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有明海に建つ棚じぶ漁の小屋

こんにちは。
畑や田んぼ、漁港などに建っている物置小屋や作業小屋の写真を撮り歩いては記事を書いています。
何かのお役に立ちそうにはありませんが、よろしければ、しばしお立ち寄りください。

今年の夏、九州に仕事で行く機会があったので、帰京を1日延ばしレンタカーで小屋巡りをしてきました。いつもは大まかに行きたいエリアを決めるだけですが、今回は時間がなかったので佐賀県鹿島市にある棚じぶ漁の小屋を目的地としました。

有明海は干潮時と満潮時の潮位差が激しく、特に鹿島市では大潮の時にはおよそ6メートルほどもあるそうです。干潮時には広大な干潟が出現し、満潮になると一面の海になります。そして棚じぶ漁は潮が満ちた時間帯にだけできる漁です。やり方は至って簡単。海中に網をおろし、数分経ってから上げるだけ。そのとき入っている魚を獲るという、運任せなのんびりとしたものです。

海上に突き出た棚じぶ漁の小屋

車を海沿いに走らせていると、海上に小屋があるのが見えました。ちょうど潮が満ちている時間帯だったおかげで、陸から5〜6メートルほど海に突き出す形で小屋が建っている様子を見ることができました。この外観だけでも写真としては十分ですが、せっかく来たのですから、できることなら内部も覗いてみたくなります。小屋は道の駅鹿島の敷地内にあるので、事務所で小屋の中を見せてもらえないか尋ねてみました。

「こんにちは。突然すみませんが、棚じぶの小屋を撮影したいのですが、写真を撮ってもいいですか?もし可能なら、内部を見学させていただきたいのですが」
「はい、こんにちは。小屋の内部を見るだけですか?えーっと、そうしたら、裏手にある鹿島市干潟交流館に確認してみますので、お客さんもそちらに回ってください」
そう言って、応対してくれた女性は隣に建っている建物を指差しました。
道の駅の建物を一旦出て、そちらに行くと受付窓口があり、60歳前後の男性が対応してくれました。ここは道の駅とは別に、有明海の干潟に親しんでもらおうという趣旨で運営されている施設です。干潟で泥だらけになりながら運動会をする「ガタリンピック」というイベントを見聞きしたことがあるかもしれませんが、その会場になっているのが、この施設前に広がる海です。

交流館の男性職員(以下、職員)「お客さんは、小屋を見るだけ?はい、それでしたら無料でご案内しますが、今はちょうど満潮なので2,000円お支払いいただければ棚じぶ漁を体験できますよ」
「えっ!? 2,000円で小屋を貸切りできるのですか?」
職員「はい、、、、ちょっと待ってね、(壁にかかっている潮位表を見ながら)うん、そうですね、今日は13時が満潮なので、今から潮が引く15時ごろまで、大体今から4時間ぐらい、自分で網をおろして漁ができます。獲れた魚は持ち帰りもできます。網を上げるとシラタエビという小さいエビが獲れるけど、それをかき揚げにして食べるとすーごく美味しいですよ!」

なんと幸運なことに、今なら小屋を貸切って、漁を体験できるのだそうです。しかし出張のついでに寄ったので、何も用意していません。

「キャッチ&リリースしてもかまわないんですか?」
職員「もちろん、そういうお客さんもいます。でも、シラタエビのかき揚げ、本当に美味しいですよ!保冷バッグを持ってくる人もいるけど、お客さんは、なに、手ぶらで来たの? 持って帰って今夜泊まる旅館で調理してもらったら?」

とても魅力的な提案ですが、今日の夜に飛行機で帰らなくてはなりません。訪れた季節は夏だったので、東京まで持って帰るうちに傷んでしまったらエビにちょっと申し訳が立ちません。

