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小屋の本いろいろ2

畑や田んぼ、漁港などにポツンと建っている小屋について書いています。
もしよろしければお立ち寄りください。

小屋の写真を撮ったりブログを書いていると珍しがられたり面白がられたりしますが、世の中には小屋好きの人たちが少なからずいます。これまでにもいろんな人が小屋に関する本や写真集を出しています。気になって収集したそれらの本を「小屋の本いろいろ1で紹介しました。今回はその第2回目です。新たに私の手元に集まった、小屋好きなら手に取ってみたくなる本を紹介してみます。
「小屋の本なんてあるの?」と思われるかもしれませんが、嬉しいことに意外にたくさん出ているのです。

「モガミの町火消し達」 松田高明ほか編著
Opa Press発行/丸善出版発売 2017年刊

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この本を見つけたときには「こんな小屋があるのか!」と新しい発見をした気持ちになり、膝を打ちました。
山形県最上地方に建つ、消防団が使用する消防小屋と団員を撮影した写真集です。
どんな市区町村にも消防署とは別に、地域住民によって組織された消防団があります。彼らが活動拠点とする建物には消火活動に使うポンプや自動車などが格納されていますが、外観はおしなべて無個性で「〇〇町消防団第○分団」と書かれた看板や丸い赤色灯が吊り下がっていることでようやくそれとわかる程度です。
しかしこの本の中には、形も色合いもユニークで味わい深い消防小屋が数多く登場します。その多くは建築年代が不明だそうですが、昭和初期に建てられたと推定されるものは、外観正面が洋風建築っぽい装飾になっていて、今見てもデザインが古びておらず十分におしゃれです。
本書の解説によれば、山形県では昭和初期に消火用ポンプが普及し始め、それに伴い地元大工の手によって消防小屋が建てられたようだとあります。
ひとつひとつを眺めていると、おらが町を火から守るために堅牢な小屋を建てようとした大工の意気と、西洋風建築を自分たちなりに解釈した上で楽しんで細部を作り込んだ遊び心が伝わってきます。
建ったばかりの消防小屋はさぞ目立ったことでしょう。
私は小屋ばかりに目がいきがちですが、一緒に写っている消防団員たちもなんとも言えない良い雰囲気を醸し出していて、とても魅力的です。表情はキリッと引き締まっていたり、笑顔だったりと団によって様々ですが、3代〜4代前の親たちから受け継いだ責任感が顔に出ているとでもいうのでしょうか。一朝一夕ではこうはいかないよな、と思わせる顔付きです。
地元写真家の松田高明氏が3年がかりで撮影した88箇所の写真と、小屋の分布図、そして工学院大学の後藤治氏と二村悟氏が書いた解説とエッセイで構成された力作です。
これを片手に最上地方の消防小屋巡りをしたくなります。

「世間遺産放浪記」 藤田洋三著 石風社 2007年刊

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世界遺産ならぬ世間遺産とはうまく言ったものです。
私たちは普段、ありとあらゆるものに囲まれて生活しています。そのひとつひとつを気に留めていたら、朝家を出て駅に行くまでの間でさえ前に進めず、職場や学校にたどり着くこともままならないでしょう。小学生の頃はそれを道草といって、学校に遅刻したり真っ暗になるまで帰宅せず、親や先生から怒られも許されもしたものです(今の子どもはスマホを持っているので、良くも悪くも位置確認されてしまうようになりました)。ところが成長するにつれ、いつの間にか見ないことに慣れてスムーズに社会生活を送るようになります。
本書に登場するのは、産業化で生まれた建築物や遺構(この中に農作業小屋や漁具をしまう小屋などが含まれます)、ひとつひとつ手積みした石垣や手塗りの土壁、廃電柱を転用した橋などの土木構造物、そして三叉路や田んぼのあぜ道などに古くから立つ石像、おじいちゃんおばあちゃんが代々受け継いできた農林漁業の技など、子どもの頃なら立ち止まってずっと観察していたくなるものばかりです。
著者は、「社会からはなかなか見向きもされない」モノたち、「長く人の生業やくらしとともにあった、『用の結果の美』としての建築や道具」など無名なものたちを世間遺産と呼びます。そしてそれらを見かけては立ち止まり、興味の赴くままにレンズを向け話を聞きながら、記録し続けるのです。
写真からは、たとえ役目を終え打ち捨てられたモノであっても懐古的な匂いや恨み節を感じさせません。カラッとして明るいのは、著者の大らかな性格もあると思いますが、「置き忘れられたモノにひそむ物語」から人の生業やくらしの「未来を探」ろうという好奇心に溢れているからでしょう。
著者は大分県在住のようで、本書には大分県を中心に九州地方、中国地方の世間遺産がたくさん登場します。山梨生まれ/東京在住の私にとっては未だ見たことのないモノや風景も多く、ずっと大切にしたい一冊です。
もし興味をお持ちになったら是非ページを開いてください。刺激を受けて身近にある世間遺産を探す旅に出たくなると思います。
取り上げているのは247事例。
著者が30年以上にわたって喰み続けた道草の集大成です。

