとして、長く続くことを心から願っています。(了)
参考資料
「昭和57年度 象潟の文化 郷土史資料」象潟町教育委員会(1982年)
「平成2年度 象潟の文化 郷土史資料」象潟町教育委員会(1990年)
「平成7年度 象潟の文化 郷土史資料」象潟町教育委員会(1995年)
「象潟町史資料編Ⅰ」象潟町 (1998年)
「雄波郷 第二号」にかほ市教育委員会/にかほ市郷土史研究会 (2008年)
「あきた元気ムラ にかほ市・下荒屋地域の盆小屋行事」
「なんも大学 秋田の伝承学 盆小屋」
追記
「象潟の盆小屋行事」は2008年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」に選択されています。
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