「いやー、小屋の写真を撮れれば満足と思って来たので、まさか漁をできると思っていなくて(笑)。でもせっかくなので小屋を貸してください」

これまで小屋の写真を数多く撮ってきましたが、こんな機会に恵まれるとは思ってもいませんでした。小屋内部の写真を撮るためだけに2,000円払うことに価値を見出せるかどうかは、人によって違うでしょうが、私にとってはまたとない、千載一遇のチャンスです。ましてや、小屋の存在理由となっている棚じぶ漁を実際に体験できるのです。窓口で申し込みをし、お金を払った後、男性職員の後について小屋へと向かいました。
小屋に入ると男性は簡単に網の使い方の手ほどきを済ませ、「それじゃ、あとは楽しんでください」と管理棟に戻っていきました。

見た目はスリリングですが、足元はしっかりしています
私が借りた小屋の内部は8畳ほど。4人家族がゆったりできるサイズだ
一年を通して獲れる魚類表。色褪せ具合が良い感じ

漁にももちろん興味がありますが、まずは小屋の外観と内観の撮影を済ませます。網を海中に沈めてみると、1メートルぐらいの水深はありそうです。

手前が借りた小屋。網は海中に沈めている。

7月の昼どきの炎天下、あっちへこっちへと行ったり来たりしていると、容赦なく太陽が照りつけ、汗が噴き出てきます。幸いなことにすぐ横に道の駅があるので、そこで昼食と水を買い、小屋の中でお昼を食べることにしました。
相変わらず汗は流れ落ちていましたが、陸側の扉を開けておくと、海からの風が気持ちよく吹き抜けていきます。

お昼ご飯。左のパックは黒砂糖のたっぷり入った「焼きだご」という地元の焼き菓子。

案内してくれた58歳(取材時)の男性職員によれば、高校生だった40年ぐらい前まではこうした小屋が河口沿いに50基ほど並んでいたといいます。地元の住民がそれぞれ所有し、魚を獲っていたそうです。でもそれはとても市場に出すほどではなく、家族で食べたり、近所に配るなどして生活の中で消費する程度だったとのこと。およそ20年前に観光用に2基が建てられ、今ではそれが残るのみになりました。現在の小屋は丸太とトタンで組まれていますが、昔は竹だけで組んでいました。素材が変わったから丈夫になったのかといえばそうでもないそうで、今も台風で壊れることがあり、その度に作り直すので、小屋の維持は大変だと教えてくれました。

ご飯を食べ終え一息ついたところで、実際に棚じぶ漁に挑戦してみました。
網は間近で見ると意外に大きく、一辺が3メートル〜4メートルほどはありそうです。2本の塩ビパイプをクロスさせ、管の四隅と網を結んで張ってあります。写真を見ていただくと分かりますが、もう一本縦に通した塩ビパイプの先にロープを結び、それを滑車に通して、網を上下させる構造です。

網とロープと滑車の関係が伝わるだろうか。右下に写っているのが、魚をすくい上げるタモ網。

小屋備え付けのバケツに海水を汲み上げ、準備万端。さぁ、大漁の予感しかありません。
前に誰かが置き忘れていった軍手を借用し、ロープを解いて、ゆっくりと網を海中に下ろしていきます。魚のエサは特にありません。そのまま放置すること、およそ5分。今度は急ぎ気味にロープを手繰り寄せ、網を上げてみました。すると小さなエビが跳ねているのが見えました。柄の長さが3〜4メートルはありそうなタモ網を使って引き上げようとするのですが、これがなかなか難しい。たわんだ網にタモ網をグイグイと押し付け、その勢いで入れるのですが、あまり強くやると網が破れてしまうことがあると、男性職員から注意を受けていました。それでもなんとかタモ網にエビを入れ、海水の入った容器に移しました。
近くでよく見ると、きれいに透けた小さなエビです。これがおそらくシラタエビでしょう。そっと手にすくい上げてみると、お腹には卵を抱えています。男性職員によれば、獲ったその場で生のまま食べる人もいるとのこと。ちょっと食べてみたい誘惑に駆られましたが、私がここを訪ねたのは食レポをするためではなく、小屋レポのためです。