「トタニズム」 イシワタフミアキ著 洋泉社 2013年刊

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世には色々な宣言があります。
教科書に出てくる「フランス人権宣言」。昭和の流行歌はさだまさしの「関白宣言」でした。山口県光市はどうしてそういう名称になるのかさっぱりわかりませんが「おっぱい都市宣言」なるものを出しています。そして2021年6月の今は「緊急事態宣言」の発令中。いずにしても意志・方針を誰にでも分かるようにはっきりと(?)表明するのが目的です。
本書の冒頭には「トタンは、向こうからやってくる」で始まる文が掲げられています。
名付けて「トタニズム宣言」。
長いですが一部を抜粋してみましょう。( / は中略の意味)

「トタンは、向こうからやってくる。車、車庫、物置、工場、倉庫、屋根、塀、放置物。さまざまなアーキテクチャに姿をやつし、散歩の道中、旅行先の車窓、あてなく徘徊する山野海端の景中、やにわ眼前に出現する鮮烈で玄妙なる天然物の現代美術品、それがトタン建築、もしくはトタンそのものである。
トタンは複雑で豊かな表情をたたえる。/
トタンには、厳密な直線の概念がない。水平垂直もない。/そこにあるのは、数学で解き明かせない観念性だ。観念を持った存在。トタンは人間なのである。
トタン表面の凹凸は砂漠のように美しい陰影をつくりだす。/トタンは、はかない一会の美玉だ。/
見渡せば、すぐそこにある。/トタンは人間の内面であり、哲学であり、我々そのものだ。書を捨てよ、トタンに出逢いにゆこう。街角や山野海端で立ち止まり、その景色を凝視しよう。トタニストとなり無作為の美に包まれよう。トタンはそこで待っている。」藤木TDC

トタンへの愛を高らかにうたうアクセル全開の宣言文ですが、これは序章にすぎません。ここからページをめくると、サビサビ、ツギハギ、ペンキ色褪せトタンの写真がこれでもかと展開され、ギアをあげていきます。
初めから終わりまで丸ごと一冊、トタンの写真集。
小屋とトタンは切っても切り離せない関係なので参考になるかなと思って手に入れたのですが、そんな思惑は吹き飛ばされました。あたかも自分がトタンの町に迷い込み彷徨っているかのような錯覚に陥ります。トタンに関心を払ったことのない人にとってはどれも同じように見えるかもしれません。しかし、トタンは向いている方角や雨風日射しの当たり方、時間の経過によってサビや色褪せの進行具合が違ってきます。よくよく見ると同じ素材でありながら一枚として同じものはなく、唯一無二な存在であることに気づくでしょう。今日出会ったトタンと同じものに別の場所で出会えることは決してないのです。
著者は、トタンは自然の力で進行していく現代アートで、それと一期一会で向き合えるのが魅力だと説いています。
先に紹介した「世間遺産放浪記」はカラッとして明るいと書きましたが、対してこちらの本は湿度高めでノスタルジーな仕上がりです。
トタン壁やサビ好きの人にとっては、いつでも鉄分を補充できる満足の一冊ではないでしょうか。

「日本の民家」 今和次郎著 岩波書店 1989年刊

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建築学者で民俗学者の著者が日本全国の民家を調査した報告書です。初版は1922(大正11)年、それに一部加筆した1954(昭和29)年の新版が底本になっています。
この本の魅力は、ふたつあります。
ひとつは著者本人が描いたスケッチが多数収録されていることです。民家の調査研究はどうしても母屋が中心になってしまいますが、敷地内に建っている小屋(薪小屋、厠、納屋など)が省かれずに描かれている点が嬉しいです。八丈島や伊豆の舟小屋、青梅や秩父のきこり小屋、箱根や甲州の炭焼き小屋、三河の塩焼き小屋などもスケッチに登場し、著者が生活の場としての母屋だけでなく、労働を支える小屋にも注目していたことがわかります。さすが考現学の産みの親、些細なことも見逃さず、脇役にもしっかりと目配りをしてくれています。
もうひとつの魅力が、調査対象となった民家の人々の暮らしぶりや息遣いがしっかりと伝わってくることです。
ちょっと長くなりますが、いくつか引用します。
秩父の山奥の家に泊めさせてもらったときのことを、こう書き記します。

この村で夏の夜泊まったときのことは忘れられない。石油ランプが落ち着いた気分を与えてくれた。そこに、宿の幼い女の児が遊びに来た。そのとき、窓からのながめは突っ立った峯の上一面に星がきらめいていて、時々峯の背からピカピカと稲妻が光った。宿の児がそれを眺めて、「めったイナビカリがすらあ、あれあ天竺の爺サマと婆サマだよ」と唄うようにささやいて私に教えてくれたのであった。

続いて武蔵平野の家での記述です。

この家に詳しい調べをやるのに数日通ってやっかいをかけたことがある。浦和から西へ半里行ったところの村の家で、仕事をやっているうちご馳走になったりした。お茶のとき、藁を焚いて薯を煮たのをご馳走になったりした。
この家の屋敷はお寺のように静かで、家の人たちは昼畠の仕事に出払っていたのだが、時々裸足でその仕事から帰って来るときの前庭を歩く足音が素的(すてき)に美しく感じられた。

武蔵西多摩郡の人里から遠く離れた山中に何年も住む山人足の家を訪ねたときのことを、こう記します。

山の散髪師のような樵夫(きこり)たちは、仕事から仕事を追うて転住して歩く。深山になると一つの沢の木を伐り出すのに数年かかるのが普通である。茂った青い暗がりから次の暗がりの境へと、この世の杣(そま)という正業者は、家族たちを提(ひっさ)げて、かかるうすあかりの境地を追うことで一生を了(お)えることになるらしい。山の胸の上で、山に抱かれながら一生を過すこの人たちの運命ほど孤独なものはめったにあるまい。坊主は浮世からはなれたセンチメンタルないい気持ちで深山などへ逃れたりするのだが、樵夫はこの浮世の抹消地点で働かねばならなく出来ているのだ。
二、三年も定着するとなると一と通り家の構えを作らなければならない。(中略)
ある一軒で私は、一人の男の大切なものを出して見せてもらったことがある。それは三、四十年前に撮った一枚の肖像写真であるが、もはや淡黄褐色に変色してしまっていて、それを手にしてながめてみた私に、「見えましょう」といわれたのだけれど、私には何も見えなかった。当人の目には、その中にお爺さんのおるのがありありとわかるらしいのである。(中略)先祖のお墓へもめったに親しむ機会をもたない、ここの人たちに何んといったらいいのかその術を見出せなかった。子供たちは小さい前庭で炭焼きゴッコで遊んでいた。大人も子供もそこでは大根のように素直で、またよく働き、そしてよき休息をしていた。

「よき休息」という言い回しに感動を覚えます。
著者がどこを訪れても、相手の地位に関係なく同じ態度で敬意をもって接していることがよくわかります。
出版年は1922年。なんと100年前の文章にして、この読みやすさ! この臨場感! まるで情景が眼前に浮かんでくるかのようです。
小屋に興味がなくとも、一世紀前のごく普通の日本人がどのように暮らしていたかを知れる貴重な一冊です。

以上、今回は4冊紹介しましたが、他にもまだありますので、この続きは近いうちに書きたいと思います。

2021.06.02

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