かき揚げにすると美味しいらしい

一度に獲れたのは10尾程度で、バケツの海水と一緒にリリースしました。もう一度チャレンジすると、今度はエビと一緒に12〜13センチほどの小さな魚がかかっていました。室内に張られていた魚類表を見る限りではスズキでしょうか。

2度目の投網で幼魚が掛かったが、これが最初で最後、最大の魚だった

2投目で魚が掛かったことで気をよくし、続けて網を降ろしましたが、掛かるのはシラタエビばかり。ちゃんと数えていませんが、10回ほどの投網でトータル100尾ほどはすくえたのではないでしょうか。ロープを上げ下げするだけなので、私のようなシロウトでも十分に楽しめる原初的な漁です。一人分のかき揚げするのには十分な量とも言えますが、2,000円分の釣果としてはどうなのでしょうか。撒き餌でもすれば結果も変わってくるのでしょうが、それとてやり過ぎれば海を汚すことになりかねません。男性職員が「家族のおかずになるぐらいだった」と言っていたことからも分かるように、大漁を目的とする漁ではないのです。これが棚じぶ漁本来の姿と思われます。そうと考えれば、これはなんともゆったりとした漁法です。

江戸時代末期から明治初期にかけて描かれた「有明海漁業実況図」には、簡素な小屋の中であぐらをかき、棚じぶ漁をする人々の絵が残されています。当時の人々も目の前の有明海から夕餉のおかずをちょいとおすそ分けしてもらうぐらいの感覚だったのかもしれません。
いや、私たちは大量消費を前提として生活していますが、移動や輸送がままならなかった時代には、そもそも食べる以上の魚を海から獲る必要はなかったはずです。

「有明海漁業実況図」https://www.pref.saga.lg.jp/kiji00366322/3_66322_123047_up_zgg7l6ov.pdf

手を休めて小屋の中で風に吹かれていると、昔の人々が網を引き上げて一喜一憂したり、小屋の縁に腰掛けてのんびりと海を眺めていた姿がなんとなく想像できました。これで一家を養う収入を得たのではないのですから、魚を獲っていたのは、主な働き手にならない老人や子どもだったのかもしれません。
冒頭で2000円払う価値について書きましたが、かつてここで生活していた彼らに思いを馳せ、同じ海を眺め、風を受けられたと考えれば、とてもお得です。

結局小屋を借りたのは2時間ほどでしたが、実際に自分で漁を体験をしたことで見えてきたことが色々とありました。あくまでも私の推測に過ぎませんが、棚じぶ漁という漁法が廃れ小屋が消滅したのは、小屋の維持管理の大変さや、過疎化や少子化という原因もあるでしょうが、生産性や効率を求める今の時代にはそぐわないというのが、一番の理由だったように思えます。その日獲れるかどうかも分からずに網を上げ下げするより、スーパーでお金を出して食べたい魚を買う方にシフトしたのでしょう。

今回訪れた佐賀県鹿島市では「棚じぶ漁」と呼ばれていますが、全く同じ漁法が、有明海北部の福岡県柳川市では「くもで(蜘蛛手)網漁」、岡山県岡山市では「四つ手網漁」と呼ばれています。穏やかな内海では古くからある漁法だったと推測できます。

ちょっと面白そうと思った方は、近くに行った際に立ち寄って体験してみるのはいかがでしょう(ホームページでは完全予約制になっています。必ず事前に問合せてください)。かつて当たり前だった「食べられる分だけを海からおすそ分けしてもらう、慎ましい日常」に思いを馳せることができるかもしれません。
そして獲れたシラタエビをかき揚げにして堪能してください。(了)
(2023.12.05)


体験してみたいという方はこちらから。
佐賀県 道の駅鹿島 棚じぶ漁体験(予約制)

岡山県 九蟠漁協の四つ手小屋

福岡県 柳川市のくもで網体験(4月〜10月)





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